第15話 ロテート・ブラッド
「飛天さんの機身は【
いぶきはバサリと資料を差し出した。受け取った火崎は真剣なまなざしで文字列に視線を走らせる。次第に曇っていく表情は、その機身の厄介さが容易に想像できるからだろう。
「
「機身はどれも特殊だが、これは特に変わり種だ……飛天羽衣がこんなにやばいヤツなら先に言え。職質で引っかかってもそこらの警官じゃ対応できねぇ」
「それは謝るわ。ごめんなさい。
こう言ってはあれだけど、飛天さんがウイルスを悪用してくれたのは好都合だった。おかげで完全に
「使えるものは全部使うお前のやり方、間違っちゃいないが褒められたもんじゃねぇ。そのうち自分が材料にされるぞ」
「その時はその時よ。報いが来たとでも思うわ」
「チッ……死人が出たって、殺したヤツは分かってるのにどうしろと。もみ消しの方が骨だってのに……」
「何のために未成年を実行部隊にしてると思っているの? いざという時に誤魔化しやすくするためでしょ。うまくやって」
自分のことを言っている。それだけは理解できる。しかし何かを言い返そうとか、補足しようとかは思わない。そんな気力はなかった。体はヘドロのように重く、思考も曇天のようにはっきりしない。計都にできることといえば、ぼうっと天井を眺めることぐらいだった。
キスをしている拍子にロテート・ブラッドを体内に流し込まれ、体の内側から攻撃を受けた。搬送された病院で胃の洗浄を受けて、ロテート・ブラッドを体内から排出したが、受けたダメージは残っている。身体的にも、精神的にも。
いや、精神的なショックの方が大きい。ようやく会えたと思ったのに、まさか拒絶されるなんて。
「死人で思い出した。被害者は
「六光製薬……」
「黒い噂はいろいろある。しかしまぁ正直、陰謀論の域を出ない。ニルヴァーナ・ウイルスとは切っても切れねぇところではあるがな」
火崎のスマホが鳴動する。表情から察するに職場からの電話らしい。
「できるだけ協力はする。だがこっちは麻薬だけ追ってりゃいいってわけじゃない。あまり期待すんなよ。じゃあな」
火崎は病室から去った。彼女の足音が聞こえなくなったころ、いぶきがぽつぽつと話し始める。
「いつでも退院して良いそうよ。といっても、胃の洗浄は負担が大きいから今夜は泊っていくのをお勧めするって。私も同意見ね」
「……いぶきさん」
計都はソユーズから聞いた話をいぶきに教えた。悲劇の雨、世界の終わり、ロータス・ラブ、未来予測、政府との取引、的中した未来……どんな反応をされるかが怖くて、いぶきの方を見ることができない。
話し終わったあと、いぶきはいつも通りの表情だった。計都の顔を見つめてじっと何かを読み取ろうとしているが、最終的には結論は保留になったらしい。半信半疑の顔をしている。頭の片隅に参考程度に置いておこう、といった感じだ。
「そのロータス・ラブとやらを渡してくれる? 署で調べてもらうわ」
「たぶん、制服のポケットに」
ハンガーにかけてあった計都の制服をいぶきがあさる。スカートのポケットからタブレット菓子のようなケースを取り出した。
「……かなり多い。たしかにそこそこの組織のバックアップが無いと、この量の麻薬を用意するのは難しいと思う。あなたは飲んでみた? 感染性も依存性も無さそうだけど」
「のっ、飲みませんよっ」
いぶきはケースを開き、手のひらの上にロータス・ラブをいくつか転がす。
「均質ね。規格化されて、ちゃんとした設備で作ってる。輸入品かしら」
「……」
ものは試しと飲んでしまいそうないぶきを、計都は
「他にも出回ってると思いますか?」
「ソユーズの話を信じるなら、全く出回っていないと考えるのは楽観的過ぎるでしょうね」
「何か対策は……」
「現時点では何も思い浮かばない。けどこういう薬物が存在して、想像を超えた能力を持つ人間に対処しなくてはいけないかもしれないと覚悟しておくだけでも違うはずよ……陽咲にもさっき渡しておけばよかった。警察にも共有しておいた方がいいし、あとで流しておくわ」
「お願いします」
「それと、今後はこういうことは先に報告すること」
「うっ……はい」
不確実で妄言めいた内容だったため、計都はいぶきに報告できずにいた。仮に駅で会ったのが羽衣でなければ、いくらかマシな形で報告できていただろうに。
「……羽衣の目的は何なんでしょう」
「わからない。六光製薬はニルヴァーナ・ウイルス研究では国内最先端よ。保健署も時々協力してもらっている。感謝こそすれ、恨むことはないと思うけれど」
「……」
「バカなこと考えないで。強引な動きは軋轢を生む。当てが外れた時のリスクも大きい。まずは探りを入れるから、あなたは大人しくしていて」
本当なら六光製薬に乗り込んだり、家宅捜索でもしたい気分だ。羽衣に辿り着くための手がかりがあるかもしれないなら、なおさら。
「……わかりました」
「新星は置いていく。ケースからは出さないように」
「朝食で分厚いお肉が出ても? ―― いたっ」
コツン、と側頭部に拳が当たる。
「冗談が言えるなら大丈夫そうね」
「すみません、ご心配をおかけしました」
「……まだ別の心配はしてるけどね」
「え?」
いぶきは自身の左肩のあたりを指さした。
それにつられて計都も自分の左肩に手を伸ばす。触れた瞬間、にわかな痛みが走る。そして思い出した。自分はいま制服姿ではなく、首筋まで隠れるインナーも着ていない、はだけやすい患者衣だと。
首筋の歯形が見えていた。
「――ぇああ!? いや、これはっ、その、あの!!」
「そんな遊びはまだ早いわ。ほどほどにしなさい」
「……ハイ……スミマセン……」
羞恥心から計都が両手で顔を覆っている間に、いぶきは病室から去って行った。
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