急転直下
それは、作られた偶然だったのだ。
どうしてこうなったのか。体育館裏と言う如何にもな場所で、魔麟学園に在学中の
時を遡ること一年前の春、魔麟学園入学式の日。かずらははとても存在感というものが薄く、なかなか人の視界に入りこめない少女だった。そのため何もないところでこけようが、今みたいに小説を読むことに夢中になり電柱にぶつかろうが、やってしまったとかずらが一人苦笑すれど、笑われたり手を差しのべられることは無いのだが、どうやらこの日は違ったらしい。
「大丈夫か?」
額をおさえるかずらの視界に入った絆創膏に、それを差し出すかずらと同じ制服を着た若草色の少年。
「……うちが、見えるの?」
「え、実は幽霊?」
かずらが思わずそう言って少女を見返せば、少年が目を丸くする。そんな彼に慌てて、うちは影が薄いからとかずらが付け足すと、間を開けて少年がけらけら笑い出した。
「面白いこと言うなお前! な、名前何つうの? オレは――」
後に二人は同じクラスだと知り、更に打ち解けていくのだが、これがかずらと少年の出会いであり、かずらが少年を好きになる始まりの時であった。
そして時は過ぎて一年後。一年時と違い少年とクラスが別れてしまったことで、圧倒的に会話をするどころか会うことすら減り、かずらは少し焦っていた。
彼はとても明朗な性格で、魅力的な男子だとかずらは思う。だからこそ、同時に焦る。このままでは誰か他の異性に彼を取られてしまうのではないかと。もしくは彼の中から自分と言う存在が淘汰されてしまうのではないかと。そう思ったかずらは、気付けば手紙をしたためていた。
話があるから放課後、体育館裏に来てほしい。そう書かれた便箋。それを真っ白な封筒に入れ、少し迷ってから裏に自分の苗字を書き入れた後、かずらはしっかり封をして閉じ込めた。――後程、意中の名前をちゃんと表に書かなかったことを至極後悔することとなるのだが、この時のかずらはまだ知らない。
そして迎えた翌日。朝早くに登校したかずらは、周りに誰もいないことを確かめて少し緊張しながら彼の靴箱にそれを入れた。早い話告白の呼び出しである。
放課後。かずらは緊張で顔を上げられない。さくさくと聞こえて来た足音が自分の目の前で止まる。彼は何も言ってこない。続く沈黙。かずらは一度目を瞑り一つ大きな深呼吸をして、そして告白をした。
「あの……私、貴方のことが好き、です……! もし、よければ付き合ってほしい……!」
「本当!? 嬉しいわ!」
ぎゅっと肩を掴まれたかずらが顔を上げた先には、男子は男子でもベリーショートの若草頭ではなく、藤色の髪を後ろでゆるくまとめた、睫毛バシバシの耽美系男子生徒。確か名前は――
(何故、こんなことに……!)
かずらは内心で頭を抱えた。だがそれも無理もない。
(何で! ……もしかして間違えた……? 確かに彼も彼と同じクラスだし、名簿準でも彼の近く……いやいや、でも私はちゃんと……って、それより早く誤解を解かないといろいろと不味い……! でもなんて言えばいいのやら……そのまま間違えましたごめんなさい? 恥ずかし過ぎるし最低すぎる。でもそれ以外誤解を解く言葉なんて――)
「あの……」
「アタシも……実は玉城さんのことが――」
「――マジで本当のところ、どうしてこうなった……!」
そう言ってかずらがテーブルに手を叩きつけたせいで、カチャンと置かれた食器が揺れた。
少し前にチャーシュー丼定食を食べ終えて、食後のヨーグルトを食べていたクロード・ブルゴーニュは驚いた。まさか、彼女がそんな荒々しい行為をするとは思わず、ぽかんと口をあけてかずらを見る。言動は容赦ないが所作は静かな彼女が荒れているのを見るのは初めてだ。クロードは首を傾げながら二度三度と瞬きを繰り返した。
「あー……かずら? 怒ってんのか」
何か嫌なことでもあったのかと目の前の小さな頭を撫でれば、かずらは恥しそうに眉を下げる。
「違うよ……ただ、意気消沈しているだけ。吃驚させてごめんなさい……」
「おー、ならいーけどよ……いきちょーちん? って何だ?」
「クロード、今はそういう、活字でしかわからないギャグはやめて……ちょっといらっとくるから」
かずらのセリフに思わず、何だと!? と立ち上がろうとしたクロードだが、そんな彼を見てか、それとも先程の頓珍漢な台詞を思い出してか、少し可笑しそうに笑ったかずらにクロードは頭をかきながら座り直した。どうも毒気が抜かれたらしい。
「まぁ……何だ。何かあれば相談しろよ」
「ふ、君に?」
「ああん!? 何だと!?」
「ふふ、冗談だよ……ありがとう」
「……冗談は嫌いなんじゃなかったのかよ……」
クロードが少し不満そうにそう漏らせば、ごめんなさいとかずらが更に笑った。これが他者であったならば、とうの昔にクロードはキレていただろう。だがかずら相手ではそうならないのだから不思議だ。むしろ心地がいいような……そこまで考えて、かずらのコシの強い髪をぐしゃぐしゃにしてやろうとクロードは腕を伸ばす。だが、それは見知らぬ声を前に届くことはなかった。
「玉城さん」
かけられた声に顔を動かせば、そこには細身の、腹の前で手を組んだ男子生徒が立っていた。
今は昼休みの時間で、クロードとかずらは時おり共に昼を摂る。それはどちらかのクラスであったり、今日の日みたく食堂であったり。そんな中、同じ部活に属する生徒やクラスメイト達に声をかけられることも少なくないのだが、それでも声をかける者は大抵決まっていて、その中に目の前の男は入っていない。
かずらの名を読んだのだから、少なくとも彼女の知り合いなのだろう。だが、見かけに反して大雑把なところのある幼馴染に、この神経質そうなタイプは合わない気もするが……そう思いながらクロードは、お前の友達かとかずらに声をかける。だがそれは、この男を前に最後まで紡がれることはなかった。
「おい、かずら、こいつ、」
「かずら?」
「あ?」
聞こえて来た声にふと男を見れば、男子は何とも不機嫌そうな顔をしている。
「何だよ……」
今俺は不機嫌になるようなことを言ったであろうかとクロードは疑問に思いつつ、そう男を見上げれば、彼の眉間に寄る皺が一層深いモノへと変わった。
「不愉快」
「は?」
「なんでアンタがこの子の名前を呼んでんの」
「……はあ?」
訳がわからない。クロードがそう思うのも無理もない。だがそんなクロードをよそに、男は濃い睫毛に覆われた目を鋭く細め、忌々しそうにクロードを睨んだ。
「何だよ……っつーか本人がいいっつってんだから別に問題ねぇだろ。それともお前の許可がいんの? 何なのお前。こいつの何なんだよ」
「私はこの子のこ、」
「ああああああ! 美浦くん! 君はお昼まだ!?」
「え、まだだけど……」
「ならば一緒に食べよう! クロードもいいよね!? ね!?」
「お、おお」
鬼気迫る幼なじみの声に思わず頷いてしまったクロードだが、当たり前だと言わんばかりにかずらの隣に座った男(美浦と言うらしい)に、クロードは首を傾げることしか出来なかった。本当に、こいつ何なの?
「あの……どうして私についてくるの?」
ドキドキの昼食を終え、図書委員としての仕事があるかずらは図書室へと向かっていたのだが、何故かその後をついて来る伊織に足を止めた。まさか彼は図書室までついて来る気なのだろうか。ふとかずらはそんな考えが頭を過った。だが、この方面に何か用事があるのだろうとすぐにそれを否定しつつ伊織を見上げた。けれどその否定も虚しく、どうも伊織は自分について来る気らしい。
「好きな子と少しでも一緒にいたいと思うのって、おかしいことかしら?」
こてんと小首を傾げる様が、恐ろしいほど様になっている。そしてこともなさげにそう言われ、かずらの頬が朱に染まった。タラシだタラシ! 先生美人なタラシがいます! そう思ってしまった彼女の心中を察してほしい。嗜好が腐っていても女子なのだ。
「……彼と、毎日お昼を食べてるの?」
「え?」
何とか冷静になろうとかずらが深呼吸を繰り返す中、伊織はどこか複雑そうにそう言った。はて、『あの男』とは誰のことであろうか。そう少し思案した後、ようやっとそれがクロードをさすのだと気付いたかずらはああと口を開く。
「クロードのこと? ……うん、ときどき食べてるけど、」
「知ってるわ、」
「え?」
「知ってる……見たことがあるもの……あの彼とアナタがずっと学校が一緒なのも知ってる……でも、アタシはアナタの恋人で、その恋人が、自分とは違う男と二人ご飯食べてるのを見て、穏やかでいられると思う?」
伊織の長く綺麗な指が、かずらの額に触れる。何か言わなければとかずらは思うが言葉が出てこない。その代わりに罪悪感が募った。
かずらは、人違いで彼に告白をしてしまったのだ。それなのに伊織はそれを真摯に受けとめて、自分も好きであったと告白をしてくれた。きっとすぐに言うべきだった。伊織が告白をしてくる前に。間違えましたごめんなさいとはっきり言うべきだった。恥ずかしがることなく、躊躇せず。
そうすればこんな……流されるように彼との付き合いが始まって、そして彼の誠実さを前に、自己嫌悪に陥ることなどなかっただろう。ああ、何て自分は不誠実なのだろうか。でも、それでも今更言い出せそうになどない。優しく微笑み、己に触れる伊織を前に間違えただなんて――。
「よ……よく、見つけることが出来たね。うちは、人より影が薄いから、家族くらしか見つけられない時があって、」
「……ないわ」
「え?」
「アタシが、アナタを見失うことなんてない」
「え、」
「アナタの顔も声もその心も……気付けばアナタに夢中になって、アナタばかりを探していた……」
「わ、か、さ……」
「玉城さん、アナタが好きよ……」
伊織の手がかずらの腕を捉える。そうして近付いて来るピーコックグリーンに、高鳴る鼓動を感じながら気付けばかずらは瞳を閉じていた。だから、かずらは知らない。耳元に吹き込まれる声は、どこまでも艶やかで甘いというのに、その双眸は狂気に染まっていることを。知る由もなかった。
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