第34話 星に願いを



『簡単な話です』


 カツカツと音が聞こえる。イヤホンの向こうで羽衣が歩いているのだ。石造りの室内に音がよく反響していた。

『あの日、病院ではニルヴァーナ・ウイルスの漏出が起こった。ソユーズさんはバイオハザード発生時のマニュアルに従って、あの病院を封鎖したに過ぎません』

 羽衣が通信に入り込んでいる今、いぶきからの指示は受け取れない。自分の判断で動くしかなかった。

 羽衣の話の真偽を考えている時間は無い。仮に本当だとしても、それを裁くにはもっと適切な形があるはずだ。

「そんな話――」

『荒唐無稽ですか? では、非常時には全ての出入口を一斉に封鎖できて、ウイルスが外に漏れないよう建物全体を減圧できる設備が整っていたのはなぜですか?』

「えっ」

 そんな設備があった? あの病院に?

『つまり、ソユーズさんは押し付けられたんですよ、責任と、それから罪を。マニュアルに従っただけなのに。あの病院と、厚生省と、この六光製薬にね』

 羽衣の目的は分かった。

 これは復讐だ。彼女の家族も、あの事件の時にウイルスの犠牲になった。だからこそソユーズを憎み続けてきたし、それがゆえに、彼女の見えた真実に触れた時、その憎しみは方向を変え、より大きく膨れ上がったのだ。

 それが計都の前から彼女を去らせ、挙句、ウイルス入りの凶弾で人を害するに至ってしまった原因だった。

「羽衣……!」

 ぐらつく前提に足元が揺らぐ。

 それでも計都が立っていられたのは、ひとえに羽衣を想ってからだった。


 だからといって、羽衣にはもう誰も傷つけてほしくない。


 計都は走り出した。

 羽衣は火崎のインカムを奪った。ということは、彼女はいま火崎がいた場所の近くにいるはずだ。計都はそこへ向かって走る。火崎がどうなっているのかも心配だ。

『許せない……場合によっては母さんだって同じ目に遭っていたってことでしょう。じゃあ何ですか、あの病院にいた人たちは実験動物ですか、トカゲのしっぽですか?』

 彼女の母親もあの病院で働いていた。それは計都も知っている。そしてソユーズから聞いた話も合わせるならば、ソユーズと羽衣の母親は同僚だったことになる。マンションの1階で羽衣とソユーズが邂逅した日、ソユーズが羽衣の「飛天」という苗字に反応を示したのはきっとそのためだ。

『都合が悪くなったら切り捨てて、なのに六光製薬と厚生省は一気に増えた罹患者のおかげで、ウイルス研究支援名目の莫大な予算を得ている……その末端が保健署で、いぶきさんで、あなたで、私だ! ケイは許せるっていうんですかっ、こんなことが!!』

「羽衣っ、話ならいくらでも聞くから!」

 どうして羽衣は、自分に何も言わずに消えたのだろう。どうして何も話してくれなかったのだろう。今のように話してくれれば、羽衣にこんなことをさせないようにできたかもしれないのに。

 そんなことを考えてきた日々だった。

 だけど今は分かる。彼女が何も言わなかった理由。

『ケイ、立ち塞がらないでください。あなたも、私も、あのテロの、ソユーズさんへの恨みが原動力だったはずです。それを失った今、あなたは私を止められるほどの力を出せはしません。絶対に!』

 そうだ。自分たちは憎しみを原動力に生きていた。

 そして原動力を同じくする者だからこそ、同じものを食べて、同じ場所で眠ることができた。


 彼女は恐れたのだ。計都が生きる原動力を失うことを。


 建物の廊下を走る。どこかから足音が反響している。

 計都はミュオニスを起動する。透過された壁の向こうに、廊下を駆ける影が浮かび上がった。あれが羽衣だ。彼女はパーティーが進行している広間に向かっていた。慌ててそのシルエットを追う。

『飛天さん』

 いぶきが静かに呼びかける。

『あなたはまだ迷ってる。これが本当に正しいのか』

『そんなことありません』

『いいえ。もっと言えば、これが正しくないとわかってる』

『そんなことないって言ってるじゃないですか!』

『じゃあなぜ、新星を置いて行ったの?』

 回答は無かった。ただ、息を詰まらせているように察せられた。

 いぶきの指摘のとおり、新星だけを置いて行った羽衣の行動は不可解だった。

 新星と淡青は二刀一対。本来であれば分かたれがたき二振りのはずだ。それをわざわざ、片方だけ置いて行くには道理が必要だ。

『離々洲さん。羽衣さんを止めなさい』

 置いて行かれた新星は、つまりは祈りだ。

『彼女は恨みを晴らしたいのと同じくらい、止めてほしいと思っている。あなたの手の中にある新星は、飛天さんの心の半分よ』

 混沌とする胸の内、そのもがき苦しみ、体を突き動かすように湧き上がる幾多もの衝動から零れ落ちた星に、羽衣が願ったのはきっと2つだ。

 また会いたい。

 そして止めてほしい。

 分かたれ難い一対の刀が、互いを引き合わせてくれることを期待して。

「……羽衣」

『ケイ……』

「私、止めるから、羽衣のこと」

『っ……!』

 ちょうど廊下が突き当たった。

 目の前の両開きのドアを、計都は蹴破るような勢いで開け放つ。その瞬間、強い光があふれ、アルコールの匂いや美味しそうな料理の香りに包まれた。突然会場に飛び込んできた少女に、パーティーの参加者たちは戸惑いを隠せない。

 時を同じくして、別の入り口からも少女が飛び込んでくる。

 ハーフアップに結われた豊かで長い黒髪、金色で縁取られた眼鏡、女性としては高めの背丈と、メリハリのついたプロポーション。右手に握られた拳銃と、左手に握られた抜き身の刃物――羽衣だった。

 羽衣は計都を一瞥した後、会場を見回した。そして会場の前方中央付近のテーブルに目を留めると、そのまま右手を持ち上げ、拳銃を水平に構えた。銃口の先には定年間近といった具合の男性がいた。

(間に合え!)

 計都はすぐさま飛び出した。幸いにも羽衣の狙いの男性がいる位置に近かった。計都はテーブルに駆け寄るや否や、料理や飲み物が乗っていることも一切関せずに、そのテーブルをひっくり返した。そして男性を蹴飛ばして横転したテーブルの天板の裏に隠したころ、天板の向こうでパン! という乾いた音が響いた。直後にバキ! と木材が砕ける音がした。

「早く逃げなさい!」

 男性の部下らしき男性を怒鳴りつけ、計都は男性の避難を試みる。


 そしてようやくその頃、パーティー会場から悲鳴が湧き上がった。






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