第22話 過ぎたるは
「何でこいつがロータス・ラヴを……!」
痛む腹部を押さえながら、計都は男を睨んだ。男はこちらに目もくれず、上半身の服を脱いで空に向かって歓喜の声を上げていた。
「これで! この力で! より多くを救えということなのですね!? ああ……ああ! 私はついに天啓を得た! オオオオオ!!」
どういうわけか刃が通じない。皮膚が硬質化している? 刃をはねのけるほどに? デタラメ過ぎる。これがロータス・ラヴの、ひいてはニルヴァーナ・ウイルスの力なのか。
「ケイト!」
「出てきちゃダメ!」
ビクリとソユーズが委縮する。バイクの影からひょこりとのぞいた顔の眉はハの字に下がっていた。しかし彼女のフォローしている暇はない。下手に逃がすよりそこでじっとしていてくれた方がマシだ。計都は刀を持ち直しつつ尋ねる。
「どこでそれを手に入れたの!」
「あ? もらったんだよぉー、いやあ~良いものもらったなぁ~」
「一体誰から?」
「これは天上の恵みさ。空から降ってきたんだぁ、ふひ、フヒハハハ!」
「脳が壊れる前に答えなさい。さもなければ――」
「そんなことよりさぁ……」
「?」
「キミも救済してあげるよおおおおお!!!!」
「!?」
なんの芸もない突進。こちらにつかみかかる動きの速いゾンビのようだった。普通なら前方に刀を突き出してしまえば終わりだが、刃が通らないならそうもいかない。計都は相手の左手へ抜けながら、相手の腹部に刀を這わす。しかしケーキ用のナイフでプラスチックを撫でた時のような感触しか得られなかった。当然相手の肌に傷はついていない。
「くすぐったいなぁ、もう!!」
「うぐっ!?」
男が腕を水平にぶんまわす。右前腕で計都の側頭部を殴打する軌道だった。計都は刀で受けたが、男の腕は切断はおろか傷一つついていない。信じがたい光景に理解が追いつかなかった。
計都は男の腕を押し返す。また掴みかかられそうになったので、すぐに距離を取った。
(斬ってだめなら……!)
納刀して新星を両手でつかむ。そして素早く男の懐に飛び込んでから、ドン! と柄の尻で男のみぞおちを突いた。
しかし、全くダメージは入っていなかった。
「だからぁ! 効かないっていってるでしょぉ!!」
「あぁっ!?」
ゴン!
上からの衝撃。重ねた拳を振り下ろされた。重い力は計都の体を押し崩し、彼女をそのまま地面に叩きつけた。これで終わるわけがないと分かっていた計都は、すぐさま地面を転がり男から離れる。体を起こすと、一瞬前まで自分がいた場所に思い切り男の足が踏み下ろされていた。
(どうする……!)
刃はおろか打撃まで受け付けないなど異常だ。他のどんな素材でも刃で傷くらいはつけることができるし、打撃なら内側への衝撃を無視できないはずだ。人体というそこそこの弾力性を備えた下地が影響しているのだろうか。
改めてロータスラブの、そしてニルヴァーナ・ウイルスの力を思い知る。あれだけ厄介な性質を持つウイルスが、使い方次第ではここまで人体の力を引き出すとは。ソユーズの未来視もいよいよバカにできなくなってしまった。
(全ての皮膚が硬質化しているなら身動きも取れないはず。だったら……)
計都は再び刀を抜く。刃が夜に冷たく光った。
(目か関節!)
再びこちらに掴みかかろうとする男をいなす。そしてすれ違いざま、男の右ヒジに刃を滑らせた。
男の皮膚が裂け、新星の刀身が血濡れていた。
「ギャアアアアアアアアア!!!」
「やっぱり」
人体が動作する際に柔軟性が求められる関節部分は、やはり硬化していなかったようだ。
「なっ、なぜだあああああ! なぜ斬れるんだああああ!?」
「知らなくていい。もう次は無いから」
「そんなはずはない! そんなはずはないいいい!」
男は泣き叫んだ。先ほどまでの高揚感がまるで無かったかのようだ。顔は青ざめ、手先は震えている。いや、震えているのは腕が斬られたからかもしれない。
「バカなバカなバカな、僕は救済をするんだ。僕はその役割を与えられたんだ。多くの、より多くの救済を。より多くの、多くの……」
男はズボンのポケットをあさる。取り出したのはタブレット菓子のケースだった。震える手でケースを開けると、中身のピンク色の錠剤をざらざらと口に放り込んだ。
「!」
バリボリと錠剤を咀嚼する。口の中身をごくりと飲み込むと、男は満足げな笑みを浮かべた。
「ははは、これで、これでもっと力を……もっと救済を、もっと……!」
だが、次の瞬間。
「……ぁ?」
男がぐらりと体勢を崩し、そのまま地面に倒れた。
「は? あれ? 体が……」
体が動かないようだ。
原因は予想がつく。ロータスラヴを過剰に摂取したせいで、関節の皮膚まで硬化してしまったのだろう。体が動かなければバランスも取れはしない。
顔の皮膚まで硬化してしまったのか、男は口も動かせなくなった。今は動く喉で声を出しているが、言葉にはなっていない。
「ソユーズ」
ソユーズがバイクの影から顔を出す。相変わらず心配そうな顔だった。
「ケイト、大丈夫?」
「私は平気。それより、ロータス・ラブの効果はどれくらいで切れる?」
「人によるけど、10分弱くらい」
「じゃあ急いでもらわないと」
計都はスマホを取り出していぶきにダイヤルする。
「ええ。ロータス・ラヴをあんなにたくさん飲んでいた。副作用が出てしまうかも。余計に急いだほうがいい」
「副作用?」
「発熱、発汗、動悸、吐き気、意識の混濁、呼吸困難、心停止……命に係わるオーソドックスな副作用が出るわ。発現した能力が暴走する場合もある。この人の場合は、心臓や肺まで硬化するかも」
死なれては困る。こいつは重要な情報源だ。洗いざらい吐いてもらう必要がある。
いつまでも応答のない呼び出し音がじれったかった。
「あ、いぶきさん。お疲れ様です。救護をお願いし――」
パァン!!
「!?」
音がしたときにはもう遅かった。
倒れた男の右眼窩がつぶれて出血している。そう思ったのもつかの間で、男の右眼からは植物が芽を出していた。
「!!」
放たれた弾丸は、以前見た、羽衣が駅で使ったものと同じもののようだった。銃撃を受けたものをニルヴァーナ・ウイルスに感染させる、忌々しい弾丸だ。
顔を上げる。黒塗りのセダン車が猛スピードで走り去っていった。とっさに追おうと思ったが、しかし芽吹き始めているニルヴァーナ・ウイルスを放ってはおけない。これ以上のウイルスの成長を防ぐため、計都は男を絶命させようと試みる。刀を手に取り、男の喉を掻き斬ろうとして――それができないことを思い出した。男の皮膚は硬質化していて、もはや刃は通らない。
「くっ……ソユーズ、こっち!」
彼女の手を取って男から距離を取る。そうしている間にもウイルスは成長を続け、ほどなくして男に大輪のロータスが花開いた。彼の言葉を借りるなら、彼は救済されたのだろう。計都はなんの同情も抱かなかったが、ソユーズは少し悲し気な表情を浮かべていた。
計都はいぶきへのオーダーを変更した。
「移送と封鎖、それから除染の手配をお願いします」
通話を終了した後、セダン車が消えていった方を睨みつつ、計都はぽつりとこぼした。
「誰だったの、一体……」
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