第10話 わたし、病気で休みます。 ①

 鈍い頭の痛みに不愉快な喉の違和感、身体の節々が痛くてたまらない。

 おでこは熱いのに身体は寒くてたまらない。

 風邪をひいた日はいつだって孤独だ。

 朝、会社を一日休むと連絡した後、俺はそう思った。

 会社に行かなくてすむのはいいのだが、だからといって、復帰後の仕事が減るわけでもない。むしろ増えるだけである。そして、休みなのに全く楽しくない。

 とにかく寝ること、身体を休めることが大事だと、多くの人は言うが、苦しい時は、寝るのも休むのも苦しい。

 そして、何より、一人きりで、この苦しみを耐えなければいけないのが、一番辛い。

 

 「いいわねえ、あなたは休めて」

 

 風邪になったときの妻はいつも厳しかった。

 地方の山育ちの妻は身体が丈夫で、滅多に風邪をひくことがなかったから、風邪の辛さがわからなかったのだろう。

 一方、子どものころからなぜか風邪をひきやすい体質の俺は、そんな妻に「なぜこの苦しみをわかろうとしないのか」と、いつも愚痴をこぼしていた。

 「ふーん。私はなってみたいけどねえ。風邪に。だって、寝ながらアマゾンプライムとかネットフリックスで映画観れるでしょ?」

 「いや、そんなことできないくらい苦しいんだよ。この状態見りゃ分かるだろ。38度超えてるんだぞ?」

 「ふーん。いや、私、平熱37度5分だしねえ。それって、高熱なの?」

 「あなたは平熱高すぎなの!だから、風邪ひきにくいの!俺は平熱35度台だからね!普段より3度も上がってんだよ!」

 「ふーん。なんか、大変そうねえ」

 「そうだよ!大変だよ!もっといたわってくれ!」

 「ポカリとウィダーインゼリーなら冷蔵庫にあるからね」

 「……ああ。うん。ありがとう」

 「じゃあ、私、会社行くね。今日ちょっと遅くなるからね」

 「……ああ。いってらっしゃい」

 

 妻は風邪の時はポカリとウィダーインゼリーさえあればいいと思っていた。

 確かに、必要なものだが、俺としては、もっと他のものも欲しかった。

 手作りのおかゆとか、缶詰の桃とか、そういうかんじのものだ。

 こういう時こそ、優しくされたいという俺の心を妻は全く理解していなかった。

 しかし、そんな妻でもポカリとウィダーインゼリーは用意してくれていたのだ。

 今は、それすら自分で買いに行かねばならない。

 だが、それを買いに行くことすら辛いし、なにより面倒くさい。

 こんな時、誰かに優しくされたのなら、俺はきっと、その人を好きになってしまうのだろう。

 身体が弱っている時に優しくされて、恋が芽生えるなんて描写は映画でも漫画でも定番中の定番だが、俺にはその気持ちがよくわかる。

 やはり、弱っている時には人は優しくされたいのだ。

 風邪をひいている時に優しくしてくれる人は本当に優しい人だと思う。

 なにせ、その相手の風邪が自分にうつる可能性があるのだ。

 それができるというのは、無償の愛のようなもので、母親が子どもに向けるような愛ではないだろうか。そうだ、俺も子どもの時は、風邪をひいて、母親にリンゴをすったものを食べさせてもらったりしたものだ。あれは本当に美味しかった。

 とりとめのない思考がぐるぐると回りだし、気が付くと俺は眠りに落ちていた。

 目を覚ました俺は、インターフォンの音が鳴っていることに気が付き、ふらふらと通話ボタンを押した。

 

 「生きてますか?なんかいろいろ買ってきましたよ」

 

 画面には重そうな買い物袋をぶらさげた小石川がいた。

 こんな時、誰かに優しくされたのなら……。

 混濁した頭の中で、うれしい気持ちと申し訳ない気持ち、そして、後ろめたい気持ちがないまぜになったまま、俺は「生きてるよ」と言って解除ボタンを押していた。

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