第14話 羽衣



「信じない、信じない……っ、私は信じない……!」


 駅へ続く坂を駆け下りながらこぼす。自分に言い聞かせるように何度も反復する。しかしその間にも、ソユーズの言葉が頭の中で反響していた。

『何もせずに見過ごせば感染者は増える。きっと今なら間に合う』

 所詮は薬物による幻覚だ。ジャンキーのトリップに違いない。それをもっともらしい理屈をつけて、もっともらしく見せているだけだ。この国の政府も彼女に騙されているのだ。

 私も騙されている。きっとそうだ。だから自分はいま走っているし、少しでも早く淀宮駅に辿り着こうと思っている。もしまたソユーズの家に来ることがあればスクーターで来よう。幸いあの家には庭がある。スクーターの置き場所には困らないし、何かあっても迅速に移動できる。

 たとえソユーズの話が全くのデタラメだとしても、自分の息が少し上がってしまっただけだ。笑い話で済む。彼女の話をもう二度と信じなければいい。

 これはただ答え合わせをしに行くだけなのだ。彼女の話が本当なのか、あるいはそうでないのか。

 本当だった時にどうするかは、まだ考えていない。



 コンコースを行き交う人々の間をすり抜け、さらに改札を飛び越えていく。駅員さんが何か言っていたが、今はそれだけどころではない。

 レンガ調で仕上げられたはしらが立ち並ぶホーム。ソユーズが語った特徴を備えているのはこの路線だった。時間帯もあってか、ホームはそこそこ込み合っていた。意識が混濁しているような人間がいないか視線を走らせるが、これといって見当たらない。

 電車がホームに滑り込んでくる。電車の扉が開くと一斉に人が流れ出てきた。ホームの真ん中に佇み、おまけに日本刀を携えている計都。そんな彼女を迷惑そうに一瞥しては、人々は通り過ぎていく。

 はっと計都の目を引いたのは一人の少女だった。市内にある学校の制服を着ている。ブレザータイプの制服で、ブレザーもネクタイもネイビーで統一されている。スカートはグレーだ。

 計都がその制服に目を引かれてしまったのは、行方の分からない友人が着ているものだったからだ。街であの制服を見かけると、つい目で追ってしまっていた。しかしその少女は尋ね人ではない。もしかしたら知り合いではあるかもしれなかった。

 彼女は……羽衣ういはどこにいるのだろうか。そう思って止めどない。けれどその気持ちに今はフタをした。そうすれば少しの間くらいは溢れないでいてくれる。

 再び視線を上げて辺りを見回す。電車が去って人の流れが落ち着いてきた。打ち寄せて砕けた波が、岩の谷間を縫って海に戻るような秩序を見せる。

 その秩序を狂わす異物。列に並ぶでもなく、時刻表を確認しているわけでもなく、ベンチで休んでいるわけでもない二人組。計都と同じように往来の邪魔になっている、スーツ姿の中年男性と、ブレザーの制服を纏った少女。

「――」

 呼吸が止まった。

 男性の方に面識はない。しかし少女はその限りではない。

 ハーフアップに結われた豊かで長い黒髪、金色で縁取られた眼鏡、女性としては高めの背丈と、メリハリのついたプロポーション。右手に握られたと、左手に握られた抜き身の

 青白い刀身を持つその一振りの名前を計都は知っていた。計都が持つ【新星】と対を為す小太刀――【淡青たんせい】だ。そしてその小太刀を持っている少女の名前も知っていた。先ほどフタをしたばかりの気持ちが、口からこぼれる。

「……羽衣うい

 二人は向かい合って言葉を交わしている。しかしここでは聞き取れない。だがお互いの表情を見るに、にこやかな会話ではないことは明らかだった。

 間もなく男性がバカバカしいといった態度で歩き出した。少女―― 羽衣はその場でため息を吐いた後、静かに拳銃を水平に構えた。

「羽衣!」

「!」

 計都の声に羽衣が振り向く。一瞬目をみはったあと、しかし「面倒なヤツに会った」とでも言いたげな表情を見せてから、再度男性の方へ顔を向けた。銃の引き金を引く気だ。

「そんな! ダメ!!」

 計都の傍らで何事かと立ち止まっている男性。計都はその手からペットボトルを奪い取って投げ放った。羽衣が銃口を向けている男性の足元にそれは滑り込み、男性を転倒させた。パァン!! という乾いた音が響いたのはその直後。男性の体があった空中を、弾丸は通り過ぎていった。銃声がホームに反響してトンネルの奥にバウンドしていく。

「……」

 羽衣は計都の行動に何の反応も示さず、淡々と銃口を足元に向ける。転倒した男性が横たわっていた。

「やめて! 羽衣!」

 計都は新星を抜き放ち、鞘で羽衣の拳銃を撃ち落とさんと迫る。


 ―― ガギィン!!

「ケイ、邪魔しないでください」

「ッ……!」

 こちらを見ることもせず、羽衣は計都の攻撃を受け止めた。おまけに小太刀である淡青で。

「何のつもり!? どうしてこの人を襲うの!?」

「彼はのうのうと暮らしていていい人間ではありません。だからご退場願うのです。この街、この社会から」

「待っ――」


 バスンッ! 弾丸が男性の右足にめり込む。男性が悲鳴を上げるのと同時に、ホームの床に血が広がり始めた。だがそれもつかの間、銃創の中で何かが蠢く。傷がふさがったのかと思いきや、顔を出したのは植物の小さな芽だった。

「!? ニルヴァーナ・ウイルス!?」

「ふん、いい気味です」

 周囲からはすっかり人がいなくなっていた。この騒ぎのせいだろう。今ならだれも見ていない。計都は淡青を押し返すと、羽衣の脇を通り抜けて男性に駆け寄った。そして―― ザクン! 男性の頸部を切断して絶命させた。宿主の死を察してか、ウイルスはそこで成長をやめた。開花は避けられたようだ。

 返り血をぬぐうこともせず、計都は声を震わせて尋ねる。

「……羽衣、なんのつもり……!」

「言ったでしょう。その方にはこの社会からご退場願う。殺すつもりはありませんでしたが」

「そうじゃない! 自分が何をしたか分かっているの!? ニルヴァーナ・ウイルスにわざと感染させたのよ! これじゃ3年前のテロと一緒じゃない!」

 羽衣に詰め寄る計都。その瞳には涙が浮かんでいる。視線と気迫に耐えられないのか、羽衣は顔と視線を反らした。

「……あれはテロではありません」

「え?」

「まだ知りませんか。ですがいずれ知るでしょう」

「いったいどういう―――― え、ちょっと羽衣、何を…………んンっ!?」

 計都と羽衣の唇が触れ合っていた。

「んむぅっ……! んんッ……む、ぃ……! や、めっ……んっ」

 それはもはや懐かしい感触だった。彼女と最後にこうしたのはいつだっただろう。しかしその頃のことを体は忘れていないらしい。柔らかな感触と湿り気、舌遣い、彼女の匂い、体温が、計都の脳を、全身を、以前と同じように痺れされる。とっさに羽衣の肩を押してみるが、腰に手を回されていて離れられない。体から力が抜けて膝が折れる。計都がくたくたと体勢を崩すと、さらに覆いかぶさるようにして羽衣は計都を求めた。口付けが終わらない。計都の喉がコクンと鳴る。朦朧とも高揚ともつかない意識の狭間で、なぜか鉄の味を感じたころ、二人の唇は糸を引いて離れた。


 計都の体内に激痛が走った。


「い ―― が、あああああっ!? あ゛、あああああッ……! 痛い! 痛いぃ!! いやあああああ!!??」

 悲鳴をあげて床に倒れる。体を地面にぶつけたことなど気にもならない。それ以上の痛みが、計都の体内で暴れまわっていた。

「う、羽衣゛ぃ……! あなた、まさかっ……い゛―――あああああアっ!!!」

 体を引き裂いて患部を摘出したくなるほどの激痛。おそらくは喉と食道、それから胃。体内を剣山でひっかきまわされるような、人間が本来想定してない類の異常。正気が一気に削り取られ、気絶寸前にまで追い込まれる。地べたでのたうち回ることしかできない。たとえ羽衣がこの場から離れていくのが分かっても、彼女を引き留めるすべは何一つない。

「ぐっ……ああっ……アああああっ!?」

「すみません。追ってこられると困るので」

 羽衣は申し訳なさそうに目を伏せる。しかし痛みは納まらない。

「でも、必ず戻ります。あなたのもとへ。ただ、今は……ごめんなさい、ケイ」

 羽衣が計都に背を向ける。遅くもなく早くもない歩調でホームを歩いて行った。羽衣が階段を昇っていって姿が消えたころ、計都はようやく体内の痛みから解放された。顔は涙でぐずぐずで、全身に冷や汗が浮いていた。通報を受けてやってきた、いぶきと火崎の顔を見るまで、計都は起き上がることもできなかった。


 起き上がれなかったのは、決して痛みのせいだけではなかった。


 


 

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