第21話「ファミリー」


 モンゴルフィエ広場。そこに寄ろうと言い出したのはシエラだった。


「どうせ夜まで時間があるし、この島のこと、案内してあげるよ」


 そう言って連れてこられたのは、たくさんの色鮮やかな気球が宙に浮き、広場にも同様な気球が地面に繋げられている広場だった。頭上に浮かぶバルーンを透過した光が、地面に色鮮やかな色彩を描いている。

そこは島の中でも不自然にへこんだ場所で、ゆるやかなカーブを描く柵の向こう側には、巨大な穴が穿たれていた。リュウトたちのいる反対側には、白い崖がそびえ、リュウトにはおおよそ理解できない宗教画が描かれている。


 正面に空いた穴に大きな音を立てて、滝のように流れ落ちる海を見ていると、本当に異世界に来てしまったのだなぁ、と強く実感するようだった。


 穴を覗くパンドラが落ちないように気を配いつつ、リュウトは背中から柵に寄りかかった。ここはほかの場所に比べて行き交う人の数が多く、一種の観光名所のようだ。人々は何枚かの布を重ねた質素な服を着て、青く光るたすきのようなものを身に着けていた。


 その中に、小さな子供を連れた親子が見えた。


 パンドラにも、ああいった『家族』が必要なのだろうか……


 すると、リュウトがあの親子連れをじっと見つめていることに気づいたのか、シエラがリュウトの肩を小突いた。


「どうしたの? そんなに熱心に見つめちゃってさ。カワイイ娘でも見つけた?」


 シエラがからかうようにニヤニヤと笑う。リュウトは「別にそういうわけじゃ……」と目を伏せた。


「ただ、パンドラには、ああいう『大人』が必要なのかなって」


 シエラもリュウトが見ていた目線を追って、歩いていた夫婦を見た。


「ふうん。どうして?」

「だって俺はまだ子供ですし」


 シエラは肩をすくめると、身を乗り出すように柵に両腕を乗せた。潮風でその赤い髪が、炎のように揺れる。


「別にいいじゃない。それでも。あなたはパンドラのことどう思ってるの?」


 えっ、とリュウトはきょとんとした。そういえば、今まで考えたこともなかった。

 ただ、守らなくちゃいけないという思いが先行して、自分が彼女をどう思っていたかなど、考える暇もなかった。


 ならば今が、その時なのかもしれない。


「俺は……」


 そこで言葉が詰まってしまう。決してパンドラのことを気にもかけていないとか、そういう意味ではなく、この感情を言葉にするのが難しかった。


「まぁ彼女は、あなたのことを好いているみたいだけど?」

「どうでしょうか……ただ懐いているだけなのかもしれないし、それか刷り込み効果って奴――」

「――バカだなぁ。君は」


 あきれたように、シエラは片眉を吊り上げてリュウトを見た。


「あのねぇ。彼女は君が好きなんだよ。じゃなきゃどうして君の名前を呼ぶんだ? どうして君に抱きつくんだ? 応えてあげなきゃ。別に『大人』だけが親になれるんじゃない。子供だって、親になっていいんだよ。君が本当にそう望むなら、彼女を守り抜く自信があるなら」


 リュウトはシエラと正面の親子を交互に見て、


「……絶対に、守ってみせます」

「よし、その意気だ」


 シエラがふと視線を前に戻すと、思わず口をあんぐりと開けた。


「あぁ! リュウト君! あれ!」


 指さした先に視線をやると、そこにはパンドラの乗り込んだ気球が浮かんでいた。穴の上をゆっくりと漂うそれは、風に流されて少しずつ移動している。


 リュウトは考える暇もなく、柵から跳んだ。


 その体をクラークが巻き付き、魔導衣ローブを形成する。


 だが、その手は空を掴むばかりだった。いくら魔導衣ローブといえども、リュウトの力では空を飛ぶことはできない。


 体が重力に従って落下していく。ゴウゴウと穴に流れ落ちていく水飛沫の轟音に、リュウトの叫び声がかき消される。


 必死に手を伸ばすが、もちろんその『手が』届くことはない。


「クラーク!」


 リュウトの声に反応するかのように腕の帯が解け、それが一直線にパンドラの気球に向かって伸びていく。そしてそれがゴンドラの縁を掴み、リュウトの身体はがくんと空中でぶら下がった。

 どういう原理で伸びているのか全く分からないが、とにかく伸びた帯を巻き取りながら上昇していく。


 驚いているシエラを見下ろしつつ上がっていく様は、どこか痛快なものがあった。


『何ニヤニヤしてる』

「別に。楽しいだけだよ」

『パンドラのことを守るっていうなら、ちゃんと見ておけ』

「お前だって」


 そうやって言い合っているうちに、ゴンドラに辿り着いたリュウトは、何とか縁に掴まって一息つく。視線を上げると、パンドラが不思議そうにこちらをのぞき込んでいた。


「ダメじゃないか。勝手にこんなことしちゃ……って、ちょっと!」


 すると今度は無邪気な笑みを浮かべながら、リュウトの額を押し出し始めた。


「あっ、やめ、ちょっと、落ち、落ちる!」


 パンドラは笑っているが、リュウトにはとてもそんな余裕はなかった。パンドラの妨害を受けつつも無事ゴンドラに乗り込んだリュウトは、その小さな体を抱きしめた。


「ほんと、心配かけさせるよ……」

『それが子供ってモンだ』


 二人を乗せた気球は、様々な高さに固定された気球の間を通り抜けながら、少しずつ上昇していく。

 そして気球の群れを抜けると、眼下には〈天衝塔スパイア〉の下に広がる街を一望できた。


 どの建物にも赤い布が掲げられ、その下を行きかう人たちはまるで小人のように見えた。ずっと先には海が広がり、そこに浮かぶ帆船がビーコンの光を瞬かせている。


「……ずいぶん遠い所に来ちゃったんだなぁ」


 それからしばらくの間、三人はこれから一生住むことになるかもしれない島を眺めた。生臭い潮風が、パンドラの長い髪を遊ばせていた。

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