第37話 オンショア(海風)

 銀行屋ぎんこうやからの連絡れんらく途絶とだええましたが、ダイは、しじどおり枝道えだみちに入りました。山の中で電波でんぱがとどかないせいか、トランシーバーはノイズしか入りません。れいの土建屋ゼネコンさんの広場ひろばに出ると、すでにソルの痕跡こんせきすらなく、しかたなく、彼は本道ほんどうにもどりました。

 とりあえず彼は、目の前の山づみの土砂どしゃを、オフロードバイクでのりこえました。

 さて、これからどうすんの? 

 ダイは湿しめったヘルメットの中でつぶやき、鼻水はなみずをすすりました。「ハァー」といきをはき出すと、さすがに白くはなりませんでした。

 なにも思いつかないまま、サイドスタンドをけって、走り出します。後は、どくじの判断はんだんすすむしかありませんでした。



 ソルは身も心も、さっぱりしていました。おおむかしに、山のいただきから落ちて来たらしい、とうげぞいの大きな石の上にすわり、かた足を、ブラブラさせていました。ほぼ無人むじんしまでは、どこにいてもおなじですが、とりわけ、ここはしずかでした。なぎさからはなれた、風むきと反対の山面やまづらには、海風うまかぜが強くまわりこむことはありません。おか里山さとやまのような、おだやかな景色けしきに一人たたずんでいると、下界げかいから、けたたましい4ストのエンジン音が、ひびきわたってきました。

 下からの音には、とっくに気づいていましたが、ぼんやり、来訪者らいほうしゃをまちうけていました。彼にはもう、にげる意味いみも、気力きりょくも、ゆき先もありません。無責任むせきにんに大人にまるなげするチャンスを、みはからっているみたいでした。さんざんやりちらかしておいて、ズルいようですが、ズルくなくては生きていけないのも、現実げんじつの一の側面そくめんです。すくなくとも、それをまなんだたびではありました。それに、今ズルくしておかないと、この先もっとズルくなるような予感よかんがして、今やそちらの方をおそれるのでした。

 ピンクのツナギを着たライダーが、バイクからおりました。ひさしのあるヘルメットをぬぎながら、こちらにちかづいてきます。かなりビビッていましたが、彼はっこが生えたように、けっきょく立ち上がりませんでした。

「よお」

 ゴーグルを上げ、ダイはいいました。

 あんしんしたソルは、ちょい、かた手を上げました。

 ダイがほほえむと、ソルも片頬笑かたほえみました。

「おむかえに上がりました。おひめさま」

「かえんの?」

「おたわむれを」

「じゃあ、かえるか」

 うながされるまま、さっさと後ろにまたがりました。

「なんかスカスカだな、このバイク」

「オフロードだからね」

 ダイはヘルメットをぬいで、ソルにかぶせました。

 ソルにとって、宅配たくはい(普及しなかったドローン)をのぞく趣味しゅみのバイクは、リッターバイクのことでした。もったいなくてオフロードを走れない、クチバシの出たアドベンチャーや、ピカピカのクロームメッキのカスタムパーツでかざりたてた、走る着せかえ人形にんぎょうこと、かち組おじいさんのハーレーデビットソンなどがそれでした。

 

 二人のりのバイクは、エンジンブレーキで、どんどん坂道さかみちを下っていきました。とうげを大きく低速ていそくでまわりこむと、一気に、青いきらめきと潮風しおかぜがとびこみます。ソルはヘルメットのアゴをずらし、あたまに風を入れました。彼が山に入ったのは、ほんのちょっと前のことなのに、ふと、そのにおいと眼下がんかに広がる青に、なつかしさをおぼえました。

 道がたいらになるにつれ、海は見えなくなりましたが、風の強さだけはかわりませんでした。そこに着くと、島内とうないで一番大きな道、島の外縁がいえん一周いっしゅうする、環状線かんじょうせんにのり入れました。

 ダイは下っているさなか、背中せなか圧迫感あっぱくかんに、少しだけホルスを思いだしていました。しかし今のじぶんには、どうすることもできません。それいじょうは考えないようにして、みなとゆきの道にハンドルをむけました。

 まぶしくりかえす白磁はくじのようなボディに、「ONSHORE」と青く書かれたふねは、すでに進水しんすいをすませていました。このふねがドックから出るのは、一度きりの試運転しうんてんについで、今回で二度目でした。真空しんくうパックづめされたようなオンショアごうは、まあたらしさをとどめ、ソルがのって来たふねより、二回りほど大きいサイズでした。とうぜんというべきか、はついていません。みなとには、ママが一人だけでした。

「おつかれぇー」

 ニコニコがおのママは、日かげでダイにいいました。風がふくとかおがスッポリかくれてしまう、つば広のボウシ。カマキリみたいに大きなブラウン・グラデーションのサングラス。すけたサマーニットの上にショールをはおり、二のうでまでカバーする薄手うすでの黒いロング・グローブ 。ショートスカートの上にけたロングを重ね、太いヒールのサンダルをはいていました。

「おつかれぇー」

 うしろのソルにもいいました。

「ぜんぜんだよ。すぐに見つかった」

「アラ、り上がりに欠けるわね」

 ちらっと、ソルを見て、

「ちょっとボクゥ、もっと、しっかりしなさいよぉ」

 かるく手で、たたくそぶり。

「ハハ」

 ひきつりわらいのソル。

「なんか、トランシーバーきかんのよ」

 ソルにかぶせたヘルメットをとり、じぶんが、かぶりました。

「じゃあ、これから銀行ぎんこうまで、一っ走りしてくるから」

 ママはぐっと、ツナギのうでをつかみました。

「いいのよ、いかなくて」

「はっ?」

「いかなくて、いいの」

「え、なに? またオッサンどうしケンカしたの? それとも痴話ちわゲンカ? (笑)」

「そうじゃないの、もういいの」

 アゴをふねにしゃくって、

「これは、やめにするの」

「はぁ?」

 困惑こんわくするダイ。

「なに、オレのいない間に、きまったの? トランシーバー切れてたとき?」

「まだ、だれもらないわよ。ここだけのはなし

らないって? あんたなにいってんの?」

「あらぁ、べつにおどろかなくても、いいじゃない。いまさら・・・

 ママは、口もとに手をあてました。

「今さらって……」

「みんな自分の意志いしで、ここにきてんじゃいないの、アンタだってわかってんでしょ? たとえ無理強むりじいされなくったって、けっきょくどこにも行き場がなくって、他よりは好条件マシってだけで、ここをえらんだだけなのっているでしょ? どうせアンタだって、なんかのヒモつきでしょ?」

「……」

 ダイは、だまっていました。めいかくな自覚じかくはありませんでしたが、じぶんをがしてくれた背後はいごに、ビンボー弱小じゃくしょう教団きょうだんいがいの、なにものかがいることぐらい、うすうす、かんづいてはいました。しかし他の三人とちがって、それがいったいなんなのか知りもせず、その関係者かんけいしゃとおぼしき人間とも、会った記憶きおくがありませんでした。彼は対等性たいとうせいをたもつため、わざとだまって、ふくみを持たせました。

「チェロキーは?」

らないわよ」

「ん、どっちのらないなの? チェロキーはこのはならないってこと? それとも無視むしするってこと?」

「いいの、あれはほっといて。これは、ここだけのはなし。わかるでしょ」

 ダイは、ふりかえってソルを見ました。

 思わずソルも、ふりかえりたくなりましたが、しかたなくダイに目を合わせました。

「だってよ」

 ママにふりかえって、

「で、どうするの?」

「どーするって、わかんないわよ! ――てか、このふねったときから、マーキングずみなのぉ!」

 だしぬけにいう、ママ。

「ふ~ん。で?」

「ちょっとぉ、マジメに聞いてんの?」

「聞いてるよ。それで?」

「だからー。このふねで、のこのこ出ていっても、すぐつかまっちゃうってハナシ」

「で?」

「でって?」

 聞き返すママ。

「それで?」

「……」

 口ごもるママ。

「いや、なんで、そんなことはなすの? なんで、あんたってんの? それをおれらにおしえて、なんのメリットあんの?」

 やつぎ早に問いただす、ダイ。

「それは……」

 ぎゃくギレのように転調てんちょう

「――そぉんな、いっぺんに言われたって、こたえらんないわよ(笑)」

 竹中直人みたいな、おこり、わらい。

「じゃあ、一コずつ、じゅんばんにこたえてよ」

「きゅうに利口りこうぶるんだからぁ、もう。ホーント食えないわねぇ」

「えーと、なんだっけ?」

 すっとぼけているのか、たんにボケているのか、よくわからないママ。

「もういいよ」

 手ではらうしぐさ。

「どうせ、うまいことはぐらかすにまってるし。あんただって、自分のラスボスだれかなんて、らないにまってるし。自分がなにをっててらないのかすら、らないんじゃないの? ――ホラよくあるじゃん、ゲームとかで。本人も上位キャラだと思ってたら、使いすての雑魚ざこキャラだったてやつ。その下の、下っぱの下っぱなんでしょ、あんた」

 ダイは半分あてずっぽうに、わが身におきていることを、そのままきかえていいました。

「よく、したのまわること。コワイコワイ。そう、ミもフタもないこと言わないでw」

 かおはわらいつつ、氏んだ目のママ。

「どうでもいいけど、識別装置しべつそうちとか外せないの」

「やってみる? やつらが後からつけたとでも? 言ってはなんだけど、あたしだってこう見えて、もとはカンオン持ち(自立民)なのよ。今どき製造段階せいぞうだんかいからタグ(個別認識)まってるのなんか、常識じょうしきなのよ」

「――イヤ、ってるし(笑)」

 ダイは苦笑にがわらいをして見せました。

「気をわるくしないでね。だから無理むりなのよ。それとも、ごっそり制御装置せいぎょそうちごとぬきとってみる? ほとんどいかだになるから。――ていうか、うごかないから。みなとから出ることすらできないわよ」

「いちおう、聞いただけさ」

 ダイは、べつに動揺どうようしていませんでした。だって今のところ、ソルをふくめたこの中で、彼がいちばんの部外者ぶがしゃですからね。

「でもよく考えたら、こいつのこと、まだバレてないんじゃ――」

 親指おやゆびでソルをゆびさしました。

「バレてるにまってるでしょ!」

 二人がドッキとするほどの大声おおごえを、ママは出しました。

銀行屋ぎんこうやがとっくに、報告ほうこくしてるわよ」

「あんたの方は、どうなんだい?」

「あたしは……」

「まあいいや。じゃあ、どうしろと? どうでもいいけど、あんたもしかして……、うらぎってる?」

「子度藻はそーんなこと気にしなくて、いいのぉ(笑)」

 一変いっぺん態度たいど軟化なんかさせました。

「あ、そ。べつにキョーミないし」

 おもったよりアッサリダイにいなされ、やや不満気ふまんげなママ。

「だいたいガキ一人ぽっち、頃しゃしねえだろ。フッー」

 ぶっきらぼうにいう、ダイ。

「そぉんなの分かんないわよ。あたしにだって。それに――、むこうについてつかまってからじゃ、おそいし」

「じゃあ、どうすんだよ」

 ソルがその音に、いちばん早く気づきました。聞いたことのあるエンジン音です。

 チェロキーのゼブラ模様もようのジープが、防波堤ぼうはていの上にあらわれました。

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