第19話 夜はまだ終わらぬ
「トラブルが起きる未来は見ていないんじゃなかったの!?」
二人が乗るスクーターは、今まさに猛スピードで坂を下っている。ヘルメットの隙間から吹き込んで顔を刺す風はひどく冷たかった。
「そうか、あなたと一緒にいる時の出来事だから見えなかったんだわ」
「政府との取引なんてやめたら!?」
「まぁ、未来なんて見えないのが普通だから」
腹を立てるのは彼女の能力をあてにしていた証拠だ。そんなことは認めたくないので、計都は心の奥にむりやり怒りをしまいこむ。
「……! 追って来てる!」
サイドミラーにヘッドライトが映り込む。目が眩んだ。前方の路面に自分達の影ができていた。追っ手の車はハイビームを投射し、信号も追い越し禁止も逆走もお構いなしで追って来ている。行き交う全ての車に急ブレーキを強要していた。
交差点を黄色信号で左折する。
「このまま二人で世界の果てまで逃げる?」
「お断りします。この先は渋滞してるはずだから、車では追って来れない。そこで撒く」
淀宮駅へ向かう幹線道路はいつも混雑している。夕刻となればなおさらだ。計都の予想どおり、目の前に渋滞の最後尾が見えてきた。このまま淀宮駅の北口まで抜けて、追跡を振り切ってから保健署に逃げ込めば良いだろう。
「!」
目の前にワゴン車が飛び出してきた。計都たちの行く手を遮るように現れたそれは偶然ではないだろう。先回りされていた。
「くっ」
渋滞に突っ込むのを断念して右折する。対向車に思いきりが急ブレーキを踏ませてしまった。
繁華街に入った。夜の繁華街は歩行者天国のようになっていて、バイクや自動車はスピードを出せない。追う方も逃げる方も条件は同じだ。
「! あいつら徒歩で追ってきた!」
人並を掻き分けて迫る影。通行人を突き飛ばしながら迫ってくる。人だかりで速度が出せないスクーターより速いかもしれない。手には警棒のようなものを持っていた。
「ケイト、前!」
「!」
進路をふさぐように佇む人影。スーツを着たサラリーマン風の男だ。その体がスクーターのライトに照らされるや否や、男はビジネスバッグを手放し、伸縮式の警棒を取り出した。迎撃の構えだ。クラクションを鳴らすが避ける気配はない。
「ああもう!」
計都は背中のバッグから新星を取り出す。刀身は鞘に納めたままだ。
すれ違いざまに男が警棒を水平に振る。ボールを打ち返すバットのように、計都の頭部を狙っていた。
もちろん黙って殴られる計都ではない。鞘で警棒を受けたあと、そのまま男を新星で叩き伏せた。純白だった新星の柄に血痕がにじむ。
「スクーターで良かった」
クラッチ操作のあるマニュアル車ではこうはいかなかっただろう。
「ソユーズ! 後ろから追ってくる人数は分かる!?」
「たぶん、4」
4人。それならたぶん何とかなる。
このまま追われると繁華街を抜けたところに先回りされる恐れがある。こちらの動きが別動隊に伝わらないよう手を打ちたい。
計都は人通りの少ない脇道へ曲がる。そして建物と建物の間の細い路地にスクーターを突っ込んだ――バイクのリアが路地からはみ出るようにして。
「?」
「来て」
ソユーズと計都は近くの建物に身を隠す。自分たちを追ってきた連中が現れた。連中の年齢層はそろっておらず、服装もスーツだったりジャージだったり革ジャンだったりいろいろだ。どういう集団なのか見当もつかない。あるいはそのための偽装なのか。共通しているのは警棒や刃物といった凶器を持っていることだけ。
彼らがスクーターのリアを見つける。それで隠れているつもりか、所詮は子供だとでも言いたげな下品な笑みを浮かべた。彼らはそのまま無警戒にスクーターに近づいて行った。その姿を眺めつつ息をひそめる。
まず背後から近づいて一人。口元をふさいで喉を引き斬る。物音を立てないようにそっと地面に横たえた。そしてまた一人を背後から襲う。こちらの足音で振り返りかけたので、口をふさぐ前に喉を一突きにした。血が噴き出し、地面にダバダバと滴って血だまりを作った。計都も無事ではなく、顔や衣服に血飛沫を浴びた。しかし気にしている場合ではない。
喉を一突きにされた男が地面に倒れる。その音で残りの2人が振り向いた。罠にはめられたことに気が付いたのだろう。激昂して襲い掛かってきた。
男が包丁の切っ先をこちらに向けて突っ込んでくる。完全にこちらを刺し殺す気だ。計都は包丁を新星でいなしてから、右拳で男の鼻面を殴りつけた。男はその衝撃で背後に転倒。後頭部を地面に打ち付けて昏倒した。
殺気に振り返る。残った男が警棒をこちらに振り上げていた。計都は新星を手元に引き寄せて受け止める。
「……ッ!」
ハッとして身を引く。次の瞬間、警棒がバチバチと嫌な音を上げた。電流が流れているようだった。スタンガン機能付きの警棒だ。あのまま鍔迫り合いをしていたら感電は免れなかっただろう。
「!? ソユーズ! やめなさい!」
両眼を見張って計都が叫ぶ。視線は男の背後に向けられていた。男が慌てて振り返ると。
「なんてね」
計都は男を背後から串刺しにした。心臓を一突きだった。今のセリフはブラフだ。新星を男の体か引き抜き、血液を振り払ってから鞘にしまった。さきほど昏倒させた男は、男が持っていた包丁でとどめを刺しておいた。
「ソユーズ、もういいわ」
建物に隠れさせておいたソユーズを呼ぶ。そっと顔を出した彼女は、予想に反して不安そうに眉を下げていた。
「ケイト、ケガはない……?」
「ええ」
「そう、良かった……本当に良かった」
彼女が勝手に計都の手を取る。いまや血濡れたそれを、ソユーズはためらいなく握っていた。ソユーズの白い手が赤黒く汚れていく。ぎゅっと握られた手は痛いくらいだった。
広い通りの方でクラクションが連打されている。同時にサイレンの音が近づいてきていた。
「行きましょう。まだ追ってくると思う。警察にも会いたくない」
「……ええ、ええ。分かってる、どこまでもついて行くわ」
そんなことは求めてないのだが。
わざわざツッコむ必要もなかったので、計都はそのままスクーターを引っ張り出した。そんな計都のコートの裾をソユーズが掴んだ。
「わたしにできることがあれば言ってほしい」
「当然よ。協力してもらうわ」
2人がスクーターにまたがったころ、通りの入り口にヘッドライトの光が射す。
「長居しすぎた。出す!」
スクーターは再び走り始めた。赤いテールランプが闇夜に軌跡を描いていた。
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