第36話 暗中の一閃


「短期間でよくぞここまで」


 羽衣は感嘆の声を漏らす。だが計都はまるで気を抜かない。感嘆の声を漏らせるということは、それだけ余裕があるということだからだ。こちらはといえば、すっかり息が上がってしまっているというのに。

「……時間が止まっているみたいだった」

 実際はそんなことは無い。時は万象を貫いて、途方もない速さで流れていく。

「あなたがいないのは、寂しくて、何も楽しくなくて、寒かった……苦しかった」

 楽しい時間が早く過ぎるというのなら、苦しい時間はその逆だ。計都にとって、羽衣がいない日々というのは、言ってみれば空気が薄くなったようなものだ。どこにいようが、何をしていようが苦しくて、胸が締まる。

「刀を振る時間ならいくらでもあった」

「実際に人を斬ることができる環境もあった」

「!」

 太刀筋が荒くなる。ガギィンン! と刃と刃がぶつかった。

「剣を冴えさせるにはこれ以上ない環境です」

 鍔迫りの最中、刃を交わした向こうに、光景がフラッシュバックする。

 今まで何人斬り捨ててきただろう。最初のうちは人数を数えていたが、いつしかやめてしまった。せめて名前だけでも覚えていようと思っていたが、いつしか苗字しか思い出せなくなり、いずれそれすらも忘れてしまう。覚えているのは、誰とも知らない人の恐怖、時に半分快楽に歪んだ最期の表情と、一面に広がる血の赤ばかりになった。

「どうです? 偽りの憎しみで研いだ刀は?」

 あれはテロではなかった。それが本当だとしたら、この感情は全て偽りによって生み出されたことになる。

 自分たちはソユーズを恨む必要なんてなかったし、あるいはウイルスにだって、ここまで過剰な反応をしなくてもよかったかもしれない。自分たちが誰かを傷つける力だって、持つ必要はなかったかもしれない。ただ、別の形で2人が、3人が出合い、笑い合えるような、そんな未来があっても良かったのに。

「誰のせいです?」

 誰だ? そんな未来を奪ったのは誰だ?

「私は血を汚した。あなたは瞳を捨てた。捨てさせられた。メンテナンスが必要なせいで、国や保健署の援助無しにはもうまともに生活できない有様です。我々は一生こうやって生きていく道を選ばされたんです」

 ふとした拍子、羽衣の淡青が拳銃と入れ替わった。新星を支える役割を拳銃に譲った淡青は、計都に突き立てられるかと思いきや、予想外の動きを見せた。


 淡青が、羽衣の右手首を斬り裂いた。


「!?」

 血液が噴き出す。計都の視界が赤に滲む。ダバダバと地面に落ちる重い血の音を聞いて、計都はようやく我に返った。羽衣の狙いに気が付き、すぐさま距離を取る。

「遅いです」

 羽衣が右腕を振るう。彼女の動脈から噴き出た血液は放射状に飛び散り、計都の衣服、口元、そして頬を汚した。

 これから何がおこるのか、計都はすぐさま察した。

 つい先ほど銃が擦過したせいで、自分の頬には傷ができている。そこに羽衣の血液——自転する血ロテート・ブラッドが付着すればどうなるか。

「く……あああああああっ!」

 焼けた鉄でも押し付けられたような痛みが計都を襲った。

 元からあった傷は大した傷ではなかった。しかしロテート・ブラッドは、そんな傷からも入り込んで対象に激痛を与えることができる。これは返り血を浴びた場合でも同じことが言えるため、下手に羽衣を傷つけることは、そのまま手痛い反撃を許すことにつながっていた。

「ふぅぅぅっ、フゥゥゥッ……ぐっぅぅ……」

 痛い。確かに痛い。だが耐えられないほどではない。いつかロテートブラッドを体内に流し込まれた時に比べればどうということもない。

 距離を取って左手だけで新星を構えつつ、右手で頬を押さえる。羽衣の腕が銃を構えられる状態でないことを確認すると、計都は新星を両手でつかんだ。


 スパン!


 擦過の傷を上から切った。

 相応の痛みと出血を伴うが、それと入れ替わるように、ロテートブラッドによる鋭い痛みは引いていった。

「さらに出血させてロテートブラッドも排出させましたか。傷が残りますよ」

「そんな私でも愛してくれるんでしょう」

「それはもちろんです」

 羽衣の右腕の出血は止まっていた。しかし深い傷のせいでうまく動かないらしい。いまにも銃を落としそうな様子で、小刻みに震えている。

 正直、見ていられない。いますぐ手当をしてあげたい。しかしこの程度では止まらないのだろう。やはり、決定的な何かをしなければ。

「というか、そろそろお暇させていただけませんかね。撃たなきゃいけない人がまだたくさん残っていますので……傷も痛みます」

「そんなこと許すと思う?」

 しかし戦闘能力では明らかに彼女の方が上だ。今はまだいいが、これからもっとロテートブラッドを交えた戦いを展開されると、次第に圧倒されていくのが経験から分かっていた。そんな状況の中で決定的な何かをしようとするなら、それなりの手管が必要だ。

 計都は新星をぎゅっと握る。呼吸を整え、目の前の羽衣をじっと見据えた。その気配の変化から、これまでとは違う何かを羽衣は感じ取ったらしい。彼女もすっと雰囲気を研ぎ澄まし、目の前の計都を注視する。


 そして――全ての照明が落ちた。


「!」

 アイリスを起動するとともに、計都は一気に前へ飛び出した。

 計都の狙いが分かった羽衣は応戦を試みる。しかし拳銃を持つ手はうまく動かなかった。残るは淡青だが、突然の暗闇に何も見えない。たとえ銃が使えても役に立たなかっただろう。

 羽衣の肌が微かな風を捉える。しかし遅い。

「はぁッ!」 

 計都は思い切り新星を振るった。窓から差し込む微かな光を受けて、新星はその刀身に光を纏い、超新星爆発の如き眩い一閃を放った。


 ザシュッ!!!


「……ごめん、羽衣」


 肩口で切断された羽衣の腕が、どちゃっと床にぶつかった。







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