第42話 不救のロータス



「ケイ、今から送るアプリ、インストールしておいてもらっていいですか?」


 メッセージアプリに羽衣からファイルが送られてくる。意味のよく分からないアルファベットと数字の羅列がファイル名になっていて、そこからどのようなアプリかは判然としない。

「何のアプリ?」

 朝食の後のコーヒーを飲みつつ、計都はアプリを眺めた。

「機身の非常停止アプリです。私がまた道を踏み外しそうになったら使ってください」

 何を言い出すのかと思えば。

「いらないよ。もう大丈夫でしょ」

「前科がありますからね。復帰の条件なんです」

 明確な裏切り行為を行っただけでなく、無関係な人々をも巻き込んで、この街で騒ぎを起こした責任は重い。いくら秘密部隊であっても謹慎程度で済むわけはない。

「少し前、両腕を機身にしてきました」

「え!?」

「いやぁ、生身の腕と遜色なくて驚きです。気がついてましたか?」

「い、いや……」

 羽衣の腕が機身に?

 そんな、全く気がつかなかった。彼女と触れ合う機会はたくさんあったのに。

「……」

 ミュオニスを起動してみる。

 間違いなかった。彼女の両腕は機身に置き換えられていた。

「……な、なんで、一言も」

「他にも方法はあったかもしれないですが、まぁ、自分なりのケジメも必要だったんです。足を洗うというか……あ、まさしく手を切るってヤツです!」

 そんな難問が解けた時みたいな笑顔で言われても……と、計都は内心苦情を申さずにはいられない。

「面白くない」

「ふくれっ面も可愛いですよ」

「可愛くない!」

「怒った顔も可愛いです」

 などとイチャついていた最中だった。何となく電源をいれていたテレビからニュースの音が聞こえてくる。

『バイオテロ発生当時の社長に引き続き、当時の六光製薬役員3名と、元厚生省職員1名が逮捕されました』

 六光製薬には現在、大規模なメスが入っている。脱税疑惑による税務署の家宅捜索に始まり、違法な取引や輸出入、関係団体との癒着、そしてニルヴァーナ・ウイルスに関わる数々の違法行為や疑惑が明るみになり、警察や保健署、検察などが大忙しになっていた。おそらくはいぶきが仕掛けたものだろう。戦闘員である計都たちは、事務的な部分はあずかり知らないが、周到な根回しが行われたに違いなかった。

 テレビ画面の中で、難しそうな顔を作ったコメンテーターが嘯く。

『何があったのか現時点ではよくわかりませんが、あの事件は再検証が必要なのかもしれませんね』

 相変わらずニルヴァーナ・ウイルスは、人間の生活と隣り合わせに存在していた。かのウイルスの恐怖は依然としてそこにあり、そして、そのウイルスの持つ特性を利用しようとする悪意もまたそこにあった。

 だから、戦いは終わらない。

「……いつか、みんなわかってくれるかな? ソユーズは悪くないって」

 計都と羽衣のイチャイチャを無言で眺めていたソユーズは、コーヒーを一口飲み下してから返事をした。

「別に、みんなにわかってもらえなくてもいい」

 みんなだなんて、そんな大袈裟なものは必要ない。まして、極楽と名のつく薬物なんて。

「愛する人にさえわかってもらえれば、それだけでも救われる」

 ソユーズはそう呟くと、芸能コーナーになったテレビの電源をオフにした。

「そろそろ出掛ける時間ね」

 ソユーズの一言を合図に、計都と羽衣は速度を上げて体を動かす。椅子から立ち上がり、ばたばたと投稿する準備を始めた。季節はもう移り変わっていて、分厚いコートは必要なくなっていた。

「私も今日から学校へ行きます」

「あ、そうだったね」

「ソユーズ。同じ学校だからって抜け駆けは許しませんよ」

「はいはい」

「あっ! 全然約束守る気ありませんね!? こうなったら……ケイ、ちょっと」

「へ……? ひゃあ!?」

 ダイニングテーブルの椅子をしまっていた手を掴まれたと思ったら、そのまま引き寄せられて顎を反対の手で押さえられた。そしてゆっくりと羽衣の顔が近づいてくるーー吐息が近い。

「!? ちょっと羽衣っ! あ、朝からダメだって!」

「だ、ダメですか……?」

「えっ、あ、いや、その、だめじゃ、ないけど……」

 そ、そんな捨てられた子犬のような目で見つめられると……!

「押しに弱すぎよ、ケイト」

 ソユーズは計都と羽衣の間に割って入り、そのまま計都の手を引いて玄関に向かった。ソユーズの反対の手には計都の通学カバンと自身のカバンが握られている。

「ま、待ってくださいよ」

 羽衣も慌ててその後を追う。彼女が靴を履き玄関を出るのを待ってから、計都は玄関扉を施錠した。

 エレベータを待っている間、羽衣がそっと計都に身を寄せる。

「ケイ……やっぱりあの、ちょっとだけ……」

「も、もうだめっ、誰かに見られたら恥ずかしいっ」

「ええー……」

 羽衣の落胆の声を、ソユーズが静かに遮った。

「誰かに見られなかったらいいの?」

 ちょうどその時、エレベータが到着した。扉が開く。他の乗客はいないようだった。そして3人は知っていた。

 このエレベータに防犯カメラは設置されていない。


 ソユーズと羽衣は、顔を見合わせてうなずいた。


「ちょ、ちょっと!? 2人とも!?」

 両脇を抱えられ、エレベータに引きずり込まれる計都。その抗議の声は2人に聞こえはしても、聞き入れられはしない。

「ケイト」

「ケイ……」

 羽衣は身を屈め、ソユーズは背伸びをして接近する。目指すのは、計都の口元でほころぶ、2枚の花弁。

「あっあっ、ま、待って2人とも! 夜! 夜にしよ!? ね!? あ、わ、わ、ああああああーー」

 計都の制止もむなしく、エレベータの扉は、そっと静かに閉じられた。



fin.



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不救のロータス 月啼人鳥 @gt_penguin

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