第6話 左眼のミュオニス


 新雪を思わせる白銀の長髪。

 白い肌に物憂げに輝くアメジストの瞳。

 幼さを残しながらも均衡の取れた肢体のシルエット。

 北の大陸、深きロシアの、凍土の森の奥に住む妖精であるといわれたら信じてしまいそうなほど、ソユーズは幻想的な美しさを放っていた。

「ロシアって広いけど、どのあたりから来たの?」

「レニンスク、といって分かるかしら。もうヨーロッパに近いほうね」

「どうして日本へ?」

「親の仕事の都合で」

「日本語上手。どうやって勉強したの?」

「日本のアニメが好きだったから……」

「編入のテスト、全教科満点だったんだって?」

「得意なの。勉強だけは」

 質問攻めの嵐に、ソユーズははにかみながら、しかし確実に返答していく。

 平気な顔をして嘘をついていた。そういう設定なのだろう。

 一方で、ソユーズに興味津々のクラスメイトに座席を奪われた計都は、肩身狭く昼休みの教室からそっと避難していた。ソユーズのために用意された空席は、いつのまにか計都の隣に配置されていたのだ。

「はぁ……」 

 計都はため息を吐きながら、使われていない教室のベランダ、その手すりに体重を預けた。

 眺める景色は曇り空だった。淀宮駅の方だけ不思議と、雲間から光のすじが差し込んでいた。微かに潮の匂いをはらんで吹く風は、季節に似合いの冷たさだ。首まで覆ってくれるインナーのおかげで、凍えるようには感じなかった。

「……痛い」

 左肩の痛みを思い出す。授業中も何度かじくじくと痛んだ。そのたびにソユーズの、彼女の体温を、匂いを、体の柔らかさを思い出した。

 恋人同士であったら、ほどよい刺激程度で済んだかもしれない。

 しかし相手はソユーズだ。自分の行いが招いたこととはいえ、これでは呪いも同然だった。淀宮港に打ち付ける波のように、後悔が計都に去来する。

「っ、ダメだ。しっかりしないと」

 両頬を叩いて、計都は気持ちを入れなおす。

 今するべきはソユーズの警護、もとい監視だ。彼女が悪さをしないよう、自分が目をつけていなければいけない。

 計都は右眼をそっと閉じる。自分の教室の方向に視線を向けた後、彼女は


 世界から色が消え去った。


「……」

 世界にあるのは黒と白。一番近いイメージはレントゲン写真だった。校舎から壁が消え、柱やはり、机やイス、校舎内で過ごす生徒たちのシルエットが浮かび上がる。


 透視の義眼【ミュオニス】。


 それが計都の左眼窩がんかに嵌め込まれた、機械仕掛けの眼球の名前だった。

 ニルヴァーナ・ウイルスを憎み、果てはウイルスの苗床足りえる人体すらも忌避し始めた者たちによって生み出された、【機身きしん】と呼ばれる人工身体の1つだった。

 常に宇宙空間を飛び交い、物体を貫通する性質を持つ宇宙線【ミューオン】。その飛跡を観測・解析することにより、ミュオニスは使用者に周囲のレントゲン写真を提供した。つまり計都は、たとえソユーズが壁の向こう側にいたとしても、彼女のことを監視することができた。

「……いない。どこ行ったんだろ」

 ソユーズの席に彼女はいないようだった。それどころか教室内にもいないようだった。

「脱走? まさか、こんな早く?」

 さすがの彼女も釈放1日目から逃げ出さないだろう。それにこの学校内には自分以外の要員もいる。そう易々と逃げ出す算段がつくはずがない。

 ミュオニスの観測範囲外にいるのだろう。ミュオニスで見ることができる範囲は半径数十メートルがせいぜいだ。そして校舎は広かった。足で彼女を探そうと、計都はミュオニスのスイッチをオフにした。

「何してるの?」

「っ!?」

 声がしたのは耳元だった。

「い、いつのまに!?」

 ソユーズがすぐ隣にいた。遠くばかり見ていたせいで、彼女の接近を見落としてしまったらしい――実戦だったら死んでいたかもしれない。

「ごめんなさい。驚かせた?」

 突然耳元で声がして驚かない人間がいるなら、そちらの方が驚きだといえよう。計都は慌ててソユーズから距離を取って、身を低くして警戒した。

「……何の用」

「わたしのせいで席から追い出されてしまったみたいだから」

「別に気にしなくていいから」

「わたしが友達になってあげようかと思って」

「何で私が転校生みたいになってるのよ」

「不安なこととかあるの? わたしで良いなら相談に乗るわ」

「私の話聞いてる?」

 計都の反応に満足そうに微笑むと、ソユーズはふわりと体をゆらし、ベランダの手すりによりかかった。彼女の髪が、スカートが、空気をはらむ様が優雅だ。霧けぶる山の中に佇む、冷たい滝のようだ。

「冗談が過ぎたかしら。実は人混みが苦手なの。だから逃げてきたんだけど、そこにあなたがいたの」

「友達候補を見つける貴重な機会よ。初日くらいは我慢したらどう?」

「自分にとって本当に良いものは、向こうからはやってこないものよ。大きな魚が逃げるのは世の常なのだし」

 虎穴に入らずんば虎児を得ず、といったところだろうか。

「毒があるかもしれないわ。狼の住む森で見つけた綺麗な花でも」

「そうね。最近は毒どころか、麻薬成分を持っているかもしれないし」

 ニルヴァーナ・ウイルスのことを言っているに違いなかった。不意に現れた敵の名に、計都の脳内は仕事モードと学生モードを行ったり来たりした。

「その首まで隠れるインナー、よく似合っているわ」

「……!」

 頭の中がカッと過熱する。

「あなたねぇ……!」

「ふふっ、そんな顔もするのね」

 と、ソユーズは目を三日月のように細めて微笑んだ。鋭くカーブを描いた目の先端が、計都の感情にちくりと刺さる。

「……少しでも妙なことをしたら取り押さえる」

「かまわないわ。それがあなたの仕事だもの」

「どうしてあんなテロを起こしたの」

 それはずっと計都が聞きたかったことだった。ウイルスに感染した家族をガラス越しに眺めて以来、延々と頭の中をめぐる疑問だった。

 たとえどんな答えであろうと納得はできないだろう。だがそれでも、知ることができるなら知りたかった。それで少しでも安らかに眠れるのであれば。

「……」

 ソユーズは困ったような微笑みを計都に向けた後、手すりの向こうに視線を移した。どこか懐かしむような眼差しだった。

「そろそろ昼休みも終わるわ。戻りましょう」

 ソユーズは肩を竦めてみせた後、室内に戻ってしまった。それと同時に予鈴が鳴り響いた。計都は彼女の背中を睨みつけたあと、続いて室内に戻った。

 返答を期待していたわけではない。しかし不満ではないといえば嘘だった。数学の問題集の模範解答に、途中式が記載されていない時の苛立ちに似ていた。結果ばかりが分かっても理解は深まらない。

 ベランダへの扉を閉めてクレセント錠を締める。市街に差していた光条は、いまはもう雲で遮られてしまっていた。少しだけ体感温度が下がったような気がした。

「ねぇ」

「?」

 視線を上げる。廊下に出る手前でソユーズが、こちらに振り返っていた。彼女の瞳が、真っ直ぐ計都を射抜いていた。


「あなたのその眼に何が見える?」

「!」


 隠すべき眼を計都はみはった。心臓がドクンと跳ねて、しかし体から血の気が引いていた。

 なぜわかった!?

 機身は最先端技術の結晶だ。その存在は通常秘匿され、日常生活の支障とならないよう、巧妙に人体に偽装されている。これを見破るには、相応の知識と相当な観察眼が必要なはずだ。ソユーズが医療の知識を修めていることは、これまで関係を持ってきた中で分かっていたことだが、専門外の分野にも彼女は明るいらしい。

「あなたって、本当に……!」

「?」

「……もういいっ」

 首をかしげるソユーズ。そんな彼女に肩をぶつけるような勢いで、計都は彼女の横をすり抜け、自分の教室への廊下を歩き出した。

 計都の問いかけへの返答は、ついに無かった。



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