第18話 鬼はどちらか



「バイクなんてそんなにいいものじゃない」


 ヘルメットは自分のを貸した。ソユーズが使ったと知ったら、羽衣は怒ると思うから。

「雨に濡れるし、冬は寒いし、夏は暑い。なにより事故を起こすとほぼ100パーセント怪我をする」

「どうしてそんなものに乗っているの?」

「生活に必要だから。大人がいないから、生活に必要なものは全部自分たちでそろえなきゃいけない。だから移動手段が必要だった。いくら都市部だっていっても、電車とかバスでは限界がある。あとは仕事で使うのに便利だった」

「ふぅん……つまりその羽衣って人の影響なのね」

「そんなこと一言も言ってないけど!?」

 ちなみに図星だった。

「も、もともとあの子が原付に乗ってて? 便利そうだなーって思っただけで? 別にタンデムして抱き着いたり抱き着かれたりしたいとかそういうのじゃなくて?」

「はいはい。全然聞きたくないわそんなこと」

 言い訳をしている間に、ソユーズは計都より先にエレベータから降りて行ってしまった。

 エントランスを抜けて通用口から駐輪場に出る。太陽は空からいなくなっていて、街は一層冷え込んでいた。コンクリートで囲まれた駐輪場は余計に寒い気がした。

 ヘルメットをかぶる。スクーターを引っ張り出してまたがったあと、ソユーズを後部座席にまたがらせた。誰かが自分の背後に乗っているのは、羽衣が失踪して以来のことだった。自分が同乗者の命を預かっているという重責に緊張感を覚えるのと同時に、信頼されていなければ得られない同乗者という存在の尊さを実感する。もっとも、今の同乗者はソユーズであって、彼女からの信頼など全く不要なのだが。

「乗せてあげるけど……変なコトしたら振り落とすから」

「待って……ケイトに抱きつく? 合法的に? ……なんて望外な幸福なの。緊張してきた」

「自分で乗りたいって言ってたのに……? 本当に危ないんだからね」

「あなたと死ねるなら本望だけど」

「もう振り落として良い?」

 エンジンを軽くあおって合図してから、計都はスクーターを前進させた。

 


 ソユーズが駄々をこねたので、少し遠回りをしてからソユーズ邸へ向かった。本来であればすぐに北に進路を取ればよいのだが、南の高架をくぐって海沿いの道を流してやると、ソユーズは嬉しそうな声を漏らした。イルミネーションが施された街が、煌びやかに流れていった。

 隣の車両の窓を横目に見る。物珍しそうに辺りを見回すソユーズが映っていた。ひとたびスクーターがスピードに乗ると、ソユーズの白銀の髪がキラキラと風にたなびいた。この街で最も美しいイルミネーションのように思えた。

「綺麗ね。星空みたい」

「こればかりは何度見ても見飽きないわね」

「ケイトはこの街は長いの?」

「それは、まぁ、生まれた時からこの街にいるし」

「初めて来たときは驚いた。ところどころ日本とは思えないような街並みがあって、わたしみたいのが紛れ込んでも居場所があるような気がした。整備も行き届いていて、居心地がよかった」

 整備の行き届いた街並みの裏には、それなりの悲劇が隠れている。再び立ち上がり、そして長い時間歩いてきた街に、最近また悲劇が上塗りされた。彼女はそのことを知っているのだろうか。

「この街が好き。またこうして見れて嬉しい」

「……私はそうでもない、かな……」

 背後で呼吸が止まったのがわかった。ウエストに回された腕に力が込められた。

「それは……どうして?」

「あまりいい思い出、無いから」

 思えば街中、イヤな思い出ばかりのような気がする。家族との記憶を思い出す度に、ウイルスに罹患した家族の姿を連想してしまう。家族との思い出も、家族との思い出の場所も、ウイルスに汚染されてしまったような気がしていた。

 ソユーズは沈黙した。しかししばらくして、スクーターのやかましい風切り音にまぎれて、彼女は小さくこぼした。少し後ろにのけぞって空を見上げていた。

「……神様、どうか彼女に救済を」

 こちらに聞こえているなどとは、たぶん少しも思っていないだろう。スクーターのスロットルを、計都は普段より少し多目に開いた。スクーターは、先ほどよりも強く風を切る。



 ソユーズ邸への坂道も、中型スクーターはあっさりと駆け上がった。「下り坂も降りてみたい」といわれたので、ヘルメットの後頭部で頭突きしておいた。

 近所の道は自動車ではやや狭く感じるだろう。しかしスクーターには十分な幅員だ。計都たちは淀みなく、スルスルと住宅街を通り抜けていった。家々に明かりが灯っていて、きっと幸せな家族が食卓でも囲っているのだろう。うらやましかった。そしてその幸福な時間が、少しでも長く続くことを計都は願った。

 ソユーズの家の前に着いた。ハザードを炊いて路肩にスクーターを寄せ、近所迷惑なのでエンジンを切る。それを合図にソユーズは後部座席から降りた。ヘルメットを脱ぎつつ、水をかぶったネコのように頭を振ると、彼女の髪がさらさらと揺れた。

「ありがとう。寒いから、お茶でもどうかしら」

「結構よ」

「ふふ、そういうと思った。じゃあまた明日。お大事にね」

 ヘルメットを計都へ手渡した後、ソユーズは軽く手を振ってから身を翻す。その背中を眺めつつ、計都は彼女の家に視線を移した。


 家の前に車が数台止まっていた。

 そして今まさに、何者かがソユーズの家の玄関を開けようとしていた。

 家主に断る気配もなく、ひっそりと。


「ソユーズ」

 言ったと同時か少し早くか、ソユーズは再び身を翻していた。

 ヘルメットを投げ渡す。ソユーズは素早くヘルメットをかぶると、身軽にスクーターへ飛び乗った。すぐさまスクーターに火を入れ直す。エンジン音が鳴り響いた。ソユーズの家に侵入しようとしていた何者か、その全員が、顔を上げてこちらを見た。

 黒い影が、一斉にこちらに向かって駆け出した。

「しっかり掴まって!」

 スクーターが急発進する。2人の体にGがかかる。自分のウエストに回されたソユーズの両腕が、ぐっと体に沈んだのがわかった。路駐されていた不審車両の脇をすり抜け、計都は道が豊富な南に進路を取る。不本意ながら、バイクで『下り坂も降りてみたい』というソユーズの希望を叶えてしまうことになりそうだ。





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