第7話 火から炎へ
「ケイト、一緒に帰らない?」
何となく予想していた言葉だった。
しかし実際に言われてみると対処に困るものだ。いろいろな応答が浮かぶものの、かえって計都の脳がフリーズする。
「……言いたいことは3つあるんだけど」
「
見事に質問を先回りされた。計都の反応までシミュレートした上で声をかけたに違いなかった。
「……悪いけど用事があるから」
「そういえばスマホ買ったの。あなたも持ってるでしょう? このアプリのアカウント、あったら教えて?」
「……」
「……そのアプリ使ってないから」
ピヨローン♪
「つ、使ってないから……」
「わたしの目を見て言える?」
「ぐっ……誰よもう……」
やつ当たり気味にスマホを取り出す。確認してみると『Ibuki』と表示されていた。背中から撃たれた気分だった。内容がどうでもいい事務連絡だったことも腹立たしい。
「ね、教えて?」
「かわいく言ってもダメ」
「教えて?」
「ダメ。ていうかイヤ」
「キワどい自撮りを送ってあげるわ」
「なぜそれでOKされると思うの……?」
「Ibukiって誰? 浮気は良くないと思うわ」
「ちょっとやめて」
「離々洲さん、浮気は良くないと思うわ」
「シルダリヤさん? わかったからその口を閉じて? 日本語分かる?」
ソユーズの発言が周囲に聞こえていたのだろう。クラスメイトの視線が計都に刺さっていた。ソユーズは肩を震わせて笑いをこらえていた。
計都はソユーズにスマホを投げるつける。受け取らせる気のない速球だったが、彼女は難なくそれをキャッチした。運動は苦手ではなさそうだ。彼女は素早く計都のアカウントを登録すると「ふふ、やったわ」とほくそ笑んだ。満足げだ。
一方で計都は、彼女から返却されたスマホを確認することもなく、スカートのポケットにしまいこんだ。思わず大きなため息を吐いていた。
その矢先にスマホが振動する。いぶきからまたメッセージだろうか。確認すると、そこには【そゆーず】なる人物からメッセージが届いていた。『よろしく』だそうだ。
計都はもちろん既読スルー。スマホはバッグへ投げ捨てた。
「それじゃあ荷物もまとまったようだし、帰りましょう」
「だからあなたとは帰らないって――」
「じゃあ他の子と帰るわ。どこに案内しようかしら?」
「!」
ガタンと椅子から立ち上がる。聞き逃せないセリフだったからだ。
そう、相手はテロリストだ。善良な市民を巻き込むのが得意な
「待って」
「何?」
「一緒に帰る」
「嬉しいわ。手も繋いでいい?」
「調子に乗らないで」
「そう。残念♪」
ソユーズが下駄箱に向かったので、計都は慌てて彼女を追いかけた。
ソユーズのアプローチは一日中続いていた。
『教科書忘れちゃった。見せて?』
といって毎時限机をくっつけてくるし、
『消しゴム、落としたわ』
と、(わざと落とした)消しゴムを拾い上げ、計都がそれを受け取る拍子に手を握り、挙句の果てに「一緒に帰らない?」だ。
自分たちの関係は、監視する側とされる側。仲良くする道理なんて1つもない。あるとすれば、される側がする側を懐柔して味方に引き込もうとするくらいだが、自分に通用するわけもない。
「電車なんて久しぶりだった。やっぱり人ごみは苦手だわ」
「……」
淀宮駅に着くと、ソユーズは北口に向かって歩き出した。とても不慣れな様子には見えなかった。
計都の家も北口なので後に続く。はたから見れば友達同士が連れ立って歩いているようにしか見えないだろう。
「あなたの家もこっちなの?」
「……」
「この街は坂道だらけね。買い物とか、みんなどうしてるのかしら。重い荷物を持って坂をのぼるのは想像するだけで面倒。あなたはどうしてるの?」
「……っ」
「ねぇ、少しどこかに寄っていかない? あなたとももっと話がしたいし」
「……」
「ケイト?」
「……ちょっと顔貸して」
我慢の限界だった。
計都はソユーズの手を引っ掴んで歩き出す。始めは少し驚いたようだったが、ソユーズはおとなしく計都に身を任せていた。飲食店が立ち並ぶエリアに入ると、計都は雑居ビルに入って行った。
その階段の踊り場で――
どんッ!
「痛っ……」
計都はソユーズの胸倉をつかみ、彼女を背後の壁に叩きつけていた。
「っ……乱暴ね。でも、刺激的で悪くないわ」
「何のつもり……!」
ギリッ、と歯を鳴らしながら、計都は彼女を問い詰めた。ソユーズは一瞬痛みに顔をゆがめたものの、すぐに涼しい顔に戻っていた。
「あなたと友達になりたいと思って。友達以上でもいいけれど」
「ふざけないで! 誰があなたなんかと……!」
計都の手にさらに力がこもる。ソユーズは
「あなたが何をしたのか私は忘れないし、許すつもりはない……!」
「気を許すつもりもない、といったところかしら」
そんな微かな冗談すらも、計都は腹が立って仕方ない。心臓の奥から怒りが湧き上がり、血流にのって全身に広がっていく。手にもますます力がこもっていった。
「……どうかしてる。あなたを釈放するなんて……!」
「取引をしたのよ」
「!」
一瞬だけ怒りを忘れた。
「なん……ですって」
「取引をした。この国の政府とね」
微笑を浮かべながら、ソユーズは続ける。
「取引の内容を知りたい?」
「……っ」
「知りたいわよね」
知りたいに決まっていた。
「なら、今度わたしの家に来てくれたら、教えてあげる。一緒にお茶しましょう?」
罠。
その一文字が頭に浮かんでいた。
もし彼女が監視の目を振り切りたいのだとしたら、まず予想されるのは監視者の懐柔だ。そして真っ先に狙われるとしたら、自分のすぐ近くにいて、そして図らずして旧知の仲であった計都であるのが順当だ。
取引をしたというが、本当かどうか疑わしい。しかし一方で、ソユーズほどの重罪人が、たった数年で釈放されるのも筋が通らない。筋を通すには、何かもっともな理由が必要なはずだ。それこそ、何らかの取引をしたといったような。
「あと、わたしのことはソユーズと呼んでくれていいわ」
先ほど教室で、彼女のことをシルダリヤさんと呼んだせいだろう。細かいことまで覚えていて引き合いに出すあたり陰湿だった。
「……疑い出せばキリがないわ」
「あら」
「行ってあげる。監視対象の家を知っているのは有用だし」
「そういう合理的な思考、私は好きよ。ケイト」
好きよ。
その言葉に不満そうな顔を見せた後、計都はソユーズを開放した。ソユーズはけほけほとせき込んだ後、しわのついたセーラー服を撫でつけた。
「ここから少し歩いた坂の上にあるの、私の家。あなたは?」
「近くのマンションだけど……言っとくけど
「それはフリ?」
「好奇心は猫を殺すってことわざ、知ってる?」
「
「ふん、そんなのあなたも同じでしょ。せいぜい普通の生活を続けられるよう努力することね」
「それはもちろんよ」
「どうだか」
2人そろって雑居ビルを出る。外はとっぷりと日が暮れていた。計都たちには用がない店々に明かりが灯り始めていた。排ガスの臭いに混じって、食欲をそそる匂いが流れてきていた。
「じゃあまた明日」
そう言ってソユーズが小さく手を振った。
計都は何も返さなかった。
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