第46話「アンセム」

 ティアの亡骸を保管室に納めたシエラは、コックピットに入ると副操縦席に座った。


 あの巨大船から飛び出すと同時にワープして数分。重力ビームに引っ張られることも、敵の追撃がくることもなかった。


「リュウト君は?」

「今部屋にいますよ」

「ま、そりゃそうなるわよね」


 ワープ時の青色偏光で、青白い光を放つ宇宙を眺めながら、シエラは背もたれによりかかってため息をついた。


「ときどき彼が恐ろしくなるわ。特に、パンドラの命がかかってるときはね」

「分かります。自分のことなんてどうでもいいような……あれ、もしかして妬いてます?」


 その言葉にむっとしたシエラがイオを睨む。


「あ……申し訳ありません」


 それから呆れたように首を横に振ると、話題を変えた。もっと大事なことだ。


「それより、さっき、ティアから託された情報を見てみましょう。そこに答えがあるはず」


 シエラとイオの間に表示されているホロ・レーダーの表示が切り替わり、青白い直方体が表示された。


 それは寄木細工のように表面が分割されていて、それがランダムにスライドを繰り返している。その瞬間ごとに、箱を開けるための手順が切り替わっているのだ。


「これが、そのファイルですか?」

「ええ、この船の中でだけ開けるようになってる」


 寄木細工のスライドがカチリ、と止まり、蓋が開いた。夥しい量の情報が解き放たれ、ホログラムを流れていく。イオの側頭部にあるランプが、その情報を処理するように点滅を繰り返した。


「これは……〈龍理の讃美歌デジック・アンセム〉と呼ばれるモノのデータですね……それと〈揺籠定理エンブリオ・セオリム〉?」


「つまり、どういうことなの?」


 ホログラムに表示されたのは、礼拝所のような場所のワイヤーフレーム構造だった。文字データが高速でスクロールし、そのたびにイオの単眼が小刻みに動く。


「この〈龍理の讃美歌デジック・アンセム〉とは、信じられないことですが、願いを具現化する能力を持っているようです」


「でもそんなことは大昔からやってきた。でも、出来なかった。人間の負荷容量ではまるで足りないから」


 魔術を水流に例えるなら、人は水門の役割を果たしている。そして負荷容量とはつまり、その水門を流れることができる水の総量だ。


 その規模が大きければ大きいほど、当然水門を流れる水の量が増える。この門を超えるほどの水量、つまりは負荷容量を大幅に上回る魔術を発動しようとすれば、壊れてしまう。


 それゆえ人間の持つ負荷容量では、事象を投影したり、シエラのように短時間姿を変える程度のことしかできない。


「それを可能にするのが〈揺籠定理エンブリオ・セオリム〉のようです。詳しい原理は不明というか、今の龍理ろんり学ではまるで理解不能なので分かりませんが、これを使うことで負荷容量がほぼ無限大になるようです……パンドラ様を媒介として」


 その言葉に、その場がシンと静まり返った。聞こえるのは、ワープ中のエンジンが響かせる駆動音と、空調が空気を循環させる音だけだ。


 シキが叶えたい願い……シエラは痛いほど理解していた。


 それは、両親を生き返らせること。

 そこに悪意はない。むしろ善意とも言えるだろう。だがそのために、誰かが犠牲になるならば話は別だ。


「必ず止めるわ。それで、姉としてガツンと言ってやるんだから」

「リュウト様も、連れていきますか?」

「まぁ、来るなって言っても来るでしょうね。彼は」


 だが、イオの懸念も、もっともだと思った。もし、リュウトの命と引き換えにパンドラを助けられるとしたら、彼は喜んで命を差し出すだろう。


 それは、シエラの望む結末ではない。


「大丈夫。みんなで帰ろう。そして、またハンバーグでも食べましょうか」

「えぇ、その時は、とびっきりのを作ります」


 ワープの解除と共に、正面のキャノピーからは〈オルフェウス〉の輝く船体が見えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る