番外編
第44話 番外編① 村上春樹と浅倉先輩
若気の至り。
高校時代の思い出はのきなみ黒歴史で、思い出すと死にたくなって仕方ない。
文芸部の浅倉先輩に告白しようと、何度も意気込んでいた高校2年生の時は、俺の黒歴史の中でも、最も闇が深い。
「今日こそ、告白する」
と、同じクラスの峰岸に俺は決意表明をする。
峰岸は野球部だったが、映画や漫画が好きなオタクで俺と話があった。
「お前、まーた、そんなこと言ってんの?」
峰岸は、あきれた顔で言った。
俺がこんなことを言うのは、一度や二度ではないからだ。
「いや、今日こそ本当の本当に告白するんだって!」
「んなこと、もう10回以上俺は、聞いてるけどな」
一度や二度どころではなかった……。
「今日こそ、本気の本気だっつうの」
「へーへー。しかし、フラれるために、よく告白なんてしようと思うよな」
峰岸は普通にひどかった。
「……わかんねえだろ。まだ、フラれるか、どうかは」
「いや、わかるわ。あの先輩に告って成功した奴いないじゃん」
確かに、それは事実である。
才色兼備を絵にかいたような先輩は、当然のように人気で、特に男子の熱狂的なファンが多かった。
男性の影が全くない先輩に、もしかしたら、いけるかも、と思う男子も始めのうちは、何人かはいたが、軒並み、告白を断られ続ける現実を見て、そのほとんどは諦めていった。
しかし、それでもあきらめない猛者は、もはや、「思い出づくり」のために告白していたのだろう。彼らは、絶対にフラれるとわかってはいても、告白をせずにはいられなかった。
それも、「若気の至り」というやつである。
「今まではだろ!今までは!」
と、俺は強調する。
もちろん、自信はなかった。
俺と先輩の接点は同じ部活ということ以外ないのだから。
「はいはい。まあ、がんばれよ。フラれたら、ジュースおごってやるよ」
駄目だったら、奢ってくれるって、一番やる気なくす奴なんだが。
「いらねーよ」
と、俺は、先輩との約束の場所に走り出す。
当然、何の策もないわけではなかった。
話は一週間前にさかのぼる。
文芸部の部室にて、皆が各々、読書をしている中、俺は村上春樹の『ノルウェイの森』を読んでいた。
「お、三寿、今日は春樹を読んでるのか」
先輩は、俺に近づき、そう言った。
先輩が、村上春樹のファンであることは、すでにリサーチ済である。
俺はといえば、そのためだけに買っただけなので、初めて読む村上春樹の本だった。
「は、はい」
俺は、緊張して、少しどもる。
「『ノルウェイの森』か。最初は、性表現がきつくて、あまり好きじゃなかったが、読み直すと深い作品だよな。最後まで読んだら、感想聞かせてくれ」
あまりに想像通りの展開に俺は逆に恐ろしくなる。
「こう来るのを待っていました!」と叫びたいのをぐっとこらえ、「はい。あの……、その時、二人っきりでもいいですか?」と、俺は先輩に言った。
「……あ、ああ。もちろんいいぞ」
先輩は、少し考えてから、承諾してくれた。
そして、一週間後、部活が休みの火曜日の放課後。
俺たちは、文芸部の部室で待ち合わせをしていた。
「先輩、すいません遅くなって」
俺が、教室の中に入ると、すでに先輩は席に座っていて、静かに読書をしていた。
持っている本は『ノルウェイの森』だった。
「いいって。それで、どうだった?『ノルウェイの森』は?」
先輩は、いきなり本題に入った。
しかし、はっきり言って、俺は『ノルウェイの森』がよくわからなかった。
少し昔の大学生の恋愛が描かれていることはなんとなくわかったし、性描写には興奮したのだが、どこがどういいのかは、全くわからなかった。
「えっと、直子が可哀相だなって」
小学生レベルの感想だった。
いや、頭のいい小学生なら、もう少しマシな感想を言うのかもしれない。
俺の感受性の低さとボキャブラリーの少なさは、文芸部で日々、痛感していたのだが、この土壇場でも、気の利いた感想は言えなかった。
「ふむ。……確かにそうだな。幼馴染のキズキとはセックスができず、好きではないワタナベとはできてしまう。そこに彼女は、自分の精神と身体が分離していることに気がついてしまうんだな。そして、キズキが自殺したことに、自分の責任も感じてしまう。そして、最後には、自分の命を……。確かに、可哀相だな」
先輩は、俺のひどい感想に、丁寧に答えてくれた。
そうそう、俺もこういうこと言いたいんだよねー、などと思うが、全く言える自信がない。評論家は、非難されることも多いが、言葉で作品を切り取る能力は、誰にでもあるものではないと、俺は思う。
「あとは?」
先輩は、当然、まだあるだろう、と聞いてくる。
それはそうだ。
なにせ、俺はわざわざ、先輩を呼び出して二人きりになってまで、『ノルウェイの森』を語りたい人なのである。
あふれんばかりに『ノルウェイの森』について語ることがあるはずなのだ。
しかし、当然俺には、そんな感想はない。
仕方なく、「……それに、ワタナベは、なんであんなにモテるのかなって」と、ネットで誰かが書いていたことを言ってみる。
俺は、別に小説の主人公がモテようが、モテまいが、どっちでもいいのだが。
どちらかと言えば、モテる主人公のほうが、面白いのは間違いない。
というか、モテない主人公の小説とか、全然読みたくない。
「はは。そうだな。その批判は、結構、有名でな。特に女流作家たちに、ワタナベは評判が悪くてな。あんな男がなんでモテるのか、わからない云々っていう。まあ、主人公がモテてしまうのは、村上作品の特徴でもあるんだけどな。なんでモテるんだろうなあ。きっと、春樹自信がモテてきたっていうのもあるんじゃないのか。実際に、文章だけ読むと違和感があるけれど、ああいう男が現実にいたら、もしかしたら、「たしかに、こいつはモテる」なって思うのかもしれないぞ」
先輩は嬉々として語る。
俺は、ふと疑問に思い、「……先輩は、どういう男の人が好きなんですか?」と聞いてしまう。
今の今まで、誰とも付き合おうとしなかった先輩。
それは、先輩のタイプとは違う男たちから告白されていたからではないのだろうか。
先輩のタイプがわかれば、俺にも、もしかしたらチャンスがあるのかもしれない。
「私か?うーん。そうだな。まず、文学に造詣があること。読書家であること。後は、努力家であること。……それに、優しいこと、それぐらいかな」
「……そう、ですか」
全く、俺に当てはまるところがなかった。
優しいところぐらいがかろうじて、だろうか。
しかし、自分で自分のことを優しいと思っている奴って、本当は優しくないよな、などと考えていると、やっぱり一つも当てはまらないな、と落ち込む。
「お前はどうなんだ?もう高校2年生なんだ。好きな女子の一人や二人いるんだろ?」
なんという、残酷な質問をこの人はするのだろうか。
二人きりになっている時点で、少しは察してほしかったが。
しかし、考え方によっては、絶好の告白のタイミングともいえる。
「……俺は」
勇気を出せ。
もちろん、勝率は低い。
しかし、ここで告白しなければ、一生後悔する、かも、しれない。
それに、峰岸にまた、バカにされるだけである。
「ん?どうした?恥ずかしがらなくてもいいんだぞ。こう見えて、私は口が固いんだ。安心して言ってくれ」
「……俺は」
「うん」
「俺は……先輩」
「先輩?」
「……先輩みたいな人が、好き、です」
最後の最後で、俺は逃げた。
……しかし、「みたいな人」って、もう言ってるようなもんだけど。
「……先輩って、私?」
先輩は、自分のことを指さして聞いてくる。
もちろんそうだ。というか、他に誰がいるというのか。
「……はい」
「えっと、それは、光栄だな。……嬉しいよ」
先輩は、顔をぱたぱたとあおぎながら、そう言った。
少しは嬉しいと思ってくれているようで、俺は安心する。
「はい……」
「ち、ちなみに、なんで、私みたいな人なんだ?」
これを答えるのは、かなり恥ずかしい。
というか、こんなの「私の何が好きなの?」と聞いているようなものだ。
しかし、今さら、それは言えませんとも言えない。
「それは……。先輩は、綺麗ですし。その、人気があるのに、周りになびかないで、いつも自分を持っているところが恰好よくて、一人で本読んでいる姿も俺なんかと違って、様になっているっていうか。それに、綺麗です!」
ヤケクソだった。
もう、この言葉で俺の想いに気がついてほしかった。
「……そ、そうか。ありがとうな。うわー、照れるな。……そうかー。三寿は私みたいな人が好きなのかー」
素直に先輩は、喜んでいた。
いや、うん。
だから、ね。
「はい。……先輩みたいな人が好き、です」
俺ももう、引き返せなかった。
今から、「というか、先輩が好きです」と言った後の先輩の反応が怖かったのだ。
「じゃあ、私みたいな人がいたら、絶対に三寿に紹介するな」
先輩は完全な善意で俺にそう言った。
いや、あなたみたいな人、あなた以外にいますか?とは聞けない。
「……はい。ありがとうございます」
「はは。いるかなー。私みたいな人」
だから、いねえっての。
「そ、そうですね。なかなかいないですよね」
「はは」
「ははは」
もはや、笑うしかなかった。
こうして、俺の告白は失敗に終わった。
そして、後日、ちゃんと告白して、ちゃんとフラれたのだった。
フラれた後、ちゃんと峰岸はジュースをおごってくれた。
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