第5話

朝になった。


「……流石に今日は寝過ごさなかったか。」


教室へ入るといつもの喧騒。

先日までは例の記憶泥棒の噂の話で持ちきりだったような気もするが、既に今日は昨日放送したドラマの話や、好きなイケメン俳優なんかの話に既にシフトしているようで、人の噂も七十五日とも言うが、流石にこれは呆気なさすぎる。

被害者張本人からすると、割と自体は深刻だというイメージが、世間ではもはや会話のネタにすら使われないという現状をなんだか不憫に感じてしまう。

そして、そんないつもどうりの日常の風景の中、いつもどうりではない風景が紛れ込むことになる。


「おはよー明!」

「……!?」


教室にやってきたのは朝比奈由美である。

あの彼女が教室に入ってまず最初に僕に話しかけてくるなんて。

こんなクラスの物置的存在の僕に。


「あ、……うん……おはよ。」


僕はクラス中の視線が全身に刺さるのを感じながらおずおずと、なんとか挨拶を返した。

注目を浴びるのは好きではない。

僕は席を立つと、由美にちょっとそこまでと声をかけ教室を抜け出した。


「それで……聞き出す人って前に話してたあの人の事なのか?」

「うん、京香きょうか先輩だよ。望月京香もちづききょうか。もう、引退してるけど元々バスケットのエースでさ。いまはOBでたまに顔は出してくれるけどここの所あんま話してはないかな。」

「その人も、こうなったって聞いた時は……何か心配とかしなかったのか? もっと早く話を聞いてあげるべきだったんじゃ……。」


すると彼女は気まずそうに口をつぐむ。

僕は望月京香という人に同情すると同時に、せめてもっと早くなにか相談かなんかしてあげるべきじゃなかったのかと、そんな同じ境遇だからこそのシンパシーというか、とにかくそんな場違いな正義感が今、僕の心から湧き上がってきた。

しかし、それを聞いた由美は、過去の過ちを悔いるかのような顔をして、答える。


「それは……だってあの時はまさか噂が本当だったなんて夢にも思っていなかったから。」


それを聞いて、僕の中で熱くなっていた感情が一気に冷えた気がした。

そりゃそうだ。

誰が一体彼女を責められることができるだろうか。

これはただの八つ当たりの様なただ僕の身勝手な正義感にすぎない。

本当に何をやっているのだろうか。


「いや……ごめん。由美を責めるのは筋違いだった。そりゃ、僕だってつい数日前までは同じことを思ったよ多分。」

「……やっぱり、もっと早くこうするべきだったんだ。今すぐにでも、話を聞きに行こう。」


そう言うが早いが、由美は廊下を駆け出した。


「ちょっと! 何処へ行くんだ!」

「京香先輩のとこ。」


僕は急いで彼女の後を追う。

ちょっとまて、多分あと5分位で授業が始まる時間だぞ。

確かに早くするべきだとは言ったけれど、そういう事じゃない。

僕はその事を彼女に端的に述べると、すぐ済むから大丈夫! ともう既に階段を駆け上がっている最中であった。

しかし、彼女を一人にするわけにはいかないのですぐにその背中に張り付く。

聞き出す情報量を考えるだけでもたった5分程度で済む用事じゃ無いのは考えるよりも明らかだ。

朝比奈由美はこんな衝動的に行動する人であっただろうか。

もし、本当に時間がやばそうだったら僕が彼女のリミッターとなり、教室へと連れ戻そうと決意し、共に3年生の棟を目指した。

しかし、この時僕はこの先そんな思考など甘かったのだと思い知らされる事になる。

そして、何故こんなよりにもよって最悪なタイミングでもっと早く話すべきだなどと、結美に言ってしまったことを死ぬ程後悔する事になるとは思いもよらなかった。

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