第29話 異常


『何かがおかしい』


 同感だった。ここ数日なにかがおかしい。

『ウイルス罹患者が出すぎてる。こんなペースは完全に異常よ』

 羽衣とマンションの1階で会った次の日から、ニルヴァーナ・ウイルス罹患者が次々と発生していた。

 ペースは2日あたりに約1人。月に1人出るか出ないかといったペースだったこれまでとは比べ物にならない。

「あの……やっぱり羽衣が……」

 心当たりはそれしかなかった。

 何らかの理由で彼女はソユーズを連れて行こうとした。しかしそれができなかったがゆえに発生しているのが今の状況だろう。羽衣はソユーズに何をさせるつもりだったのか。

『それはあくまで有力な線であって、それ以外の可能性を排除してはダメ』

「はい……」

『まあ、そういう判断はあなたの仕事ではないから、とにかく目の前のことに集中して、休めるなら休んで。今はあなただけが頼りなの』

「はい……」

『また陽咲から電話みたい。切るわね』

 こちらの返事を聞く前に、いぶきは通話を切っていた。

 彼女もかなり疲弊しているのが声からうかがえた。秘匿された部署だ。よそからの助力はそうあてにできない。この手の事件が増えれば増えるだけ、彼女の仕事量は単純に増えていく。

 それはこちらも同じだった。罹患者が一人出れば、その周囲に感染者が出ている可能性がある。検疫は別の部署の仕事だが、それでは遅い場合も多々あった。

「……」

 眠れるならば眠りたい。

 しかしベッドに横になっても寝付けなかった。いろいろなことが頭に巡って、眠るどころではなくなってしまう。窓に映る自分の顔は、数日前より少しやせて見えた。

「大丈夫?」

 窓ガラスの中で目が合った。振り返り、「飲む?」と差し出されたカップの中身はコーヒーだった。

「あんまり眠れないんだけど……」

「カフェインはストレスを軽減する。眠れない原因がストレスなら、逆に眠れるようになるかも」

 彼女はメガネをかけていた。ブルーライトをカットするものだ。パソコンを長時間操作するような時はかけているらしい。学校や外ではあまり見なかったせいか、とても新鮮だ。オフモード、という感じがする――彼女がパソコンを触っているのは基本的に仕事の時なので、実際はオンモードだ。

「一応お礼は言ってあげる。ありがと」

 彼女は嬉しそうに微笑んでからまたパソコンの前に戻っていった。彼女の隣にも湯気を上げるカップがあった。中身はたぶん紅茶だろう。


 ピリリリリリリ!


「!」

 スマホが鳴動する。相手はいぶきだ。電話に出てみると、再び出動要請だった。前回の出動から4時間も眠れないまま、計都はゆっくりとソファから立ち上がる。

「行くの?」

「ええ」

「行かなきゃダメなの?」

「ええ、そうよ」

 部屋着から制服に着替える。そしてコートを羽織った。ヘルメットを掴み、バイクのカギをじゃらりと鳴らした。

「じゃあ行ってくる。」

「一人にしていいの」

「羽衣はなぜかあなたを連れ去らなかった……本気の羽衣なら私を無力化するくらい簡単なのに。だからきっと何か理由がある。あなたが連れ去られないなにか……呼び鈴は出なくていいから」

「宅配のサインに離々洲ってサインしたかったわ」

 いろいろ片付いたらインク式のハンコを買おうと思った。



「お前、顔色ヤバいぞ」

 自分も目の下にクマを作りながら火崎は言った。

「火崎さんもクマがひどいですよ」

「私は大人だからいーんだよ」

 大人だからいいってことはないと思うのだが。

「被害者は?」

「もう移送された」

「そうじゃなくて」

「また六光製薬の関係者だ」

「というと?」

「テロの時に社員だった。いまはもう辞めてたみたいだが」

「また……」

 この数日の間にウイルスの犠牲になった人々に共通しているのは、みな六光製薬につながりを持つという点だった。そしていつかの地下鉄のホームで羽衣に銃撃されたのは、他でもない六光製薬の重役だった。この状況で自然感染が続いているだけなどという結論は出せるわけがなかった。

「パっと見るかぎり外傷はない。血液検査はそっちでやってるだろ。結果はどうだ」

「まだです」

「そうか。血液からロテートブラッドが検出されれば、あの飛天とかいうやつの犯行で間違いないんだがな」

 この連続罹患がはじまってから、保険署ではずっと罹患者の血液の検査をしていた。もし血中からロテートブラッドが確認できれば、この一連の出来事が羽衣によるものだと決定づけることができるからだ。

 しかしロテートブラッドは現状検出されていない。他の血中成分と異なり、ロテートブラッドは特定の位置に偏在させることができため、もしそういう制御がされているのであれば、時間がかかるのも無理は無かった。

 じれったい。 

 羽衣なのかそうじゃないのか、はっきりしないこの時間が一番つらい。

 彼女が犯人なら犯人でかまわない。どんな手を使ってでも彼女を止めるだけだ。受験か何かの合否判定の発表の瞬間が延々と続いているような状態が、ここ数日続いていて、それも計都の精神を蝕んでいた。

「飛天がみつかったら即連絡する。あんなやつはこっちじゃ手に負えない」

「ありがとうございます」

 彼女を止めるとしたら、自分だ。他の誰にも止められないし、止めさせはしない。

 そんな思いを胸にした計都は、痛いほどに強く、新星の鞘を握りしめていた。




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