第2話 居酒屋で後輩と

 行きつけの居酒屋では、会社の誰かに出くわす可能性が高い。

 会社から少し離れた駅で小石川と待ち合わせ、その飲み屋へ向かう。

 着いてみて、気が付いたのは、その店は、妻と初めて飲んだ店だということだ。

 こんなところでも、未練が断ち切れない自分に苦笑した。

 和風モダンな店内は若干薄暗く、俺たちは、奥の個室に通された。

「かんぱーい」

「はい、かんぱい」

生ビールとノンアルコールのカラフルなグラスがあたる。

あらためて正面きって、小石川の顔を見ると、本当に若いんだな、と感じる。

なにせ、今年の3月まで、まだ高校生だったのだ。

こんなところにいると、なんだか悪いことをしている気しかしない。

「くらーい。もっと、明るくいきましょうよ」

「へーへー。ここ9時までな。それ以上は付き合わねえぞ」

「門限厳しい(笑)いいですよー。でも、先輩が帰りたくないって言うんじゃないかなー」

「言わねえよ。それにしても、俺なんか誘ってもいいことねえぞ。若いんだから、いくらでも誘う奴いるだろ」

「いないですよー。私、友だちいないですし」

 小石川みたいな奴に友だちがいないわけはない。

 ちょっとした冗談に決まっている。けれど、嘘を言っているようにも思えなかった。

「……さらっと悲しいこと言うなよ」

「悲しくないですって。一人が好きなんです。いろいろやることあるし」

「へえ。何やってんの」

「ひみつでーす。先輩こそ、家で何やってるんですか?」

「……ひみつ」

「あー、真似するのずるいですよー。私、あてましょうか。先輩が何してるか」

「おー。あててみろ。あててみろ」

小石川は、俺の隣にわざわざ来て、小声で「エッチな動画をみる」と耳にささやいた。

「そこから離れろ!そして、耳元でささやくな!」

「その反応。……図星ですね!」

「……あのなあ、男だったら、誰だって、そりゃ、みるって……」

「あー。認めたー。先輩、エローい(笑)」

「ちげえって!いや、そうだけど。その、男はな、みんな、そうなんだって言いたいわけで」

「エロエロ先輩だあ。やらしー。私のことも、やらしー目で見てるんじゃないですかあ?」

小石川は自分の胸を隠すそぶりをした。

トレーナーごしにもわかる発育が進んだ胸。

そんなことをされると、余計に気になるのが、男というものを知っていてやっているのかはわからなかった。

「まぁ、先輩なら、ちょっとくらいは触ってもいいですよ」

小石川は、トレーナーの首元を指でひっぱる。

胸元が見えそうになり、慌てて目を背ける。

「バカっ。いや、バカは言い過ぎた。いや、バカ!!」

「ひどい。また、バカって言った。3回も!!ひどいひどいひどい!!」

「悪かった。俺が悪かった。けどなあ、お前、あんま、おっさんをからかうなっての。お前みたいな、若くてかわいい子にそんなこと言われたら、なんか、変な気になるかもしんねえだろ」

「……」

「なんだよ」

「今、「可愛い」って言いました」

「……なんだよ」

「えへへ。「可愛い」って思ってるんですね。私のこと」

それは、初めて見る小石川の表情だった。

好きな人を目の前に恥じらうような。しかし、今、こいつの目の前には俺しかいない。

一気にビールを飲み干す。

そう、これこそが、まさに小石川梓が悪魔たる所以なのだ。

今の今まで、小石川にいいようにされる数々のおっさん達を俺は見下していたのだが、今、はっきりと俺はわかった。

こいつは、危険だ。

うっかりすると恋に落ちる。

男は自分に気があるような女に、全くもって弱い。

その女が可愛ければ可愛いほど、男は瞬殺される。

例えれば、峰不二子を前にしたルパン三世。

冷静沈着、頭脳明晰の彼が何度あの女に騙されたことか。

こいつは、男がサルのように「あーずさちゃ~ん(CV栗田貫一)」となるのを待っているのだ。そして、そうなったときには、銭形のとっつあんに捕まるって……何の話だ?

現実に戻るのだ。目の前の小石川は俺の回答を待っていた。俺が「可愛い」と口走った意味を……。

「いや、そりゃ、あれだ。……一般的な意味でな」

「一般的な意味?私、難しいこと言われてもよくわかんないです」

「つまり、だ。誰がどう見てもお前は可愛いってことだから、俺がどうとかじゃないってこと……。って、何言ってんだ、俺も」

あまりにも恥ずかしいことを口走り、まともに小石川の顔も見れない。

「……」

「なんだよ。なんか言えよ」

「いえ。その、なんか、ちょっと、恥ずかしい」

顔を真っ赤にした小石川は、ぱたぱたと手で自分の顔を扇いだ。

正直、心が揺さぶられていた。

忘れていたあの高校時代くらいの初恋の気持ちとでもいうのだろうか。

俺はすっかり冷静さを欠いていた。

「ふざけんなよ。俺は、もっと恥ずかしいって。なんか、変なテンションになってきたな。……っていうか、お前の飲んでるの酒だろ!」

「え?酒?またまたぁ。未成年ですよ?わたし」

俺は、小石川の持っていたグラスを奪い飲む。

「やっぱり。……注文間違えてんじゃねえか」

小石川の頼んだカクテルはノンアルコールとアルコールどちらにも対応できるものだった。忙しい店員が間違えるのはよくあることだ。しかし、今のタイミングではやめてほしかった。

「なんか、身体が熱いです。脱ご」

 家と勘違いしているのか、上着のトレーナーを思いきりよく脱ごうとする小石川。

 思わず下着が少し見えてしまう。

 俺は、片手でそれを阻止しつつ、「ちょっと、待て。脱ぐな。水飲め。水」と水を小石川に飲ませる。

うなだれかかる小石川は、「先輩って。優しいですね」と上目づかいに言う。

「……別に。ふつーだって」

「もう、9時過ぎてますよ」

そういえば、そんなこと言っていたな、と気が付く。

時間はあっという間に過ぎていた。

妻との想い出の干渉に浸る時間もないほどに。

「……まぁ、しょうがねえな。1時間延長だ」

「はい。……あの、一つ聞いてもいいですか?」

俺に身体を預けたまま、小石川は聞く。

今まで、慌てていたから何も思わなかったが、冷静に考えるとこの態勢はどうなのだろうか。ぴったりと密着したこの状態は。

「な、何だよ」

俺は、徐々に身体が離れるように態勢を移しながら、答える。

「私のこと、どう思ってます?」

「……どうって。どういうこと」

「好きですか?」

真剣な目だった。

けれど、その真剣でまっすぐな目に応えるには、俺は歳をとりすぎていた。

様々な人に騙され、裏切られ、傷つけられてきた。

こんな風に人を真っすぐ見る目に正面から応えられないほどに。

小石川のことは、まだ、よくわからない。

けれど、その目が真剣なことくらい、俺にだってわかる。

だから、その答えには、きっと本当は、もっと誠実に答えるべきなのだ。

でも、俺は、それができないくらいに、もう歳をとりすぎていて、そして汚れていたのだ。

答えは一つだった。

それが、いくら不誠実なものであっても、それしか俺にはできない。

「嫌いじゃねえよ。当り前だろ。後輩なんだから」

「……そうっすか」

「そうっすよ」

 小石川は、少し残念そうに見えた。

 そう見えたのは、きっと俺が酔っていて、おっさんだからなのだ。

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