第11話 わたし、病気で休みます。 ②

 「近所だから、気になってきちゃいました」 

 と言って、小石川は買い物袋からスポーツドリンク、ゼリー、ヨーグルト、果物の缶詰、長ネギ、卵、生姜といった食材を次々に出していった。

 「こんなに……。重かっただろ。悪いな。お金、後で払うから」と、俺はそれらを冷蔵庫に入れようとするが、「そんなこといいんです。さ、病人は寝た、寝た」と小石川は俺の背中を押して、ベッドに戻した。

 「え。何する気だよ」

 「何って。まだ、ご飯。食べてませんよね?」

 「食べてないけど。……作る気か?」

 「当り前じゃないですか。何のために来たと思ってるですか」と、昔、妻が使っていたエプロンをつける小石川を見て、そういえば、入社日の自己紹介で、料理が趣味と言っていたことを思い出していた。

 「……」

 「ちょっと、なんか言ってくださいよ」

 「お前って、お前って、実は本当にいい子だな」

 「何言ってんですか。ていうか、「実は」って。今までどんな風に見てたんですか」

 「最近、涙もろくてな。歳かな……」

 涙をぬぐいながら、俺は言った。

 「いいから、寝てください。もー」

 

 30分程すると、テーブルには、生姜のスープ、卵の雑炊、そして、すりおろしたリンゴがあった。それは、全て俺が風邪の時に食べたいもの、というか、今食べたいものベスト3だった。まさか、こいつ、俺の心を読む能力でもあるのだろうか。

 「お口に合うかわかりませんが」

 「見た目だけでも最高じゃないか……」

 「ふふ。ちょっと、熱いんで、冷ましてから食べてください」

 小石川の忠告も聞かず、口をつけた雑炊は案の定、「あっつ」だった。

 「って、言ってるそばから!先輩、猫舌なんだから、すぐ食べちゃだめですよ」

 「冷ましてから持ってきてくれよ!」

 「子どもですか!……わかりましたよ」

 小石川は、俺からスプーンを奪い、自分の口を近づけ「ふーふー」と息を吹きかけた。

 「これで、冷めましたよ。はい、あーん」

 小石川の持ったスプーンが俺の口の前で止まる。

 「あーんって。やるか!自分で食べれるわ!」

 俺は、小石川からスプーンを奪い、自分でパクっと口に運んだ。

 その雑炊は、見た目以上に、美味しかった。

 「なーに恥ずかしがってんですか(笑)」

 誰でも恥ずかしいっての。

 

 すりおりされたリンゴまで完食し、一息ついた時、小石川は「奥さんがいたときは、こんな風に看病してもらってたんですか?」と尋ねてきた。

 「……いや、ぜんぜん。そんなことねえよ。あいつは病気の人間に厳しかったから。「仕事行かないでいいわね」みたいなことしか言われたことないな」

 「……結構、ドライなんですね。ていうか、あんまり、好かれてなかったんじゃないですか(笑)」

 「うーん……。どうなんだろうな。確かに、ドライだったかもしれないけど。でも、それでも、信頼っていうか、心の奥の部分ではつながってたと思ってたけど。って、何恥ずかしいこと言ってんだろうな(笑)やめ、やめ。身体弱ってるから、いろいろ話しちまう」

 「私……、聞きたいです。奥さんのこと。……って、ごめんなさい。今、休まなきゃなんで、全然、今じゃなくていいんですけど」

 そう言った小石川の表情は真剣だった。

 「……いや、いいよ。お前のつくってくれたやつ食べたら、ちょっと元気になったし。つっても、何話していいかわかんないけどな」

 「全部、聞きたいです。先輩と奥さんとの思い出」

 「全部、は無理かもしれないけど。まあ、憶えてる範疇で、話してくか」

 それから、俺は、妻との映画館での出会い、映画の話ばかりしていたこと、同棲を経て結婚したこと。

 そして、3年前に、突然いなくなったことを話した。

 「探さないでください。」という書置きと妻の部分だけ全て書かれている「離婚届」を残して……。

 

 話がひと段落した後、「……なんで、奥さんは、出てっちゃったんでしょうか」と、小石川は真剣な表情で聞いてきた。

 「それは、俺にもわからない。ま、なんか、自分でも気が付かないうちに、あいつに悪いことしてたんだと思うよ。ほら、バカだから俺って」

 本心だった。

 それくらい他人の気持ちどころか、一番近くにいる人の気持ちにも敏感じゃなかったのだ。

 書置き一つ残して、去ってしまいたいと思わせたのは、絶対に俺に原因がある。

 それなのに、その原因が何のか、いまだにわからないでいる。

 この3年間、俺は、ずっとそのことを考え続けて生きているのかもしれない。


 「そんなことないです」

 小石川ははっきりとそう言った。

 「え」

 「先輩、バカなんかじゃないですよ」

 「……そうか?」と、聞きつつも嬉しかった。

 「でも、バカです」

 「どっちだよ!」

 いつかの会社での会話を思い出した。

 バカって言ったら、小石川泣いてなかったっけ。

 今の会話には全く関係ないのだが。

 「……いつまで、奥さんのこと待ってるつもりなんですか?」

 「わからない。でも、待ちたいんだ。まだ、どこからか、ふらっと、帰ってくる気がして。……なんていうか、気まぐれな奴だったから」

 「猫じゃないんだから。そんなの、気まぐれに振り回される人は困ります!」

 小石川は、いつもの穏やかな話し方と違って、語気を強めた。

 「はは。なんでお前が怒るんだよ……」

 「やっぱり、先輩はバカです」

 そう言うと、小石川は立ち上がり、自分の荷物を手に持って「帰ります」と、玄関に向かった。

 なぜか、俺は、このまま小石川を帰すのは嫌だった。

 「ちょっと、待てよ」

 セリフは木村拓哉風に格好をつけたのはよかったのだが、俺は自分が思っている以上に、自分の身体が思うように動かないことを忘れていた。

 小石川の手をつかんだのはいいが、そのまま、足を滑らせて、小石川を押し倒してしまったのだ。

 こんなに近くから小石川を見たのは初めてだった。

 やっぱり、きれいな娘なんだな、なんて今更思うのはおかしいが、そう思った。

 「ど、どいてください」

 小石川は俺から目をそらして言った。

 「なんで、バカなんだよ」

 「バカだからバカって言っただけです」

 「なんで怒ってんだよ」

 「怒ってないです。ぜんっぜん、怒ってない!」

 「怒ってないやつはそんな風に言わねえよ」 

 「ずるいんですよ。……先輩は」

 小石川の目には涙が溜まっているように見えた。

 「……」

 もう、限界だった。

 「ちょっ、先輩?」

 俺は、ついに自分の身体を手で支えていることができなくなり、小石川にもたれかかってしまう。完全に、まずい状況だった。

 「……ごめん、ベッドまで運んでくれない?」

 それは、一回り違う歳の女の子にするお願いではなかった。

 

 熱は思ったよりは上がっていなかったので、安心したが、とりあえず、まだ無理できるような状態ではないことは間違いなかった。

 「すいません。……私、お見舞いに来たのに……」

 小石川はベッドの横で本当に申し訳なさそうに言った。

 「お前のせいじゃねえよ……。むしろ、看病に来てくれて、本当嬉しかった。ありがとう。俺、風邪になりやすい体質だから、こんなの慣れっこだし(笑)」

 「(笑)じゃないですよ。ぜんっぜん、(笑)えないです」

 「はは。たしかに。……あのさ、さっきの話」

 「あ、さっきのは、ほんと完全に忘れてください。なんか、熱くなっちゃって。あー恥ずかしー」

 「そうか。あのさ……。いや、いいや」

 俺は、その時、本当にバカなことを口走ろうとしたのだ。

 「なんですか?」

 「いや、ほんと、何でもない」

 それは、絶対に口にだしてはいけなかった。

 「いやいやいや、絶対、なんかありますよ。その言い方。なんですか?」

 「……笑うなよ?」

 「笑いません」

 「……手、握ってくれない?少しだけでいいんだけど」

 普段なら、死んでも言わないことを言ってしまうのが病気の恐ろしいところだ。

 大体、手を握ったから、なんだというのか。

 もちろん、病気は治らないし、辛さが緩和されるわけでもない。

 「……」

 驚いた顔をした小石川は、言葉を失っているように見えた。

 俺は、恥ずかしさに今すぐ死にたいと思ってしまう。

 「ごめん!!忘れていいから!!」

 と、言った後、布団の中にあった手が優しく包み込まれた。

 「そんなの……ぜんぜんいいに決まってるじゃないですか」

 小石川の手は、普通の握り方から、指と指の間に絡むような握り方に変わっていった。

 「……なんか」

 「なんですか?」

 「いや、なんでもない」

 また、熱が上がると思うんだけど、とは言えなかった。

 「やっぱり、先輩はずるいです」

 小石川は、そうつぶやいて、「先輩、目つぶってください」と俺に言った。

 俺は何の疑問も持たずに、目をつぶった。

 瞬間、口びるに温かくやわらかいものが触れる。

 目を開けると小石川の顔がそこにあった。

 俺が、目を白黒させていると、小石川は、立ち上がり、「……風邪、少しもらいました。これでおあいこということで」と言って、帰っていった。


 一体、何と何がおあいこだというのだろうか。


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