修羅場 蛇足
友人なんて馴れ合った関係でも、恋人なんて馬鹿馬鹿しい関係でも、セフレなんて爛れた関係でも無い。だからと言って家族や兄弟のように暖かいものでも、主従のように便利なものでも無い。悪友のようでも無いし、ビジネスパートナーでも無い、行きずりの相手というわけでももちろん無い。形容のし難い関係だと、
「……何をしておる」
こちらの心境を教えてやるかのように、わざわざため息を吐いてやる。ケダモノはニヤリと哂って手を差し出してきた。その手を無視する理由は充分過ぎるほど足りているけれど、残念なことに先に声をかけたのはこちらだったので、罰を受ける気分で仕方なく近づく。
「こんなとこで油売ってていいんですか。本鈴鳴りますよ?」
「……知らんのか、今日は午前授業までよ」
「それでデートのお誘いってわけですか」
「戯け。今日の私は誇大妄想に付き合う暇を持ち合わせておらぬ」
黒猫は膝下のスカートを翻して立ち去ろうとするも、知らずの内に自分の手首は大きな手が絡みついていて、無意識に舌打ちした。その様子を見下ろして、男はせせら笑う。手放す気は微塵も無いらしく、むしろだんだんと力が加わっているように思える。
いっそのこと、その憎たらしい顔にポケットに忍ばせてあるカッターナイフでも突き立てて、しばらく表に出られない有様にしてやろうか……否、でもきっと寸でのところで阻まれて、更に状況が悪化しそうなのでそれは避けておこう。そもそも此処は学校でしかも廊下だ。どの道この男に手を捕えられることは、こういう結末しか成り得ないのだと、黒猫は諦観の境地に至った。
「……やれやれ。何がそんなに楽しゅうて血を見て、流すのか」
「バンドエイド下さい。一枚くらいお持ちでしょう?」
「医務室はこの廊下を右に曲がった奥よ。自分で貰ってきやれ」
「面倒臭いです」
「ケダモノゆえ、舐めて治せるであろ?」
「犯すぞ」
「やれ、下劣なことしかできぬか」
ちらりと目線を向ければ、血生臭い狼の神経を逆撫でさせてしまったのか――いや本当はその気で満々だったのだが。
さっと顎を掴まれ固定させられて、そのまま口を塞がれた。想定内のことではあったが、間髪入れずに近づいた顔を避けることが出来ず、酸素を求めて僅かに割れたその間から、生温かい舌が潜り込んでくる。じんわりと鉄の味が広がった。
「不味い」
「……雰囲気を察して下さいよ」
「血の味を好むニンゲンがどこにおる」
「なら好きになれるように頑張って下さい」
「
スカートの右ポケットに入れていた絆創膏を取り出して、封を裂く。ピリッと何とも情けない音が空気を振るわせた。その行為を無感情に長い前髪の奥から見届けていた少年の、青痣が残る口元にべたりと乱暴に貼り付ければ、彼は怪訝そうに顔を歪める。
「ほれ」
「……手当ての一つできないようじゃ、将来が思いやられますね」
「ならば医務室へ行きやれ」
「僕が教えましょうか?」
「己が心配をしておけ」
「…………」
狼は珍しく素直に、唇から絆創膏を引き剥がして目下の薄っすら血が滲んでいるところに貼り直した。それでも、まだ顔や腕には生傷が無数に散らばっている。よく見れば手にも。自然界のケダモノより、性質が悪すぎる。……喧嘩なんて、本当に稚拙なことするものだ。
「ではな。先約があるでな」
「帰り、付き合って下さい」
「……気が向いたら考えてやろ」
「本当に可愛げがないんだから」
「余計な世話よ」
ソプラノとバステノールのワルツと共に、二人分の靴音が遠ざかっていく。
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