第94話 全身で投げてみろ。


 なぜだか高麗川のストレッチを手伝い始めてしまう。


 こんな事をしている場合ではないんだけど。


 でも、今俺は、考えすぎて考えすぎて……どんどん悪い方向に向かっている気がする。

 だから……こうして身体を動かす事で少しは気が紛れる、少しは良い方向に考えをシフトできる気がした。


 なのであまり思い出したくない昔をなんとか思い出しながら、高麗川のストレッチを手伝う。

 

 今度は高麗川の前に周り、同じように足を開き高麗川の足裏に合わせ、そして手を握った。

 少し汗ばみひんやりとした手のひら、俺はその手の感触と、そして……高麗川の前から見えるあられもない格好にドキドキと鼓動が増す。


 俺はゆっくりと腕を引き高麗川を前に倒す。


 高麗川が前のめりになるに連れ、ランニングシャツの首元から……胸がチラリと見える。

 や、ヤバい……これは……。

 白いスポーツブラを……俺はなるべく見ないようにと、出来るだけ高麗川の顔を、目を見る。

 そして誤魔化すようにたわいもない話を振った。


「そ、そういえば、やっぱり凄いよな~~」


「何が……だい?」

 高麗川は俺強くに引っ張られながらも余裕で声を出す。


「いや、ほら俺、足は遅いからさ、陸上とは縁遠いからね」


「そうかな? 陸上って何も足が速い人ばかりの競技じゃないよ」


「そうなのか?」


「そうさ、スピード、瞬発力、そして力、勿論技も、そんな競技だからね」


「そうなんだ」


「そうだ、試しにそれを投げて見なよ」

 高麗川は俺から手を離すと素早く立ち上がり、近くに置いてあった直径10センチ程の玉を持ち上げた。


「……砲丸?」

 俺は立ち上がるとゆっくりと高麗川の近くに歩いていく。


「そう、力と技の競技だな」


「力と……技」


「いきなり男子用だと負担が大きい、これは女子用だから、はい、気を付けて」

 そう言うと、俺に砲丸を手渡す。


「お、重! これで……女子?」


「あははは、結構重いだろ? 4キロあるんだ」


「女子用で……4キロ……こんなのを投げるんだ……すげえな……」

 よく買い物で買う米袋の重さが5キロだと考えると……結構重い……。

 

「投げてみるかい?」


「良いのか?」


「内緒だぞ」

 高麗川は片目を閉じ、唇に人差し指を当てる。

 

 じゃ、じゃあ……。

 見よう見まね、でも少しは良いところを見せようと、俺は円形のサークルの中に入り、砲丸を首元まで持ち上げると、そのまま力一杯に投げた。


 しかし、やはり素人がそんなに飛ばせる筈もない……砲丸は俺のすぐ目の前に落ちるとコロコロと転がる。

 高麗川は小走りで砲丸に近付くと慣れた感じで砲丸を足で止め、再びそれを持ち上げると、サークル内で立ち尽くす俺の所まで持ってくる。


「ははは、全然ダメだな」


「腕だけで投げてるからさ、全身バネで投げるんだ」


「全身のバネ」

 俺は再び砲丸を受けとる。

 そして……今度は昔を思い出す。運動を、スポーツをいやいやながらもやっていた頃の事を思い出す。

 オタクだけど、インドア派だけど、でも実は、今でも身体を動かすのは嫌いではない。

 三つ子の魂百までって言うくらい、俺は気が付くと時々無意識に筋トレをしている時がある。


 さらにこの間の桜とのスパーリングを思い出す。

 そしてスポーツなんて……違う競技でも何かしら共通点があったする。

 例えばスケートと自転車が近い関係で、スケート選手は夏に自転車で練習したり、競輪選手に転向したりしている。


 俺の得意技は低く沈んでからの高速タックル。

 身体を極限まで縮め、力を溜め込み、そして……一気に爆発させる。

 今投げた感覚から、俺はそこに共通点を見出だした。


 そして、昔とった杵柄、こういう時、ついつい本気になってしまう。

 今でも自分の中にある闘争心に驚く。


 俺は砲丸を肩に乗せ、下半身を屈め、身体を思いっきり縮めた所から、相手に高速タックルを決める時のように、一気に力を解放、さらに腕を巻き込み相手を投げる時のように、腰から腕にかけて円を描くように動かしながら、力を集中させ一気に砲を投げ放つ。

 さっき投げた時に感じた重みは全くない。

 俺の手から離れた砲丸は、ゆっくりと空を舞うように高く遠くに跳んで行く。


 そして、さっきとは比べ物にならないくらい遠くまで、綺麗な弧を描きドスンと落下した。


「はは、あはははははは!」

 俺が投げ終わり一瞬の静寂の後、高麗川はその場で腹を抱えて大爆笑する。


「え? なんかおかしかった?」

 そんなに変な投げ方だったかな? そう、思った直後、高麗川はスタスタと砲丸が落ちた場所まで歩いていく。


「ここが何メートルラインかわかるかい?」

 サークルから白線で何本かラインが引かれている。

 高麗川は呆れ顔でその落ちた場所を指差していた。


「さあ?」

 投げ方は見よう見まね、映像では見た事があるが実際に競技自体を見た事はほぼ無い。

 

「ここが18mライン……そこが20mライン、その間に落ちてる……この意味がわかるかい?」


 高麗川の差す場所はその言っている18mラインの少し先だった。

 

「さあ?」

 それって良いのか悪いのか? 俺にはさっぱりだった。


「ちゃんと計測したわけじゃないし、そもそも女子用だけど……」


「けど?」

 何か勿体ぶった言い方に俺は少しイラっとした、しかしその後に続く高麗川の言葉に俺は驚愕した。


「18m22cmが、女子の日本記録だよ」


「は?」


「いくら女子の重さとはいえ、その格好、その靴、そしてその投げ方でここまで飛ばすとは、あははは、全国トップまで行った人間の体幹は凄まじいな、君はやっぱり僕のヒーローだ」


 高麗川は僕を見つめ笑った。


 その顔に、その高麗川の言葉に……俺の中にいる昔の俺が、心の底にいる子供の頃の俺が……嬉しそうに笑い……そして……泣いていた。

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