僕の二十歳のお祝いに

リリィ有栖川

じいちゃんからの贈り物

 僕の周りを時計が回る。


 ゆっくり静かに、ぐるぐるぐるぐる。


 誰にも見えないし、どうしてこんなものが僕にだけ見えているのかもよくわからない。頭のおかしい奴にならないために誰にも言ってない。相談とかしたってどうにもならないのは明白だ。触れないし。


 僕はこういうものをたまに見る。いや、霊感とかがあるってわけじゃなくて。数年に一度程度で不思議なものを見る。例えば河童みたいなのだったりおかしな動きの雲だったり人間の言葉を話す猫だったり空を飛ぶペンギンだったり樹の精霊みたいなものだったり。


 子供の頃は一年に一回は見ていた気がするけど、高校に入ってからは一度も見ていない。


 いや、高校に入ってってよりも、じいちゃんが死んでからなのかな。


 あの時から、妙に世界が静かに思える。じいちゃんとは仲が良かったし、両親よりも遊んでもらったから、じいちゃんが死んだショックでそう感じるのかとも思ったけど、どうにもそういう感じじゃないなって思うのは、薄情な話、じいちゃんがいない日常に慣れたから感じることだ。まあ、四年かかったんだけどさ。


 気がつけば今日で二十歳になっていて、律儀にも、いや当たり前だけど、この年まで酒も煙草も手を出さずにいた僕のことを、友人たちが祝ってくれた。ただ、なんでそんなに頑なに年齢を守ったんだと聞かれたせいで、それがじいちゃんとの約束だったことを思い出してしまったせいなのかそれとも僕がそもそも酒に強いのか、それともくるくる回る時計のせいなのかわからないけど、酔っぱらっているという感覚はあまりわからずに初めての飲み会は終わってしまった。


 なんだか悔しくて最寄駅が一緒の友人を誘って家の近くでもう一軒行ってみたけど、結構な量を飲んだと思うのに、友人みたいに足取りがおぼつかなくはならないし、よくわかんない感じにもならなかった。


 タクシーに友人を乗せて、友人の家の住所とドライバーさんに大体いくらか聞いてお金をわたして帰らせて、笑みと一緒に溜息が洩れた。その中には確かに酒気が混ざっている感じはするけれど、あいつよりも量を飲んでいるはずなのに足取りもしっかりしている。


 時刻は午前二時五四分といったところ。この時計の唯一の利点は、いつでも時間がわかることだけど、うっとうしさが強くて利点は埋もれる。秒針の音が聞こえないことだけが救いだ。


 居酒屋もほとんど店を閉めて、やっているところもちらほらあるけれど、喧騒は建物から漏れるだけ。外にいるのは今、僕だけだ。店が建ち並ぶ道を抜けてしまえば自分の足音ばかりがやけに大きい。こうも明るいと、星は見えそうにない。


 時計を見る。動く時計を見るのはちょっと大変だけど、一週間も回られれば慣れるってもんだ。


 ちょうど三時を指示して、そして突然光り出した。え? なんで光るの? 眩しいしなんかすごい時計に似合わない綺麗なベルの音が――。 


 音と光に包まれて、気がつけば見知らぬ建物の前に立っていた。


 時計はずっと鳴っている。静かな所が唯一の利点だったのに、どうして捨てちゃうんだよ。


 周りを見渡すが、光の中みたいに建物以外何も見えない。光の中にいるのに建物だけ見えるっていうのも変な話だけど。


 建物は、太い柱時計見たいな見た目だ。ドアの上には『時計屋』と武骨に書かれている。僕の周りをぐるぐるしていた今はベルの音を奏でている時計がそのドアに近づくと、ドアはゆっくり開いた。


「やあ、どうぞ中へ。いらっしゃい」


 中からそんな声がして、かなり不安だが、ここに入るしかなさそうだから誘われるままに足を踏み入れた。


 そこには、尋常じゃない数の時計が壁を埋め尽くしていた。壁だけじゃない、天井にも、置かれているテーブルにも、そこかしこに置かれかけられ貼り付けられている。全てが違う時間を刻んでいて、秒針の音や振り子の音、機械が動くような音やらが色んなところから聞こえてくる。だけどどうしてか、不思議と落ち着く。


 その時計の中に埋もれるように、一人の眼鏡の男性が座っていた。こちらに目もくれず、目の前のテーブルに何かを広げていじっている。他には誰もいなそうだ。


 あの人が、声をかけてきた人だろうか。


「河瀬千景さん、かな? 飯田光男さんのお孫さんの」


「ど、どうして」


 顔を見ることなく僕とじいちゃんの名前を当てられて、言葉が詰まる。判断が遅れる。一瞬遅れてどうにか逃げようと考えられたが、眼鏡の人は何かをしようとはしてこない。


 時計の音と、何かをいじる音だけが数秒流れる。よく見れば、眼鏡の人が持っているのは時計みたいだ。直しているらしい。


「ちょっとだけ待っててほしい。なぁに、ここに時間の概念はないんだ。そうだね、これが終わるまで、少しだけ説明をしようか」


 話しながら手は滞ることなく動く。器用だ。


 変な場所だし、僕とじいちゃんのこと知ってるし、怪しさと不安しかないはずなのに、この店の現実感の無さと眼鏡の人のこちらへの興味の無さが、警戒心をいまいち持たせない。話だけは聞いてみようと思えるくらいに。


「君の周りをくるくるしていたのは衛星時計。ここに来る人だけに見えるようにしてある」


 衛星時計は今は眼鏡の人の頭上をくるくる回っている。なんだか、大好きな飼い主にじゃれている犬みたいに見える。


「ここは時計屋。様々な時を刻みながら、どこの時間とも繋がって、何処の時間にも干渉されない場所。まあ異世界とかパラレルワールドとか異次元とか、君の変換しやすいように変換してね」


「僕は、あなたに連れてこられたってことですか?」


「まあ、そんなところにしとこう。よし、出来た」


 なんだかはぐらかされた気がするが、眼鏡の人は持っていたものを全て置くと立ち上がった。意外と背が高いことにたじろぐ。僕が小さいだけというのは黙っていよう。


「さて、君に来てもらって理由は、飯田光男さんから与ってるものがあるからなんだ」


 作業を終えても僕の顔を見ようとはせず無表情のまま背を向ける。そこにはまさに大きなのっぽの古時計という言葉が似合う時計があって、それをドアのように開けて中に入って行ってしまった。


 呆然と見ていると、すぐに戻ってきて、手には何か筒状のものがあった。掛け軸だとすぐにわかったのは、それが見覚えのあるものだったからだ。


「それって」


「ええ、光男さんからあなたへの贈り物です」


 じいちゃんが死んで、そのあとどうしてかみつからなくなったものだ。こんなところにあったなんて。


「そして、これが光男さんから私への依頼です」


 そういうと、掛け軸が勢いよく解かれて、月を見上げる鳥の描かれた水墨画が見えるとすぐに、また光に包まれた。


「この絵はね、じいちゃんの友達が描いてくれたんだ」


「すげー! じいちゃんの友達すげー!」


 聞き覚えのある声と、知らない子供の声。


 目を開けると、そこはじいちゃんの家のじいちゃんの部屋だった。フローリングの部屋に場違いにかけられている掛け軸の前で、じいちゃんと、子供の頃の僕が話していた。


 この時のことは覚えている。この絵はじいちゃんの友達が描いたんだと教えてくれて、いつか僕にこれをくれると言ってくれたんだ。


「この絵にはね、遠くにいても、いつでも傍にいるという思いが込められているらしい」


「遠くなのに傍にいるの? 無理じゃん」


「ああ。無理だな。ははは。あいつは変な奴だったんだ。こんなもん残して行っちまってな」


「ひっこしちゃったの?」


「そうさ。うんと遠くにな」


「もう会えないの?」


「いいや。会えるさ。こうしてこの絵を見れば」


「ええー? いないじゃん」


「はははは。そうだな。いつかわかる日が来たら、この絵をあげよう」


「ほんとに!?」


「ああ。その代わり、ちゃんと勉強するんだぞ?」


「あ、それは大丈夫。僕勉強得意だから。この前も百点だったし、僕百点以外とったことないよ!」


「それはすごいな。どこまで記録が伸びるかな?」


「ずっとずっとだよ!」


「はっはっは! 楽しみだなぁ」


 こんな会話、忘れていた。でも確かにした覚えがある。


 どうして僕は泣いてるんだ。涙が止まらない。ああ、もっと見ていたいのに、視界がぼやける。


 涙を拭いたら、もうあの時計屋に戻っていた。いつの間にか、僕は絵を抱きしめていた。


「この絵の意味を忘れないように。という伝言も与っています。では、確かにわたしましたよ」


 はじめてにこりと笑った眼鏡の人は、懐から丸い小さな時計を出すと、何か操作をして僕の方に文字盤を向けた。


「場所はサービスしましょう。それではまたいつか。あなたが来られれば、ですがね」


 ぐりゃりと視界が歪み、視界が暗転していく。


 目を覚ますと、自分の部屋のベッドの上だった。


 僕は寝ていたのだろうか。実は酔っぱらっていて一人になった途端に意識が飛んだ? 今までのは、夢だった?


 起き上がると、何かが転がり落ちた。しらばくじっと見てから壁にかけてみて、自然と頬が緩んだ。


 まだ夜なのに、少しだけ、世界が騒がしい気がした。奥の方にあった何かが溶けてなくなっている。


 もうあの時計は見えなくなっていた。


 だけど今も、僕の傍にいる気がする。

 


                    了

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僕の二十歳のお祝いに リリィ有栖川 @alicegawa-Lilly

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