第13話 世界が終わる夢?


「未来が見える?」


 そんな馬鹿なことが。

 計都は内心、一笑に付したい思いに駆られた。だが状況はそうは言っていなかった。ソユーズは日本国内では1・2を争うといっても過言ではない重罪人だ。それこそ破格の条件が無ければ、政府との取引など成立するわけがない。政府側に何のメリットもない。

「ロータス・ラヴを摂取したわたしの脳は、あらゆる情報を分析・統合して、未来の着地点を導き出す。意図的に取り込んだ情報はもちろん、無意識下で得た様々な情報―― 何かの拍子で見たネット上の些細な書き込み、道端ですれ違った人々が交わしていた言葉、風の流れ、星の運行、蓮の葉を滑る雨粒が作った軌跡……それら何もかもを計算式に組み込むと、未来の姿が見えてくる」

「東洋の蝶の羽ばたきを見て、西洋の嵐を予報しようっていうの?」

「そんな少ない情報量ではきっとムリ」

 もっと多くの情報があればできる。

 などと言う気だろうか。いや、きっとそうなのだろう。彼女の瞳は先ほどから少しも揺らいでいない。

 だが計都も彼女の話を鵜呑みにするわけにはいかない。反証だってある。

「じゃあ何故あなたは、学校で私が出迎えた時に驚いていたの?」

 未来が見えるのであれば、あの出会いのことが分かっていたはずだ。あるいは、この2年ほどの忌々しい関係すら避けることができただろう。それともソユーズの警護を計都が担当することが分かっていて、ずっと前から計都に取り入ろうと準備を進めていたのだろうか?

「あなたにまつわる未来は見えない」

「え?」

「あなたのことを一度でも予測できたことは無いわ。2年前からずっと、真っ暗で、何も見えないの」

 戸惑う計都を尻目に、ソユーズはカップに口をつける。その時の彼女の唇の仕草に、計都は少しドキリとさせられる。

「あなたと過ごす時間はとても楽しい。いつだって思いもしなかった体験ができて、思いもしない結末が待っている。わたしにとってあなたはそういう存在。この世で最も刺激的なひと」

 ソユーズの視線が計都に注がれる。

「だからつい、いろいろしてみたくなる。手をつないだら、不意打ちでキスをしたら、体を傷つけてみたらどうなるんだろう、どんな反応をしてくれるんだろう……なんて、いつも考えてしまう」

 背筋に悪寒が広がる。特に最後のセリフのせいで。人を実験動物か何かだと思っているのではないだろうか。もしかしたらそのうち「解剖させて」くらいは言ってくるかもしれない。ソユーズならあり得る。計都はそう思った。思わず服がはだけていないか確認した。

「どうして私の未来は見えないの?」

 ソユーズは「これは仮説」「あなたを怒らせるかもしれない」と前置きしてから答えた。

「わたしの未来予測は完璧なものではないわ。つまりどういうことかというと、わたしにとって不都合な未来しか、わたしは見ることができないということ。わたしの能力のことを知っている者たちの間では、わたしの能力は【不都合な未来視】と呼ばれているわ」

「不都合なって……」

 それはつまり。

 ソユーズが計都との出会い・関係を、不都合な未来として予測できなかったということは。

ソユーズあなたにとって、計都わたしは好都合だとてもいうの!?」

 計都はローテーブルを叩いていた。

 自分がソユーズにとって好都合な存在である。それは耐えがたい示唆だった。カップの中のハーブティーに波紋が広がり、手が受けた衝撃で首筋の傷が痛む。

「いつかはなしたのを覚えているかしら。悲劇の雨、世界の終わりの話……あなたと肌を触れ合わせた日は、その風景を見ないで済む」

「それは夢の話でしょう?」

 と、そこまで言ってひっかかる。

 夢? 本当に?

 ソユーズの語る世界の終わりの風景は、彼女の見る”夢”の話だったのか?

 自分たちは今、何の話をしていた?

「まさか……」

 ソユーズは頷いた。


「あれは夢の話ではないの。本当は、ロータス・ラヴがわたしに見せた、わたしが望まぬ未来の話。ごめんなさい」


 いつの間にか太陽は沈んでいたらしい。窓の外は暗くなっていた。温かく感じるはずのオレンジ色の照明は何だか冷たく感じた。本当はこの照明はもっと明るいのに、ソユーズがその光を奪っているのではないか。そんな印象さえ受けた。部屋の照らされたところよりも、家具で影になった部分の方が視線を引いた。

 ソユーズが手を伸ばす。テーブルを叩いたままになっていた計都の手に、彼女は自分の手を重ねた。

「ケイト、お願い」

「……!」

「わたしのそばにいて。じゃないと、世界はきっと滅びに向かう」

「そんなわけない!」

 計都は手を振り払って立ち上がっていた。

「バカバカしい。そんな簡単に世界が終わるわけない」

「……でも」

「でもじゃない。帰る」

「ま、待って……!」

 玄関に向かう計都を追ってソユーズも立ち上がった。いままでの余裕のある様子は消えて、今にも泣きそうな表情で計都にすがる。計都が羽織ったコートの裾を、ソユーズは弱々しく握っていた。その手は震えていて細い。今にも解け落ちそうな氷柱つららのようだ。ただ、計都にとっては、古代の病原体が封入された汚染氷にしか思えなかった。

「離して」

「話を聞いて。お願い」

「もう聞いた」


「今夜、淀宮駅で罹患者が出る」


「!?」

「駅が使えなくなると、私は学校に行けない。教室であなたに会えない。それはわたしにとって不都合なこと。だから見えた」

 玄関のドアノブに伸ばしかけた手を引っ込め、計都はソユーズに振り返る。

 彼女は涙を浮かべつつも、力強い、苦難に立ち向かう者の目で続けた。

「みんなを守って」

「……っ」

 なぜそんなことを言うのか。

 おまえはテロの犯人ではないか。

 この世で最も多くの人間にウイルスを感染させたのはお前ではないか。

 どうして私の家族に、その想いを向けてくれなかったのか。

 なぜいまさら、そんなことを言うのか。

 いろいろな感情が去来し、その全部をソユーズにぶつけてグチャグチャにしてやりたい気持ちを何とか抑えて、計都はスマホを取り出した。太陽は地平の向こうに隠れているが、まだ夜と言うには早い時間だった。



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