マクシミリアンの涙

悠井すみれ

第1話 入って来たのは

 高校三年生の生活には、何かにつけて追い立てられるような気分がつきまとうものだ。まず、あらゆる学校行事に「最後の」って枕詞がつく訳だし、何より受験というやつが控えている。特に夏休みは焦る。親も先生も、テレビのCMから電車の広告まで、私たちを追い詰めようとしているみたい。曰く、ラストチャンスだとか、天王山だとか。そんな感じで赤本と参考書に向かってる間に、思い出作りより先に夏期講習とオープンキャンパスでスケジュールは埋まっていく。まあ、友達と示し合わせて参加することもできるし、この焦燥感も青春アオハルの一環として楽しめないことも、ない。人生に多分一度きりのことだから、ポジティブに捉える方が良い、んだろう。


 ただ、これからの一週間は、私は孤独な戦いを強いられることになる。大手予備校の集中講座、朝から夜まで缶詰になるやつ。田舎に帰るとか志望校のレベルが違うとかで一緒に参加できる友達はいなかった。その方が集中できて良かったのかどうかはまだ分からない。

 とにかく、知らない子ばかりの教室の中で、私は後ろの方の席を陣取っていた。ぼっちらしく隅の方へ、ってことでもあるし、列によって段差が設けられて後ろの方が高くなってる構造だから、ホワイトボードも見やすい気がしたのもある。

 午前中の講義は乗り切って、予備校の校舎近くのファストフードでランチにして。午後の一発目の科目は英語、講師の先生センセーの声はちょっとぼそぼそしてて聞き取りづらいし苦手科目でもある。

 眠気を追い払おうと、ミントのタブレットを口に放り込んだ瞬間に、教室の扉を開く音が授業を中断させた。


「すみません、遅れました――」


 遅刻者だ。まあ午後から受講する人もいるだろうし、初日だから迷うこともあるかもしれない。先生も慣れた様子で、扉を開けたに目で着席を促した。多分、よくある光景で気にすることはないはずの一幕だ。講義に集中すべき場面のはずだ。でも――


「へ?」


 タブレットを噛み砕くのと、声を上げるの。同時にできないことを同時にしようとして、私は思いっきり頬の内側の肉を噛んでいた。でも、その痛みを驚きが上回る。


 遅刻してきた子の制服には嫌というほど見覚えがあった。というか、夏休み中じゃなかったら私が毎日着てるやつだ。明るめの紺のスカート、白いシャツの襟はちょっと丸いデザインで、首元を赤いリボンが飾る。空鳥そらとり女子高等学校の制服に間違いない。

 でも、私が驚いた理由は同級生と校外で出くわしたからじゃない。制服よりも、それを纏うが大問題だった。

 耳が見えるくらいのショートヘア、でも、真っ黒な髪がさらりとしているのは遠目にも分かる。スカートの丈は弄ってなさそうなのに、すらりと伸びた脚はやたらと長くて黒のハイソックスがまぶしい。半袖から覗く腕といい、細いけどガリガリじゃなくてしなやかな、ネコ科のイメージ。何よりも、息を切らせていてなお涼しげな横顔、整った顎のライン、黒目がちの切れ長の目。あれは――


「マクシミリアン!?」

「――っ!?」


 思わず上げた声は、しんとした教室に意外とよく響いた。横文字の厳かな名前で呼ばれたの頬が一瞬で真っ赤に染まるほど。周りの初対面の受講生たちが軽くざわつくほど。


「マクシミリアンって?」

「ハーフ?」

「女じゃん」


 注目を浴びるのは、「マクシミリアン」だけじゃない。声を上げたやつ――私だ――の居場所を探して、前方の席の生徒たちがきょろきょろとこちらを振り向いている。咄嗟にテキストに顔を隠してはみたものの、近くの席の人たちには発信源がバレてしまっているようだった。中には私から離れるようにお尻をずらす人もいたりして、私の顔まで赤くなる。眠気がキレイさっぱり吹き飛んだのも、慰めにもなりやしない。


 先生は、ホワイトボードを軽く叩いて生徒の口をつぐませてから、授業を再開した。その間に、マクシミリアンも席についてノートとテキストを開いている。自由席で、別に満員という訳でもないのに、ひとりの男子生徒の隣の席をわざわざ選んで。私の知らない、当然他校の男子だ。その彼との距離の近さ、顔を寄せて小声で話す様子から、ふたりの関係は嫌でも分かる。受験勉強が孤独じゃないんだ。羨ましいなあ。


 嫉妬、悔しさ、虚しさが寂しさか――よく分からないごちゃごちゃとした思いを叩きつけるべく、私は極力無心にノートにシャーペンを走らせた。人の恋路なんて気にしてる場合じゃない。完了形と仮定法に集中するんだ。そう、自分に言い聞かせても、でもやっぱり前の方のを見ちゃう。だって、あのマクシミリアンが男子にはにかんで微笑みかけるなんて想像しないじゃん。そんな表情を目の当たりにすると、しみじみと思わずにはいられない。


 ああ、マクシミリアンも女の子なんだなあ。




 マクシミリアン、というのはの本名ではない。彼女は生粋の日本人だし、そもそもマクシミリアンは男性名だ。彼女の戸籍上の名前は武村たけむら一花いちか。マクシミリアンとは一字たりとも被っていない。

 それでも空鳥女子高等学校の生徒が揃って彼女をその名で呼ぶのは、武村一花の所属する部活に由来している。いかにも女子高にありがちなその部は、歌劇部という。男装の麗人が羽根を背負って歌い踊るあれを、高校生レベルながら全力で再現するのだ。さんの映像から楽譜を起こしたり――権利的にはどうなんだろう――、衣装部がいたりするらしい。合唱部の曲とは違うテイストの歌声は校内の風物詩だし、文化祭での公演は空高のちょっとした名物にもなっている。


 マクシミリアンは、去年の文化祭公演で武村一花が演じた役の名前だ。当時は二年生だから主役ではないけれど、ライバル役というのか、先輩たちとオーディションで争って勝ち取った、結構良い役だったらしい。

 私は、ストーリーを完全に把握するほど歌劇部に興味があった訳じゃないし、全部通して観た訳でもない。ただ、せっかく空高に通ってるんだから一度くらい見てみよう、くらいの感覚だった。そしてホールの扉を開けた瞬間に、マクシミリアンに心臓を射抜かれたという訳だ。

 歌詞と照明と曲調からして、ヒロインへの報われない想いに苦悩する、的な場面だったらしい。軍服っぽいデザインの黒い衣装に、同じく黒のマント――裏地は赤だった、衣装部すごい――を翻して歌い踊るマクシミリアンは、とても格好良かった。髪型は今みたいなショートじゃなくて、ロングのウィッグをつけてたけど、回った時に頬に髪がかかるのとか、ふとした瞬間にかき上げたりするのも色気がヤバかった。照明に光る汗が綺麗だ、宝石みたい、なんてポエミーなことを考えたのは最初で最後のことかもしれない。


 私と同じように感じて、見蕩れた生徒は多かったらしく、マクシミリアンの評判は文化祭後の校内を席巻した。主役は当時の三年生が演じてたはずだけど、主役の話題を完全に食って、彼女の画像が出回ったり、廊下を行く彼女に黄色い声が上がったりした。そう、皆言うんだもん。「あっマクシミリアンだ」って。だから私がつい学校のノリで漏らしてしまったのも無理はなかった、仕方ないことだ、と思うんだけど。


 そうだよな、知らない人から見たらマクシミリアンじゃないんだよなあ。背が高くて綺麗で脚が長くて、格好良いとも思うだろうけど。でも、女の子、なんだよなあ。


 マクシミリアンは、隣の男子と腕が触れそうな距離で並んで講義を受けている。ふたりの背中を見ながら、私はそんな当たり前のことにちょっと衝撃を受けていた。

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