第26話 用法用量を守ってお使いください
「――」
目覚めに吸い込む空気が冷たい。
よく晴れた朝はとても冷える。だからきっと外は晴れているのだろう。出かける予定があるので好都合だが、暖かいに越したことはない。
北の地域に比べれば、これでもずっと温暖なのだろう。しかし溶鉄もガスコンロの火も熱いことには変わりないように、今日の淀宮も寒いものは寒いのだ。一刻も早く太陽が顔を出してくれることを、街の誰もが願っている。
「……」
枕もとのスマホに手を伸ばして時間を確認する。目覚ましをかけた時間まであと数分あった。
二度寝するほどではない。目を覚ましたのでこのまま起き上がるつもりではある。ただ、もうちょっとだけこの温もりを味わっていたかった。だからスマホを手放して、ふとんの中に手を引っ込めた。外がいつもより寒いのだろうか。いつもよりふとんの中が暖かい気がした。
……いや、それにしても暖かすぎやしないか。
「え」
そして気が付いた。
ふとんの中に誰かがいた。
ホラー映画のワンシーンが思い浮かぶ。
だが状況的にそれは無い。それよりももっと心当たりがあった。
こちらの体に抱き着くように眠っていたのは他でもない――ソユーズだった。
(な、ななな、なんで)
驚き過ぎて声が出ない。目を白黒させるので精いっぱいだった。
至近距離に彼女の顔がある。冬咲きの花の香りが強い。静かに目を閉じる様は、凍土の中で悠久の時を耐えた後のような美しさがあった。そして、この美しさはこれからも朽ち果てることが無いように思えた。
(ど……どうすればいいの……!?)
叩き起こすべきだろうか、いや、このまま彼女を起こさないで逃げた方がいいような気がする。だが、そんなことができるだろうか。なにせ、今ここにあるこの柔らかな温もりの魅力は、抗いがたいほどに強烈なのだから。
とりあえず自分のことを確認する。
自分の体を見下ろす。寝間着はちゃんと着ていた。乱れている様子もない。強いていうなら上衣の一番上のボタンが外れていたのでそれだけ留めた。体にも違和感はなかった。計都は少しだけ落ち着きを取り戻すことができたため、改めてソユーズに意識を向ける。
「すぅ……すぅ……」
昨日の出来事が嘘のような穏やかな寝息。今の彼女は可憐なだけの少女だった。テロの犯人や違法薬物を取り扱うような人間にはとても見えない。何度となく浮かんできた疑問だが、一体何がどうして、彼女があのような事件を起こすに至ったのだろうか。今でも全く想像がつかなかった。
ピピピピピピ!
「!」
スマホの目覚ましが鳴動する。計都は反射的に手を伸ばし、わめくスマホを静かにさせた。
しかし急な動作がいけなかった。大きく弾んだベッドの揺れで、ソユーズの瞼がとろりと開いた。少しだけ視線を泳がせたあと、彼女の顔がこちらを向いた。
「……この部屋は入っちゃダメって言われてない」
開口一番そのセリフが出てくるあたり、計画的な犯行だった。言い訳まで考えてから潜り込んだに違いない。
「ケイトが起きる前に抜け出すつもりだったんだけど、心地良過ぎて無理だった」
家具量販店へと向かう道すがら、ソユーズは悪びれもなくつぶやいた。
「ケイト、温かかったし」
「人を湯たんぽ代わりにしないで」
計都はがぜんやる気になっていた。今日は何としてでもベッドを購入し、彼女の部屋に設置しよう。もうベッドに侵入する口実を与えないためにも、一刻も早く用意しなければ。
「今日はどこに連れてってくれるの」
「ハーバーアイランドに家具の専門店がある」
「ホームセンターとかのでもいいのだけど」
「たしか即日配達してくれるから」
「……別の店にしましょう。わたし、天蓋付きのベッドじゃないと寝れない。量販店にあるとは思えないわ」
戯言は無視した。
淀宮駅から電車に乗る。電車はこの街に走る他の多くのそれとは異なる進路、つまり南に向かってのびる線路の上を走り始めた。計都たちが間もなく海を視界にとらえると、電車はそのまま海を渡り始めた。この海の向こうにはハーバーアイランドと呼ばれる広大なウォーターフロント、すなわち埋め立て地があり、その上には多くの商業施設や学校、病院、ミュージアムなどが立ち並んでいる。家具量販店もそのうちの一つだった。
家具量販店に到着すると、建物内には建物が浮かび上がりそうなほどの暖気が溢れていた。制服の上にコートを着て、さらにマフラーを巻いていたが、計都とソユーズは店に入るや、マフラーを外してバッグにしまった。
計都はメモしておいた部屋の寸法を確認しつつベッドコーナーに向かった。部屋に収まりが良さそうなサイズのベッドを計都が見繕うと、ソユーズはその中から無難な、悪い言い方をすれば面白みのないシングルベッドを選んだ。店員に確認すると、在庫もあるため今日の夕方までには家に届くそうだ。敷布や掛布団、まくらといった諸々も難なくそろい、今日の目的は早々に達成してしまった。
他にも何かと入用な物が入手できた。ソユーズが使うための机などの家具、食器類、タオルなど、こまごましたものでカートが埋まっていった。
「お金、自分で出せるから」
「ソユーズ」
「?」
「餞別よ。何か欲しいものある?」
「ケイト」
「そうじゃなくて」
計都は店内を見回しつつ。
「あなた、紅茶とか飲むんじゃなかったかしら。そういう道具とか、あとは例えばサメのぬいぐるみとか」
山積みになっているサメのぬいぐるみを指さしてみる。ソユーズは一瞬それに視線を向けたが、全く興味はなさそうだ。
「紅茶は正直急須とかでもなんとかなるけれど……かといってこだわり始めるときりがないから」
もしかしたら彼女の御眼鏡にかなうような茶器が無かったのかもしれない。
「ティーセットは何かのついでに坂の上から回収してくる」
「それならそれで」
二人はレジに向かう。するとその時、ソユーズがふと足を止めた。
「……」
彼女の視線は何かに釘付けになっている。カートで彼女を轢きそうになった計都の抗議の視線にも気が付いていない。
視線を追ってみる。すると家には無いが、機会があればほしいなと思っていたものがあった。
「ケイト、せっかくならあれがいい」
なるほど、たしかにあれは良いものだった。家族がいなくなってから使う機会が無かったが、記憶の彼方やDNAの奥底に刻まれて消えない思い入れがある。
「一度使ってみたかった」
「さすがはソユーズといったところかしら」
「どういう意味」
「あれには中毒性がある。依存性が高くて、一度使ったらなかなかやめられない」
「噂には聞いていたけど、そんなに?」
「ええ。あなたも気を付けた方がいいわ」
ごくり。
ソユーズが息を飲んだのがわかった。
彼女は恐る恐る陳列棚に近づき、注文票を1枚取り上げる。これを近くの店員に渡すと、奥から在庫を持ってきてくれる仕組みだ。彼女は注文票に間違いがないか確認すると、近くの店員に声を掛けた。店員はすぐに奥へ引っ込み、またすぐ戻ってきた。大きな箱を抱えていた。店員は笑顔で言った。
「こちらがコタツですね! お買い上げありがとうございました!」
この冬、家で足元の寒さに悩むことはなさそうだ。
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