第11話 ニルヴァーナ麻薬



「効能は最高。だけど依存性は最悪。それがニルヴァーナ麻薬」


 約束の日、淀宮よどみや駅の北口にあるファーストフード店の前で、計都とソユーズが落ち合った。

「摂取すれば、この世の全てを許し愛することができる幸福感と、宇宙にほとばしるような快感に包まれる。

 だけど効果が切れれば終わり。精神的にはとてつもない絶望感と孤独感、虚無感がとめどなく湧き出てきて、身体的には倦怠けんたい感や疲労感、末期になると嘔吐や耐えがたい頭痛が伴うわ。だからニルヴァーナ麻薬無しではいられなくなる。他の薬物は代わりにならない」

 少女、しかもソユーズのようなとびきりの美少女が、麻薬に関する知識を淡々と語る光景は異様だ。ミスマッチも甚だしい。コートの裾からセーラー服のスカートがのぞいているせいで、ますますそれに拍車をかけていた。

「ジャンキーが勝手に狂って勝手に死ぬのは構わない。問題なのはニルヴァーナ麻薬の生産方法の方で、多くの場合は監禁されたニルヴァーナ・ウイルス罹患者から抽出されること」

 約束の10分前に到着したにも関わらず、ソユーズはすでに店の前で待っていた。寒空の下でそこそこの時間を過ごしていたのか、鼻の先が赤くなっていた。計都の姿をみとめるや、小走りで駆け寄り「来てくれてありがとう、ケイト」と言って嬉しそうに微笑んだ。そのまま抱き着いてきそうだったので、持ってきた楽器ケースを盾にして押し返した。

「罹患者の監禁、杜撰ずさんな設備による感染リスクの増大、麻薬の製造・販売・使用、場合によっては意図的に誰かをウイルスに感染させて罹患者を増やす……罪が重なって空に届きそう。大麻をこっそり育てるのとはわけが違う」

 計都たちは街の北側に向かって歩いていた。

 淀宮の北側は山地になっていて、その斜面にも住宅地が伸びている。ソユーズの家はその一角にあるらしい。淀宮駅からは歩いてもそう時間はかからない。

「他にも――」

「そんな話は聞きたくない」

 ソユーズは口を閉じて振り返る。計都の感情を押し殺した無表情を見て、すぐにまた前を見た。

「ごめんなさい、他に共通の話題も無かったから」

 嫌な間柄だ。ウイルスと薬物の話題しかないなんて。

「眠そうだけど、何かあった?」

「……」

 ソユーズがこちら側の人間と言って良いものか分からない。だが少なくとも、薬物なんてものとは無縁な、平穏な生活を送る人々の側でないのは確かだ。

「事件があると、昼も夜もない」

「そんな物騒なものも持っているものね。私の警護も担当しているあたり、あなたがまともじゃない仕事をしてるというのは何となく分かる、というかそうとしか考えられない」

 さきほど楽器ケースを押し付けた時に中身を察したのだろう。あるいは血の匂いでもしたのかもしれない。

 計都自身も、自分の手や衣類から、ふと血の匂いを感じることがある。実際はそんなことはないのだが、いくら拭っても洗っても染みついて取れない気がするのだ。まるで細胞や繊維の隙間に染み込んでしまったかのように。

「あなたが釈放されなければもうちょっと安眠できてたと思う」

「そう。じゃあ安眠を助けるというハーブが家にあったから、今日はそれでお茶を淹れることにするわ」

「……そのハーブって合法でしょうね?」

 ハーブという何気ない単語でも、ソユーズの口から聞こえるだけでやけに物騒な印象になっていた。



 萌黄色の外装が印象的だった。

 ソユーズの家は贅沢にも一戸建てだった。下手に集合住宅に住まれて他人を巻き込むような何かをされるよりはマシなのかもしれない。2階建ての木造建築の洋館で、ソユーズが住むのであれば様になるような気がした。外周は鉄柵で囲まれており、そこらの民家よりは防犯性能も良さそうだった。植木が豊富な庭も相まって、一人で家中手入れするのは大変そうだ。

「入って。こっちのリビングでくつろいでいて。すぐにお茶を持っていくから。あ、上の階には行っちゃだめ。散らかってる」

「行かないわよ……そうだ、これ」

 計都は紙袋を差し出した。中には駅近の洋菓子店で買ったお茶菓子が入っていた。

「律儀ね。手ぶらで良かったのに」

「手ぶらで来たって文句を言われないようにするためだから」

「意味合いはどうあれ、ありがたくいただくわ」

 ソユーズは袋を受け取ると、キッチンと思われる方へ引っ込んでいった。

 計都はコートを脱ぎつつリビングに入る。すでに暖房で暖められていた。南側の窓から差し込む、午後の陽射しも目に温かい。

 ふるいがよく手入れされたアンティークの応接ソファとローテーブルが、ふかふかな絨毯の上に据えられていた。絵画、壺といった装飾品もアンティークで調和されていて、高級品と思しきソファにコートを置くのも正直気が引けた。しかしハンガーの類は見当たらない。計都はソユーズが消えていった方に声を投げる。

「コートは?」

「くれるならもらうわ」

「そうじゃない……」

「残念。ソファの背もたれとかに掛けてくれてかまわないわ。ポールハンガーで良ければ玄関にある」

 玄関に戻ってみると、たしかにポールハンガーがあった。入ってきたときには見落としていた。計都はポールハンガーにコートを引っかけた。

 と、そこで計都の視界に階段が映った。

 この家は玄関を入ると正面に階段、右手にキッチン、左手にリビングという感じらしい。

「……そういえばさっき2階には行くなって」

 そういわれると行ってみたくなるのが人間のさが。計都はキッチンの方をちらりと見た。微かに漏れる蒸気の音から察するに、お茶はまだ出てきそうにない。

 彼女のことを知り過ぎて困るということもないはずだ。もしかしたら何か危険なものを隠し持っているかもしれない。確認しておかなければ。計都は息を殺して、階段の1段目に足を掛けた。

「ケイト?」

「わぁー!?」

 ソユーズが玄関に戻ってきていた。彼女もコートを掛けに来たらしかった。計都は慌てて弁明する。

「こっ、これは違って……! えーと……そう! 靴ひもを結ぼうと思って!」

「……? その靴、ヒモは無いみたいだけど」

「えっ……? わぁー!?」

 自分の足を包んでいたのはファスナー式の革のショートブーツだった。ちなみにファスナーも降りてはいない。気まずかった。

「えーと………………何か手伝う……?」

「?? 別にいいわ。ゆっくりしていて」

「そ、そう……」

 何事も無かったかのように、ソユーズはキッチンに戻っていった。一方計都はというと、跳ね上がった心拍数を元に戻しつつ、慌てた拍子にぼさぼさになった髪を手櫛で直してからリビングに再入室した。新星の入った楽器ケースの扱いに迷ったが、念のため持ち込むことにした。何があるか分からない。そう本当に。

 ほどなくしてティーセットとお茶菓子を持ったソユーズが現れ、ティータイムが始まった。








 

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