第23話 油を水に火に
「ずいぶんと派手に暴れたなぁおい?」
「す、すみません……」
思いっきりメンチを切られていた。普段からしかめっつらが多い火崎が、さらに眉間にシワを寄せている。ただ表情はともかく、近くで見ても火崎さんは綺麗な顔をしているな、なんてのん気な感想が浮かんでしまった。
「処理された罹患者の対応だけでも大変なんだぞ。それなのに罹患者じゃない連中の対応なんて冗談じゃねー。残業代出せよオラ」
「子供にたかるのはやめなさい、陽咲」
自分の席に座るいぶきが陽咲を制止した。彼女も穏やかならぬ心境のようで、机の上に置かれた指はこつこつとその場を叩いている。
ここは保健署だった。つまり計都やいぶきの事務所だ。いぶきや計都の席のほか、応接用のソファとローテーブルもあったりする。
「学外の警護はあなたたちの担当でしょう。一人でよく切り抜けたと褒めるならまだしも、恨み言を言うのは筋違いよ」
「公安のヘマなんて知るか」
「お仲間でしょう」
「あたしに任せてくれればあんな風にはならねーんだけどなー、あー残念だなー」
「だいたい、何でジャンキー
「こっちのせいにすんなよ。どっかの役所のどっかの部署が、職員に日本刀持たせて歩き回らせてるから目立ってるんじゃねーのか?」
「難癖はやめてちょうだい」
「そっちこそ八つ当たりやめろや」
「あの」
蚊帳の外だった少女が声を上げる。
「すみません、わたしのせいで」
その声には温度がない。冷たくすらないのだ。新雪のような白銀の髪を持つ少女から吐き出されるには違和感があった。グラスに入っていた氷の、その中に一つだけガラスのブロックが混じっていたみたいだった――と感じたのは、普段のソユーズを知る計都だけだ。
「……」
「……」
「あー……、いや、お前のせいってわけじゃぁないんだが……」
ソユーズは音もなく立ち上がって、いぶきの前に歩み出た。
「はじめまして。わたしがソユーズ・シルダリヤです。ケイトをわたしの警護にあててくださって、ありがとうございます」
ソユーズを見定めるように眺めた後、いぶきは返答した。
「礼には及ばないわ。うちも人手不足でね。今は誰に貼り付くにせよ、離々洲さんしか動けなかっただけ」
「そうなんですか。それは運命の力を感じますね」
ソユーズはこちらを振り向いて微かに笑みを浮かべた。
「ケイトがいてくれて本当に良かったです。わたしが一人で家に帰っていたら、無事ではなかったかも」
「彼女には学内での警護だけを任せていたんだけど、外でも一緒にいてくれてるみたいね。お互い思うところはあると思うけど、うまくやってほしいわ」
「お前、なんであんなテロを起こした?」
陽咲がソユーズに尋ねた。話の流れも何もあったものではなかった。
「わたしの口からは言えません」
「じゃあ誰の口からなら言えるんだ?」
「あの時の出来事を正確に知る人は、あまりいないと思います」
「そりゃそうだ。あの場所にいたヤツらは、今はほとんど封印病棟にいるからな」
「過去のことは今はいいわ。それよりもソユーズさん。あなたの持っていたロータス・ラヴは、一体誰から供与されたものなの」
「この国の政府からです」
「そうね。あなたが離々洲さんに渡したロータス・ラヴの品質はとても均質だった。とてもじゃないけど、個人や反社会組織が製造できる範疇は超えていたわ。となると、残るのは政府やどこかの製薬会社くらいしかない。これを作っているのは誰?」
「それを最初に作ったのはわたし」
「「「!」」」
「3年前、わたしはニルヴァーナ・ウイルスの無力化を試みていました。その過程で、実験のためにニルヴァーナ麻薬を取り出し、精製しました。わたしは精製ニルヴァーナ麻薬に価値を感じませんでしたが……わたし以外の誰かはそうではなかったみたい」
「……誰かが実験を引き継いだ?」
「麻薬成分無力化については当然に。そして精製ニルヴァーナ麻薬の研究はわたしがすることになりました。それがわたしが、あの封印病棟でこの2年間やっていたことです」
「人の家族で何してるのよ!」
「離々洲さん、ちょっと」
「それはあそこにいた人たちから麻薬成分を取り出したってことじゃない!」
ソユーズと一緒に過ごすことで誤魔化されていた怒りが、再び計都の中で燃え上がる。彼女はいぶきの話を遮ってソユーズに詰め寄っていた。ソユーズの制服の胸倉をつかみ、炎を宿した瞳で睨みつける。
「……ごめんなさい」
ソユーズは視線を逃がしていた。まさに計都に合わせる顔が無いのだ。
「まぁ落ち着け。檻の中じゃあ、相手がその気になれば交渉も何もあったもんじゃねえしな。仮に釈放とかが条件ならつい手も出ちまうもんさ」
「警察がそれを言う?」
「おっといけね」
「……」
火崎になだめられた計都は手の力を緩める。そしてソユーズには何も言わず、
「2年間の成果は?」
「ロータス・ラヴを完成させました。わたしはその功績と、ロータス・ラヴを使用することによって得られる情報を政府に提供することを条件に、わたしは今ここで外の空気を吸っています」
「あなたが今日狙われたのは、ロータス・ラヴの製造方法を知りたいから?」
「そうかもしれません」
「ロータス・ラヴの製造は今は誰が?」
「わかりません。ですが、候補はそれほど多くありません」
「例えば?」
「六光製薬」
即答だった。
いぶきは考える素振りを見せた。驚いているような様子ではない。想定した回答だったのだろう。沈黙が長かったせいか、火崎が尋ねる。
「おいいぶき、どうする気だ」
「ロータス・ラヴの運用を政府が主導している件は追わない。国益のための政府の非合法行為は少なからず行われる――この防疫課みたいにね。ロータス・ラヴはおそらく軍事転用とかを想定してる」
「じゃあ追う方は何だ?」
「ロータス・ラヴが政府以外に流れてる。それは問題」
「なるほど。じゃあこっちもその線で行くかぁ……」
くしゃくしゃと頭を掻いて、火崎はソファから立ち上がった。
「おいソユーズとやら。家まで送って行ってやる。ついて来い」
「いいんですか?」
「ああ。こいつらトラブル呼ぶからな。あんまり一緒にいない方が良いぞ」
と、そんな場面にいぶきが割り込んだ。
「ちょっと待って」
「あん?」
「そのことなんだけど―― 離々洲さん」
「?」
いぶきが計都の方を見て言った。
「今日からソユーズと一緒に暮らしてくれる?」
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