特別編 新海誠作品から考えるディスコミュニケ―ションの一例

 ※今回の話は、特別編です。基本的に本編と関係なく、新海誠作品の話をしているだけなので、飛ばしてもらっても大丈夫です。ちなみに、『君の名は。』(『天気の子』ではない)のネタバレがありますので、観ていない人は注意してください。


 人と人とのディスコミュニケーションの一例として、以下の会話を挙げたいと思います。

 プレゼンテーターは、わたくし、三寿内蔵助がお送りさせていただきます。


 「つまりな、この世界って、何もかも腐っているわけじゃない。けど、それでも一つの希望があるって新海さんは言いたいわけだ」

 「……なるほど」


 舞台は深夜、いえ、もう明け方のファミリーレストランです。

 ここで、熱弁しているのは、皆さんご存じ、妻に逃げられた中年男性、三寿内蔵助32歳、つまり私です。

 熱く新海誠作品『天気の子』について語っていますねー(笑)。

 なんでそんなことになったのかは、前話を参照してください。

 それに対して、死んだ目で相槌をうっているのは、彼女、小石川梓18歳。

 彼女、映画ほとんど観ません。

 観るとしても、ジブリとディズニーをテレビで観るくらいで、新海誠の作品は、今回初めて、たまたま観ただけです。

 要は、映画について熱く語りたい男と映画に全く興味のない女。

 この二人が今回のディスコミュニケーションの悲劇を起こす、と。

 それでは、少し、会話を続けてもらいましょう。


 「その希望は何かって言うと「子ども」だよ。まっすぐに未来を見つめる「子ども」は、世界がいくら腐っていても、壊れていてもこれから先を生きていかなきゃいけないと。彼らには、どんな世界であったとしても、力強くたくましく生きていってほしいと。そういう「願い」がこめられているよね」

 「たしかに」

 「なんで、今回新海さんは、そのことを描いたのかっていうと。前作の『君の名は。』ってめちゃくちゃヒットしたけど、批判もされたわけよ。何かって言うと、作中で隕石が落ちて一つの村が壊滅するのよ。で、それは、現実世界で言うところの、「3.11」であると。それが、物語の終盤で、主人公たちのおかげで「なかった」ことになる。実際に、隕石は落ちるけれど、村民は全員、事前にそれを察知して逃げることができるわけ。でも、それって、現実に例えると、「3.11」をなかったことにしてるのと同じじゃない?って批判があったわけ」

 「はい」

 「もちろん、新海さんにそんな意図はなかったわけだけど、そういう受け止められ方をしてしまったと。ただ、確かに『君の名は。』は今までの新海作品とは違って、エンターテイメント色が強かったんだよ。それは、プロデューサーの川村元気の役割が大きかったわけだけれども。何が違っていたのか簡単に言ってしまえば、それは全てハッピーエンドになっているってことだよ。二人の恋愛もうまくいけば、世界も救われてしまう、と。ただ、それは決定的に今までの新海作品とは違っていたわけだ。(以下中略)つまり、今回は『雲のむこう、約束の場所』以来の「セカイ系」の新海誠の真骨頂って言い方もできるわけよ」

 「先輩」

 「何?どうした?あ、ちなみに「セカイ系」っていうのはさ……」

 「眠いです」

 「……」

 「もう、眠いです」

 「……」

 「もう、限界です」

 

 はい、ここで初めて腕時計を見ました。

 ここで、初めて気が付きましたね。

 現在、時刻は午前6時を過ぎています。

 彼、つまり私は、あの後、ぶっ通しで、本当に「朝まで生『天気の子』論」やっちゃったんですね(笑)。

 実に6時間以上でしょうかね。

 彼女、小石川梓さんも、最初のうちは、興味を持って聞いていてくれたんです。

 合いの手も様々なバリエーションを持っているわけですよ。

 彼女、そのへんは、天才的な才能の持ち主なので(笑)。

 しかし、それゆえに、彼、いや私、三寿内蔵助は調子に乗ってしまった、と。

 話す、話す、一人、「しゃべくりセブン」状態(意味不明)なわけです。

 最初は、興味を持っていても、さすがに、1時間も過ぎれば「そろそろいいか」と思うわけですよ。特に、自分が興味のない話題なら、よりそう思うわけですね。

 しかし、彼女、律儀に自分で「聞きたい」って言ってしまったことを気にして、「そろそろ、別の話しません?」とも言えず、ずるずると意味のまったくわからない話を聞き続けたわけです。

 一言でいえば、拷問ですね(笑)。

 そういうわけで、彼女も耐えに耐えてきたけれど、朝6時になっても、一向に終わることのないこの話にさすがに限界を超えて言ったのが「眠い」そして「限界」だったというわけですね。

 彼女を責めることは誰もできないでしょう。

 むしろ、よく、ここまで耐えたと称賛されるべきです。

 それよりも、話し相手の顔や相槌のトーン、態度を顧みずに、しゃべくりまくったこの男、三寿内蔵助。つまり、私。

 断罪すべき人物がいるとしたら、彼、三寿内蔵助、つまり、私だけです。

 オタクっていう人種は、自分の話したいことを全部言わないと気が済まないんですね。

 聞き手からすると、「ほどほど」とか「適度」な時間で話してほしいわけですよ。

 けれど、そういう「ほどほど」とか「適度」がまったくわからない、と。

 その結果が6時間超えです。

 映画の上映時間の3倍以上話してしまったと。

 バカですね(笑)。

 こうして、悲劇は起こったというわけです。

図らずも、新海誠作品のテーマ(勝手に私が考えた)「つながり」と「孤独」を体現してしまったかのような悲劇と言えますね(?)。

 気まずい雰囲気の中、ファミレスを出ていく二人。

 誰も得していません。ここから、私たちは、いや、私は教訓を得るべきなのです。

 相手(未成年)の好意(優しさ)に甘えてはいけない、と。

 この場を借りてお詫びします。

 小石川梓さん、ほんっとうに申し訳ありませんでした。

 以上、新海誠作品から考える(?)ディスコミュニケーションの一例でした。

 プレゼンテーターは、この私、三寿内蔵助でお送りしました。

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