第39話 その鼓動は力強く


「う、アアあっ!」


 脇腹に突き立てられた刃から逃げるように倒れ込む。体を動かすための電気信号を、強烈な痛みが全て打ち消していた。手足の自由は全く利かない。新星を握りしめたまま、傷口を押さえるのも忘れ、ひたすら痛みの奔流に押し流されるほかなかった。

「ふっ……ふっ……! ああ、あぐ、あああああっ!」

 我慢していて収まっていくタイプの痛みではない。

 これは人為的な現象だ。羽衣の自転する血ロテートブラッドが人体に与える、最高純度の痛みという信号だ。もちろん刀による外傷の痛みもある。

 羽衣は倒れ込む計都を受け止めなかった。むしろ体をするりと逃がしていた。床に広がりゆく血液を悲痛な面持ちで見下ろしたあと、口を引き結んで計都に目をやった。

「私の番ですね……もうやめてください、ケイ」

 痛みが少しだけやわらぐ。羽衣がロテートブラッドを不活性化させたのだ。もっとも刀傷だけでも十分な激痛であることは変わりない。

「あなたは私に勝てはしない。はじめから分かっているでしょう」

 そんなことはわかっている。だから作戦も立てた。それが失敗したのは思わぬ誤算があったからだ。彼女がまさか、ロータスラヴに手を出すなんて。そして、あんな能力が発現しているなんて。

「それ、でも……」

 計都が立ち上がるそぶりを見せる。その瞬間、羽衣はロテートブラッドを活性化させた。抗い難い激痛が計都に再来する。

「いッ、ああああああっ!?」

 また地面にへばりつく。計都は叫び声を上げすぎて、呼吸をするのもままならない。雨の日に地表に出てきてしまったミミズになった気分だった。このまま痛みに溺れてしまいそうだ。

「ああ、もう……足の一本もいただきましょうかね。どうせ作れるんですし、なんだったら生身の足より性能いいですから」

 計都は返事をしない。ふっ、ふっ、ふっ、と、短い呼吸を繰り返して痛みをいなしている。しかし焼け石に水だ。

 羽衣は小さくため息を吐いた。思い付いた通り、計都の脚部を切り落とそうと、淡青の柄を持ちかえる。

 その時。

「なにも、しないなんて……でき、ないっ」

「……」

「今のあなたと、一緒のはずよ……!」

 自らを巻き込んだ欺瞞を見過ごせず、ひたすらにあがく。愛しい人を止めるため、ひたすらにあがく。理由は違えど、止まる理由はどちらにもなかった。

 狂おしいほどの痛みに歯を食い縛りながら、計都は震える手で新星を持ちかえる。計都の狙いがわかった羽衣は追撃をやめた。わざわざ自分が手を下すまでもないと思ったからだ。

 計都はなんとか体を起こして膝立ちになる。そして、自分の方に向けた新星の刃を、淡青が刺さってできた傷に突き立てた。

「ひっ、がっ、あ、あっ……!」

 計都の腹部からビシャッ! と血が噴き出す。わざと傷口を広げ、ロテートブラッドを取り除こうとしているのだ。計都の顔から血の気はますます引いていき、同時に大量の冷や汗が青白くなった肌に浮いていた。

「身が持ちませんよ、ケイ」

「いま、動ければ、それでいい……!」

「良くありませんよ……っ」

 ゲホッと咳き込む計都に、感情を無理矢理押さえ込んだ声で羽衣はこぼす。

「もう帰って治療を受けてくださいよ! あなたにその傷を素早く治す術はないし、出血も抑えられない! いくらロテートブラッドを排出するためだといっても限度があるでしょう!」

 頬に付いた長さ数センチの傷とは訳が違う。人体に深々と刺さった、致命傷にもなりうる傷だ。広げて良いものではない。

 少し痛みがマシになったのか、計都は残った片目で羽衣を見据える。その瞳は絶望に暗やんでなどいなかった。

「無駄です」

「そんなことない」

「いいえ無駄です。いまの私には、新星でできる程度の攻撃ならどんな攻撃も無意味です。出血はしませんし、傷ついてもすぐに治ります。だからケイにできることなんてない」

「そうかもね」

 計都はよたよたとした足取りで羽衣に歩み寄る。羽衣は逃げたりしない。それどころか淡青を構えもしないし、拳銃を水平にするわけでもない。いまの自分の状態に絶対の自信があった。だから攻撃を防ぐそぶりすら見せない。防ぐ必要がない。

 計都は肩を上下させながら、全身の力を振り絞る。

「はぁっ!!」


 ドズ!

 羽衣の腹部、みぞおちのあたりに新星が突き刺さる。羽衣の背中側に突き出た新星は彼女の血に染まり、夕暮れを思わせる色合いになっていて、刃が間違いなく彼女の肉体に突き刺さっていることを物語っている。

 羽衣は一瞬苦悶の声を上げたが、それでもずいぶん余裕の様子だった。

「っ……だから言ったじゃないですか、無駄だって」

 刀が突き刺さったまま、羽衣は平然と言葉を発する。決して強がりには見えなかった。

「もういい加減にーー」


 グッと、新星に力がこもる。


「うぐっ」

 傷は治る。しかし痛みはするし、斬れもする。人体は刃に、例えわずかな時間でも確実に切り裂かれるのだ。

「ふっ!」

 計都は勢い良く新星を引き抜く。

 そして刀を投げ捨てたかと思えば、羽衣の体に空いた傷が塞がらないうちにーーどぐッ!!


 自分の手を突っ込んだ。


「がはっ……! な、なにを!」

 ぐちゃぐちゃとして温かい、命の感触。ぬるり手にまとわりつくそれは、こぼれ落ちる生命力だ。肉を掻き分けて、計都は奥の方へと手を伸ばす。

 途方もない吐き気が羽衣を襲っていた。体の中をかき回される感覚は、全くの未知のそれだった。ぞくりと這い上がる悪寒、体の芯に触れる冷たい感触、ともすれば背骨をずるりと引き抜かれてしまうような気さえした。

 計都は透視の義眼・ミュオニスを起動させていた。目的の場所まで手を届かせると、そのあと勢い良く手を引き抜いた。

「がああっ!!」

 羽衣が後ろに倒れる。血が飛び散ったあとすぐに出血は止まり、腹部は瞬く間に治癒していった。呼吸こそ荒くし、口の端を赤に染めていたが、逆に言うならそれだけだ。

「ぐ、ゲホッ、ゲホッ! い、いったいなにを……!」

 口許をぬぐいながら立ち上がる。羽衣のその所作に淀みはない。腹部を押さえているのは痛むからではなく吐き気がするからだった。

 計都は返り血を浴びて血まみれだった。セーラー服は血液に染まっていない生地の方が少ないほどだった。

 カラン、と何かが床に落ちる。

 それはタブレット菓子のケースに似ていて、しかし潔白を証明したいかのように、白々しいほどに白いケースだった。それに遅れて、計都の手から小さな錠剤がこぼれ落ちる。もはや血に染まって分かりにくいが、それはピンク色をした錠剤だった。

 羽衣はそれに見覚えがある。ロータスラヴだ。先程自分でも飲んだ。計都も持っていたのかと漠然と思った。

「はは……飲むんですか、ケイもそれを」

「……いいえ」

 計都は一拍おいてから付け加えた。

「飲んだのはあなたよ、羽衣」

「は?」

 羽衣は頭上に疑問符を浮かべた。

 その次の瞬間。


 ドグン!!


 破裂してしまいそうなほどに、羽衣の心臓は強く脈を打った。










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