五里霧中

「たっだいまあ」

「おかえりい」


 神風真昼が帰宅すると、リビングから珍しく返事があった。すぐ下を見ると、見慣れたパンプス。魔麟学院の教師であり、義理の姉である神風麗虹かみかぜれいんだ。彼女の仕事柄、真昼より早く帰ってくる事は滅多にない。なので、まだ麗虹は帰ってきていないとばかり思っていた真昼は、慌てて玄関で靴を脱ぎ、リビングに直行した。

 ドアを開ければ、髪をおろしてのんびりと寛いでいる麗虹がいた。ソファの背もたれに躰を投げ出し、真昼に目も向けずに。


「遅かったねえ」

「あ、ウン、ちょっとね!」


 後輩とカラオケ、友人とコンビニでたむろ。そんな適当な言い訳を真昼は考えながら応える。普段からあまり遅くなるなときつく言われているにも関わらず、時計はもう午後二十一時を回っていた。流石に怒られるかなと麗虹の顔色を窺う。だが、姉の目は妹ではなくテレビを捕えていた。


「……お姉?」


 テレビでは少年犯罪について取り上げられていた。少年院収容可能年齢が近近十二歳まで引き下げられるという話をしている。二〇〇一年四月に十四歳に引き下げられたばかりだというのに、更に引き下げるというのだ。ゲストの解説者が、最近の少年犯罪について熱く語っている。

 器物損壊、恐喝、強姦、集団暴行――少年犯罪において検挙率の高い罪をつらつらに並べて、お決まりのごとく日本の未来を嘆く。テレビは本当に愚痴るのが好きだなと真昼は思う。


「見当違いもいいだね……カツアゲなんてもの、若人にとってはゲームの延長線でしかないのに」

「え?」

「彼らはね、警察に捕縛されて裁判にかけられるまでわからないんだよ。ワルイコトしましたという実感を持てないんだ」

「どうして?」

「さあね……」


 あっさり会話を切った麗虹はようやく顔を上げた。疲れているようだが年相応の窶れを感じない不思議な顔立ちに、怒っている様子は見受けられない。追及されなかったことにホッとして真昼は麗虹の隣に座り、姉の言った言葉の意味を考えた。

 暇潰し感覚で喧嘩や恐喝狩り(カツアゲする方を狩るハイリスクなゲーム)している真昼の遠縁である癖毛の奇術師は悪いことをしているという意識はなさそうだし、捕まるとヤバいとかそういうことも考えてなさそうだ。結果が悪いからと言って行動そのものが悪いのか。

 つまりは、遊戯ゲーム。買ったのが正義。やられた方が悪い。常識ルールのない寸劇おゆうぎ。麗虹が言ったことが、何だかわかる気がした。


「ところで」


 麗虹は前に垂れてくる髪を大雑把に後ろへ撫で付け、ジロリと真昼を見ると話を変えた。


「今日やったいじめ云々のプリントだけど、どうしてあんなことになったんだい」

「ああ、月光が書いていたのを写したの」

「威張るんじゃない。そんなことは見ればわかるよ。それにしては何か長く喋っていたらしいけど、あっちにすればよかったじゃないか」

「あれ、結局脱線しちゃって答え出なかったの。それにあんなの、考えたってわからないでしょ。みんな一回くらいイジめられてみればわかると思って」

「あのねえ、別に数学のテストじゃないんだから絶対に答えを出せと言っているわけじゃないんだよ、ああいう課題は。答えより考えることに意義があるのさ」

「ううん……運動会に参加することみたいな?」

「そういうことだね。明日君達は書き直しね」

「ぎゃっぴー……ん? 【きみたち】? 何で複数形?」

「ああ、月光君と織田一之助おだかずのすけ君だよ。君のお仲間」

「ププッ、あいつらざまァみろさらせ!」


 クケケケケおめーら道連れじゃと、お下品に嗤う真昼に麗虹の冷静なコメントが入る。


「はいはいそれは君も同じ穴の貉だからね。……そもそもだね、どうせ複写するなら及川さんとか藤野君とか、夜空ちゃんにしておかなかったんだい」

「えーだってさー、及川ちゃんはまだ私のこと嫌いみたいだし、篝火には門前払いされるし、夜空は定吏となんかムズカシー話してて割り込めなかったんだもん。ね、センセー、わたしのだけビ・イ・キ・し・て」

「わかった。君だけ原稿用紙三枚に設定しよう」

「よっしゃ……って増えたじゃない!」

「愛の重さよ、嬉しいだろう?」

「……私、やっぱみんなと同じでいいデス」

「遠慮しないで受け取りたまえあしの愛を」

「ごめんこうむりやがります」

「おや、残念」


 茶化してくる麗虹に、真昼は枚数増加を避けるためにちょっと熱心なところを見せることにした。


「書き直すから、参考までにお姉のゴイケン聞かせてチョーダイよ」


 本当のところはどうでもよかったのだが、やっぱりまたイチから考えるのは面倒だったのだ。つまり、テスト範囲のような、ヒントが欲しい。真っ白な紙をポンと渡されただけではわからないからだ。


「……そうだねえ。ではまず知っておきたまえ。現代のいじめは、いわば集団ヒステリーみたいなものだなんよ。クラスやら部活ないやら複数対一で、ターゲットは訳もなく選出される」

「ワケもなく?」

「理由なんてほとんど後付けだよ、後付け。『クサイ、キタナイ、キモイ』なんて言い続けていると、加害者どころか被害者までも本当にそうなんだと思い込む。もちろん被害者は打ち明け辛い。子供世界の暗黙のルールがあって、大人に助けを求めることは裏切りとされているんだ。そもそも、圧倒的な数と力で苛め続けられることで抵抗する意思を削がれているしね。親に心配をかけたくないという子もいるだろうし、我慢しろと躾けられている子もいる。結果は単純なくせに余波が複雑なんだよ」

「ほええ、卑怯よそれ」

「卑怯じゃないいじめなんてないよ。それで『学校裏サイト』? みたいなサイトに匿名で誹謗中傷を書き込んだりする。その場合犯人特定は難しいんだよねえ。しかもそういう根拠のないアホな噂を信じる馬鹿がいて、或いは面倒事を嫌がる大人に見捨てられたりして被害者は逃げ場がなくなったと思い込む。だから被害者は耐えて待つしかない。矛先が自分以外の人間に向けられるまで」

「ほうほう」

「それと、一度【いじめ】が発生した学校ではこれまた再発の可能性が高いんだ。何せ、【いじめ】の構造アーキテクチャーが出来上がっているのからね。一度でも大きな【いじめ】が起きた学校からいじめを取り除くには相当な時間と忍耐力がかかる。いじめられる相手と友達だと、その友達までいじめられはじめるという感染症のような悪循環が起こる」

「へー、大変」

「……コラ、人事だと思って」

「ウン」

「……だろうねえ」


 はああと麗虹の沈痛な深い溜め息。珍しく趣味以外で一生懸命語ったらしく、少し疲れたようだった。


「偽善ぶって悩んでいるフリをするよりはいいよ」


 今の反応はまずかったかとしょんぼりした真昼に言う麗虹に、やっぱり彼女は自分のことをわかってくれる。それが嬉しくて、真昼は表情を和らげた。


「……とはいってもねえ、いじめもそうだけど、少年犯罪というのは決して頭から憎めないんだよ」

「どうして? 悪いことをするヤツなんか、かばう必要なんてないじゃないか」

「そう簡単に言ってもね」


 麗虹は苦笑した。


「犯罪に走るほとんどの子は家庭に事情を抱えていたり、『愛されている』という実感が持てなかった子達なんだよ。夢も希望もない人間は、容易に将来を諦めてしまって、簡単に堕落してしまう。自分の将来のことに疎くなって、一過性の衝動で簡単に罪を犯す」

「…………」

「だから少年犯罪はサインでもあるんだ。『助けて』って訴えているんだよ。『こんなの絶対間違ってる』って。……まあだからと言って、自分の罪を認めずに責任転嫁するのはもちろん悪いことだよ」


 真昼はなんとなくわかる気がした。真昼も、麗虹を含め好きな人に嫌われることへの漠然とした不安がある。自分はそれほど弱くないはずなのに、見捨てられるということを想像するだけで、足場が崩れていく感覚に囚われる。親変わりのような麗虹に対してもそうなのに、無償の愛をくれるはずの家族から愛を受けとれなかったら、愛されていたとしても愛を感じられなかったら。

 自分は一体どれだけ精神こころは歪んで脆くなるのだろう。暴れる彼らと自分は紙一重。何があっても、前を向けるようにしてくれる#大人__だれか__#がいるかいないかの違い。


「私、お姉のこと大好き」

「……うん?」


 唐突な告白に、麗虹は片眉を上げる。


「だから……だからさ、嫌いにならないで欲しいの」

「あしも愛しているよ」


 苦笑した麗虹は小さな頭を胸に引き寄せた。されるがままに真昼はその胸にしがみつき、額を押し付ける。ほんのり甘いマンゴーの香水の匂いを吸い込むと、少し落ち着いてきた。


「何だい急に。どうしたの?」

「…………」


 ぎゅうと指に力が入る。


「今日、遅くなったのに、連絡しなかった」

「どうしたんだい……そんなことで嫌いになるって? じゃあいつも連絡しないで勝手にしてるお姉ちゃんは真昼ちゃんに嫌われてしまうのかな?」

「そっ」

「ないだろう? それならあしもない……そりゃねえ、心配は、それなりとしていたけどさ」

「ごめ……」

「大丈夫だよ。らしくないぞ、真昼ちゃん」

「……ウン」

「まだまだ子供なんだから、腕白なくらいでちょうどいいんだよ。若いうちは無理して頓挫したことの一つや二つあっていいんじゃない? 老いぼれた時の酒の肴のためにね」


 自分の頭を撫でてくる優しい手つきに、絶対的な安心感を覚える。それは、麗虹に依存している証だ。でもまだ自分は子どもだから、仕方ない。誰かに愛され庇護されてなければ、生きられない。真昼は温もりを名残惜しみながら顔を上げると、照れ笑いを浮かべた。麗虹も笑って、しかし、すぐに笑みを消した。というより、麗虹の顔の筋肉が凍り付いた。


「……そういえば真昼ちゃん。君、朝に付けていたヘアピンはどうしたんだい?」


 買ったばかりのと続ける。


「……え、えーと」

「目が泳いでいるけど」


 その時、バレンタインデー特集をしていた番組が速報ニュースが切り替わった。


『今日午後八時三十分頃、アブサン会計事務所で乱闘騒ぎが発生しました。発砲音がしたと近所からの通報で警官が駆け付けたところ、数人の学生らしき若い男女が逃げ去るところが目撃されたという事です。アブサン事務所は、ユビキタス暴力団の下部組織で拳銃及び覚醒剤の不法所持――』


 真昼をしばらく無言で見ていた麗虹の顔が、ひきつった。


「……真昼ちゃん、君まさか」

「あ、お姉。私明日の予習しなくっちゃー」


 真昼はそそくさと姉の手と視線から逃れる。


「何だい藪から棒に、いつもしてないくせに」

「じゃあお風呂に行ってこよー。あ、覗いちゃダメだゾ★」

「ちょ、キャラ違うんだけどォォ!?」

「お姉もね!」


 麗虹のバク転に失敗したような叫び声を背に、脱衣所に逃げ込んだ真昼はフゥと息を吐いた。……だって仕方ない。子供ガキンチョなんだから、ワンパクくらいは。

 約一時間後、風呂から出れば麗虹の連続射撃のような追求が待機している事だろう。それを敢えて考えずに、クスリと笑って、ポニーテールをほどき、制服を脱ぎ始めた。

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