第5話「ウェイクアップpart1」

 深い闇の中、ぼんやりとした自我が漂っていた。手足はなく、ただそこに『存在する』ことだけをどうにか知ることができる、矮小な存在。

 その時、小さな光が自分を引っ張っているのに気づいた。


一瞬の浮遊感の後、新しい体に定着した〝リュウト〟は、目を開いた。


「……ここは?」


 息を吸うと、冷たい空気が急に肺に流れ込んできたので、思わずせき込んでしまった。皮膚が伝える感覚は、自分が今高校の制服を着て、冷たい台に横たわっていることを告げている。


「ここはヤザック。動けるか?」


 低い男の声が暗い空洞内部に響いて、リュウトは一瞬ギョッとした。目が慣れてきて、ようやくここは薄暗い洞窟のようなものだと知覚することができた。

 指を動かそうとするが、そもそも指の動かし方を覚えていないことに気づき、困惑した。


「で、できない……どうしてだ……」

「大丈夫だ。そのうち動く。それまで、お前が置かれた状況を理解しようじゃないか」


 視線の正面、つまりはリュウトの顔の上に現れたのは、黒い蛸のような生き物だった。大きさはリュウトの頭ほどで、その淡く発光する白い目と合い、思わず眉をひそめる。


「俺の状況だって?」

「そうだ。君は先ほど『転生』したんだよ」

「じゃあ、死んだってこと?」


 薄暗い人工の部屋、という情報以外特に見当たることはなく、目の前の蛸に疑問をぶつけることにした。


「俺はあんたの手違いかなんかで死んだのか?」

「いや、目的がある」

「ここは天国?」

「さっきも言ったが、ここはヤザックの遺跡だ」

「あんた神様?」

「まぁ、お前にとっては似たようなものだろう」

「……なんだかなぁ」


 ようやく体の動かし方を『思いだした』リュウ

トは、上半身を起き上がらせた。


「にしてもお前、死んだのに意外と冷静なんだな」

「俺、今生きてるじゃん」


 蛸はその返答が気に入らなかったのか、少し目を細めた。リュウトは気にせず続ける。


「なんかいまいち実感が湧かなくて。ずっとぼんやりしてるような感じなんだ。だから驚くにも驚けないっていうか……」

「まぁ、いちいち驚かれるよりはマシだな。立てるか?」


 自分が立ち上がる様子をイメージしながら、ゆっくりと横たわっていた台から降りた。一瞬ふらついたが、壁に手をつくことで体を支える。頭がこの環境に適応しきれていないせいか、地面がぐらぐらと揺れているように感じた。


「な、なんとか」

「よし。先を急ごう。早くしないと――」


 その時、爆発音とともに地面が揺れてリュウトは地面にしりもちをついた。想定外の鋭い痛みに、思わず小さな悲鳴を上げる。


「まずいな」

「何が⁉」

「奴らに『彼女』が奪われる!」


 蛸は背後に回ると、そのぶよぶよとした体でリュウトの上半身を押した。助けもあり、なんとか再び立ち上がったリュウトは蛸の案内の元、壁伝いに部屋を出て薄暗い廊下を歩き始めた。


「言い忘れてたが、俺の名前はクラークだ。お前の名は?」

「……リュウトだ」

「よし、自分の名前は、憶えているようだな」


 クラークはそういったが、リュウトにはそれが自分の名前だというのには違和感があった。自分のものでありながら、自分のものではない。得体のしれない不安感を募らせつつも、前に進むしかなかった。


 廊下の壁は黒い六角形の溝が彫られた金属で構成されており、足元の小さなランプだけが唯一の光源だった。


 しばらく歩いているうち、体中の筋肉に自分の意識が染み込むような感覚と共に、歩くのが楽になり始めた。


「ようやく自由に動けるようになったか?」

「あぁ……でもどうしてさっきから体の調子がわるかったんだ?」

「恐らくは、転生の影響だろうな。新しい身体に入るのだから、精神と身体の不協和が起こるのは仕方のないことだ」

「待て。新しい身体ってことは……」


 リュウトは足を止め、クラークに向き直った。妙に動きにくいとは思ったが……


「当たり前だ。まさか物理的身体が次元を越えて飛んでいくとでも? その身体はさっき『プリント』されたものだ」


 瞬間、三半規管が掻き回されたかのような、急激な吐き気を抑えきれなかったリュウトは、壁に手をついて胆汁を吐き出した。咳き込みつつ、口内に残った苦くて酸っぱいような後味に顔をしかめる。


「うぅ……最悪」

「悪いが、耐えてくれ。彼女を救うためだ」


 口元を拭い、再びゆっくりと歩き始める。時折大きな振動が廊下を震わせるが、今のリュウトにはさしたる障害ではなかった。


「彼女って、一体何なんだ?」

「俺の大切な人だ。どうしても助けてやりたい」

「そのために俺が必要って訳か」


 クラークはゆっくりとうなずく。正直な所、今にも逃げ出してしまいたいが、ここの出口がどこにあるかなんて分かるわけもなく、それにクラークの切実な願いを無下にすることも出来なかった。


 結局、この流れに身を任せる他はなく、クラークに導かれるままに廊下を進んでいった。

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