第9話 夏だ!水着だ!後輩だ! ②

 男にとって、試着室に入った女子を待つことほど、時間を持て余すこともない。

 周りにあるものは、女性用の服のみだ。

 当然、見るものはなく、女性客ばかりの店内は居心地も悪い。

 水着の試着を待つともなれば、さらにその居心地の悪さは増す。

 試着室の周りには、運悪く女性用の水着ばかりだった。

 なんだったら、不審者扱いされる可能性を考慮にいれ、そのことに警戒もしなくてはならない。

 しかし、一つだけ安心していることはあった。

 この店で会社の連中に出くわすことはない、ということだ。

 独身男性だらけのうちの会社の連中がこんな若い女性向けのショップに寄り付くはずがない。

 念のため、キャップとサングラスも準備していたのだが、小石川に「似合わないですね(笑)」と言われてからは外していた。

 最初は、不安もあったが、入る店、入る店、ほとんど男性客がいないことを確認し、これなら大丈夫だろうと感じ始めていた。


 「あれ、三寿君?」と、声をかけられるまでは。

 

 「ぶ、部長?」

 目の前にいたのは、会社の部長と高校生くらいの歳の女の子だった。

 年頃の子どもを持つ会社の人間。

 部長の存在を俺は忘れていたのだ。

しかし、なんていうタイミングで出会うんだよ。

 「やあやあ、奇遇だね」

 「そ、そうですね。……あ、ショッピングですか?」

 「そうそう。娘の付き合いでねえ。休日くらいゆっくりしたいもんだけど。ははは」

 そう言いつつも、部長は嬉しそうだった。

 「いいですねえ。はは。家族水入らずで。羨ましいなあ」

 「いやいや。カミさんは、一人のんびり韓国旅行だよ。娘水入らずってところで(笑)。ところで、三寿くんは?奥さんと?ああ、戻ってきたんだ?」

 当然、そう来るわな。俺は、背中から汗が噴き出る。

 俺の嫁が家から出ていったことを会社で知らない奴はいない。

 つまり、俺がここにいるということは、嫁が戻ってきていないとするのなら、それは、誰か別の女性と一緒にいることを示す。その相手とは、今、絶賛、試着室で水着に着替えている小石川梓なのだ。

 そして、そのことが、今にも部長にバレそうである、と。

 あまりにも、爆弾がそろいすぎていて、どうこの場をやりきればいいか全くわからない。

 「えっと。そうですねえ。なんと言いましょうか」と、俺が返答に困っていると、「あなた、ちょっといい?」と試着室から声が聞こえた。

 

 ……あなた?


 「うまく、ヒモが結べなくて、中で手伝ってくれない?」

 言葉の意味が分からず、しばらく固まっていた俺に、部長は「はは。三寿君のところは、夫婦円満でいいなあ(笑)早く、手伝ってあげて」と、俺を試着室に入るように促す。

 「は、はは」

 俺は、混乱したまま、試着室に恐る恐る入っていく。

 中には、当然、小石川がいた。

 ビキニの水着姿、で。

 目のやり場に困りつつ、「……なんで」と、言いかけた俺の口の前に指を出し「とりあえず、この場は、これでやり過ごしましょう」と小声で小石川は言った。

 小石川は、きっと、俺たちのやりとりを試着室から聞いて、俺を助けるために、一芝居打ってくれたのだ。

 とはいえ、この狭い密室空間で、水着姿の女子と二人きりというのは、気まずいどころの騒ぎではない。

 俺は、とにかく、下を向き、小石川をあまり見ないように気を付けた。

 「どうですか?この水着?」

 小石川の自信のなさそうな声が聞こえて、俺は下を向いたまま「いいんじゃない?」と返した。

 「ふふ。なんで、下向いてるんですか?」

 「……だって、こんな密室で」

 下を向いていた俺の視界に小石川はしゃがんで入ってきた。

 「ちゃんと見てくれなきゃダメですよ」

 ……いや、そこからの視点だと、いろいろなところに目がいくので、本当にやめたほうがいいと思うんだけれど。

 「あ、胸見ましたね。いやらしー(笑)」

 そう言って、胸を手で隠す小石川。

 だから、そういうことされると、余計に目が行くんだって。

 「見たよ見た。仕方ねえだろ。見たいんだから」と、俺はやけくそ気味に言った。

 それが、男の正直な気持ちなのだ。

 「……なんか、そんな正直になられると困るんですけど」

 小石川は、俺に背中を見せて、「恥ずかしいじゃ、ないですか」と身体を隠した。

 意外な反応に驚く。

 いつも積極的に見える小石川が、突然、恥ずかしがることは何度かあったけれど。

 けれど、そういう反応の方が、なぜか色っぽく見えてしまうのも困ったものだ。

 「ごめん。悪かった……」

 後ろ姿も、いろいろ見られたら困るところもあると思うんだが、とは言えなかった。

 「いいです。先輩が、エロエロなことなんて、もう知ってますから。でも、私以外にやったら、セクハラで訴えられますから気を付けてくださいね?」

 「お、おお。って、今までそんなにセクハラしたか?」

 「こういうのは、被害者がセクハラって言ったらセクハラなんですよ?だから、痴漢冤罪がなくならないんです?わかりますか?」

 「お、おお。って、それ、女性が言ったら駄目なやつだろ……」

 「え。そうなんですか?」

 俺は吹き出してしまう。

いつも小悪魔なんて、言っているけど、こういうところは、まだまだ年相応の可愛さを感じる。

 

 「あの、お客さま、大丈夫でしょうか?」


 試着室の外から聞こえる店員の声で、俺たちは、そこに30分以上いたことに気が付いた。

 もちろん、部長も部長の娘さんもとっくにいなくなっていた。

 結局、小石川はワンピースの水着を買うことにして、俺が会計をした。

 帰り道、小石川は、「いいんですか?先輩。そんなつもりじゃなかったのに」と申し訳なさそうに聞いてきた。

 「ま、たまには先輩っぽいこともしないとってのもあるし。マジで、ファミレスの件は悪かったって思ってるわけで」

 「はは。また、映画一緒に行きたいです。お話は朝までじゃなきゃ聞きたいです」

 「悪かったって。ていうか、水着は……」

 ビキニの方じゃないんだ?と言いかけて、やめる。

 試着室の話ではないが、本当に、セクハラ発言には気を付けなければ。

 「ビキニのほうがよかったですか?」

 俺の心を読んだかのように、小石川は俺に問いかけてきた。

 「いや、そんなわけじゃない、けど。試着室では、そっちを着てたから」

 「……恥ずかしいじゃないですか。露出高い水着って。いろいろ体型わかっちゃうし」

 「え、じゃあ」

 なんで、ビキニの試着したんだよ、と言おうとして、俺はやめた。

 女子にはいろいろあるのだ。

 そう、普段はできないビキニの水着をたまたま試着したっていいじゃないか。

 

 「先輩だから見せたんですよ?」

 

 ……だから、そういうのやめろって。

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