第36話 ノード 2 結節点

 ソルのカンオンは、さいど、異質いしつ電波でんぱをキャッチしました。いったん見失みうしなったそれは、また復活ふっかつし、力強くみゃくうちはじめました。それはカンオンにかぎりなくちかく、びみょうなところで、ちがっていました。カンオンはいこまれるよう、そこへむかって急突進きゅうとっしんをかけます。

 銀行ぎんこうにつくと、つぎつぎ障壁しょうへきとなる物理ぶつりドアを、突破とっぱしていきます。ほぼ手動式アナログしきですが、ほそ長いワイヤーアームをくりだし、カチャカチャ、つぎつぎ、こじ開けていきました。

 カンオンが実力行使じつりょくこうしにうったえるのは、ひじょうに、めずらしいことでした。カンオンの実力行使じつりょくこうしには、おもに四つの条件じょうけんありました。

 一つ、人のいのちにかかわるとき。

 一つ、物理的ぶつりてきにかぎった、違法行為いほうこうい阻止そしするとき。

 一つ、それが違法いほうではなくても、反社会性はんしゃかいせいうたがいが、きわめて強いとき。

 一つ、該当事件がいとうじけんにかかわることのできる人間が不足ふそくしているか、まわりにいないとき。

 などでした。

 目の前でおきている事象じしょうがこれらの条件じょうけん合致がっちし、さまざまに見做みなせる諸要素しょようそ減点方式げてんほうしきをへてなお、その事例じれい規定きてい数値すうちを上まわるとき、ようやく人をおびやかすおそれのある、その強権しゅうだんてきじえいけん発動はつどうさせることがでました。あたりまえですが、これらの原則げくそく厳格げんかくにまもられていました。

 かんちがいされるといけないので、なんども重複じゅうふく覚悟かくごで言いますが、カンオンは抑圧的管理者スカイネットではありません。それを規定きていしているのは、徹底的てっていてき人間尊重主義ヒューマニズムであって、あくまであるじは人間なのです。

 カンオンはけっして、でしゃばりません。カンオンへの付託ふたく主体性しゅたいせい一部譲渡いちぶじょうとは、グレート・チェンジの一環いっかんとして、時の政府せいふ審議しんぎによる審議しんぎのすえ、選挙権せんきょけんをもたぬ外国人みっこうしゃをふくむ全世代ぜんせだい対象たいしょうとした、完全国民投票ちょくせつみんしゅしゅぎゆだねられることによってまりました。そしてそれは、今も定期的ていきてき代理人だいりにん代表選挙だいひょうせんきょをつうじ、更新こうしんされつづけているのです。このものがたりの冒頭ぼうとうでもいったように、カンオンは「人の心のつえ」として、市民しみん社会くらしの中で、空気のように存在そんざいしているのでした。

 カンオンは地下室ちかしつに入るやいなや、フジツボの生殖器官ペニスのような、ほそ長いシールドをつなぎ、情報共有コピー開始かいししました。ギュゲスノ指環ゆびわ特殊とくしゅカンオンを顕在化けんざいかさせても、武装解除まるはだかにしたわけではありません。それにはじか接触せっしょく必要ひつようでした。

 ばく大なりょうですが、テクノロジーの無遠慮ぶえんりょ発達はったつは、ようしゃなく巨鯨くじら丸呑まるのみしていきます。ついでにちゃっかり、たりないエネルギー補充ほじゅうもすませました。なにしろ彼らには、所有しょゆうという観念フェティッシュがないのですから。



 またしてもアラーム。

 心臓しんぞうにわるい警告音けいこくおんが、ひびきます。

 一気に、かおからの気がうせるおじさん。靴底くつぞこで水をとばし、走ってくるまにもどります。

 赤、黒、赤、黒、と踏切ふみきりランプみたいに、画面全体がめんぜんたいが切りかわっています。

 黒で止まりました。

 黒の画面がめん。青いおじさん。

 膠着状態こうちゃくじょうたいが、つづきます。

 赤が目をき、画面がめんが開かれました。

 ストーンズのマークみたいな、クチビルお化け登場とうじょう

 大口を開け、ベロをびろーんと、二まい出しました。見るまに、三まい五まい十まいと、びらびら肉盛にくもり、てんこりで増殖ぞうしょくさせてゆきます。

 原色げんしょく氾濫はんらん雑音ノイズ洪水こうずい。タイガーバームガーデンの原色のオブジェ、花屋敷はなやしきのメランコリア、ボマルツオの怪物かいぶつたち。色彩しきさい形態けいたい逆巻さかま渦巻うずまき、チンドンかロンドンの街頭音楽師がいとうおんがくし一団いちだんのような、恐喝きょうかつまがいの大音量だいおんりょうをがなり立てます。

 ブリブリ音をたてる黒檀色こくたんいろのフェイクレザーのソファに、だらしなく撓垂しなだれかかり、フーッと、アンニュイに長煙管ながぎせるをふかす、大都会だいとかいのやさぐれ女クチビルお化け。黒みがかったクリムゾン色(濃い赤)のロングドレス。スリットの深い切れこみからのぞく、白い練馬ザダイコン。それをムダになんども入れえながら、目玉めだまのような孔雀くじゃくはねで、三びきのマンチカンをじゃらしています。

 さけクサいいきであたりをめ付けると、だれかれかまわず公平こうへい因縁いんねんをつけ、口ぎたなくののしり、くだをまく。そうせねば氏ぬとばかり、句点くてんのごとく語尾ごびにつける、フォーレターワーズ。口と肛門こうもんから白い薔薇バラの花びらつめ、両中指りょうなかゆび立てて二穴にけつつっこむも窒息市ちっそくし。それを見てわらい痔にする、ザムザの家族かぞくと友人。えんずるはなみだわらいいの悲喜劇ひきげき。プログラムを切り張りする百頭女ひゃくとうおんな。すきを見てそれを母親ははおやいもうと。エーリッヒ・タウベ(飛行機)からにげるロプロプ鳥、キビヤックのようにはと子孕はら百頭女ひゃくとうおんな。ゲオルグ・グロースの低劣ていれつ風刺画ふうしがに引っかかった右万字みぎまんじ傷口きずぐちからせる茶色い羊水ようすい洪水こうずい温泉街おんせんがい射的場しゃてきばに、色とりどりのベルランゴねじりあめはねむしられた雛鳥ひなどりじみた菊人形きくにんぎょう。おなかでらす人間ポンプの、びいどろおはじき。消えた坂柱いみり。梶井基次郎の好きな安っぽい色模様いろもよう鼠花火ねずみはなびに火を点け、ドンパッチかじってゲップしたら、バックファイヤー! 反動はんどう放屁ほうひしました。

 アサクーサで売っているような、カープ(鯉)がウォーターフォール(滝)をのぼるがらの、エスニックなキモノ。それを外人みたく、素肌すはだおびなしのバスローブ風に着て、長イスにそべるクチビルお化け。一見しどけないポーズ、しかしムリのある姿勢しせい。アングルの「グランド・オダリスク」四回ひねりのような胴長どうながねじりを、クルクルッと解消かいしょうし、横ざまキセルを行燈あんどんにたたきつけ、ストローマット(畳)にはいを落としました。またメジャーのようにどうきとり、クチビルは立ち上がります。

 前の合わせがはだけると、マンキー・ポンチっぽい貧相ひんそうなスネ毛の線足せんあしの間から、ポニー一頭分いっとうぶんなまずが「でろん」と落っこち、空をうつよう痙攣けいれんしてねっかえりました。

 こしをぐるんぐるんグラインドさせ、ゆっさゆっさとゆらすと、キャップをかぶった肩幅かたはばのひろいスイマーみたいに、バタフライでペコペコお辞儀じぎします。

 とかいってるうち――

 アレレなんか変? 

 ほほを赤らめ口に手をあて、しなをつくり、もじもじしています。

 と思ったら、

 りょう足はさんで、女の子になっちゃった! (マギー審司風)

 どんどん、悪趣味あくしゅみがましていきました。

 画面がめんいっぱいまでちかづき、ど・アップ。こそぐよう画面がめんめると、こちらにむかって粘質ねんしつなツバがにじみみ出てくる、ニオイ立つような3Dのだまし絵。

 大地と空気をつんざく終わりのないさけびに、タッチパッドがバイブで、おののきふるえ、とりこのクチビルは耳をふさぐ。

 やがてわらい。ナミダのハテ莫迦バカわらい。クチビルは哄笑こうしょうでもって、画面がめんをゆさぶる。

 ピッ、とクチビルに縦線たてせん

 至極色(黒紫)まじりのがふき出すと、シワのかずが一本、十本、百本と爆発的ばくはつてきにふえる。

 五蘊ごうん(人間の構成要素)の衰滅すいめつのスキ間から、むらさきのツブまじりの黄色きいろいガスをはきだし、クチビルは、だんだんしぼんでいく。

 おちょぼ口になって色あせ、やせ細って手足がなえ、つえをついた三本足

 よろめいて、四つんいになってたおれふし、大地と口づけ

 再会わかいしました。

 ちぢこんだクチビル。こげ茶色ちゃいろのミイラになって、かたまったまま。

 ぴゅーと、風がふきました。

 枯葉かれはが一枚、ひらひらっと、とおりすぎました。

 その土くれはサラサラとくずれ、風にはこばれてゆきました。


 だんだん、モニターから光がうしなわれていきます。

 とうとう、黒くなりました。



 なすすべなく画面がめんを見つめている、おじさん。

 しばらく、絶句ぜっくしていました。

 とつぜん、スイッチが入ったように、

「ふぁ~」

 ナミダメ目の生あくびで、のびをしました。

「で?」

 スマートな笑顔えがお

「これって、だれの責任せきにんになるんだ?」

 となりに人がいるみたいに問いかけました。



 間一髪かんいっぱつ、まにあいました。特殊とくしゅカンオンが、外部からの侵入しんにゅうをキャッチすると、シグナル伝達でんたつをへて、浮島内うきしまない浮島うきしまである、アポトーシスソフトが起動きどう自殺じさつ開始かいししました。

 いっぺんには氏にません。すなとり合戦がっさせんのごとく、浮島うきしまをアイスのぼうとし、じょじょに周辺部しゅうへんぶから消滅しょうめつさせていきます。さいごのラインをつかって、特殊とくしゅカンオンのネットワークのいくつかに、最小限さいしょうげんのデータと侵入経緯しんにゅうけいいを、ブラック・ボックス化して発信はっしんしました。

 さいごは念入ねんいりに自動出火じどうしゅっか。フォレンジック・ツール(訴訟対応のための証拠保全をするもの)で情報じょうほうをサルベージ(引上げ)されないために、物理的ぶつりてき証拠隠滅しょうこいんめつをはかります。といっても、耐火構造たいかこうぞうの中の、防火材ぼうかざいにかこまれた内部だけですが。そこが、くすぶりはじめました。

 ニオイを感知かんちして、カラカラまわっていた換気扇かんきせんが止まりました。ここには火災報知器かさいほうちき自動消火装置じどうしょうかそうちはなく、消火器しょうかきが山のようにあるだけでした。




 ソルはてら神社じんじゃかよくわからない、草の生いしげった領域りょういきに入りました。古い木造もくぞう建物たてものが、かしいでいました。屋根やね湾曲わんきょくし、かわらはなかばすべりくずれ、構造全体こうぞうぜんたいがひしゃげていました。

 正面しょうめんに、まっぷたつにれた木のボードがブラ下がり、落ちかかっていました。チャイニーズ・キャラクター(漢字)が黒くペイントされ、黒ずんだ木と同化どうかして判別はんべつできませんが、見えたとしても、彼にめるはずもありません。

 うらの方から音がします。草をかきわけ近づくほど、チャカチャカはげしさをまし、目の前まできて、やっとそれが水の音だとわかりました。外れたかけいから、水がこぼれ、そのまわりでみどり草木そうもくが、いきいきと芽吹めぶいていました。

 それを手にすくって、彼はおそるおそる、口にふくみました。ほっぺにためこんだだけで、けっきょく出してしまいました。

 また口に入れます。いきのつづくかぎりなやんだすえ、かわきにてず、のどをらして下しました。彼は二本ある500mlペットボトルのうち、なくなりかけの一本をすすぎ、つめなおしました。

 ソルはふくをぬぎはじめました。上着をぬぎ、ショートパンツをぬぎ、ちょっとまよってから、下着したぎまでぬぎました。まっぱだかのペールオレンジが、みどりえました。

 先にハンドタオルをあらいます。速乾性そっかんせいなので、それで体をこすった後、体の水ぶんをぬぐうつもりでした。そんきょの姿勢しせいでしゃがんで、ヘビイチゴのを足でつぶしながら、ふくからだあらいました。上をむいて口をあけ、水をガブガブのみしました。

 赤い点々が着いたふくはナマがわきですが、さして不快感ふかいかんはありません。それもすぐ、かわいてしまいました。

 やっと、一息ひといきつきました。

 あらためて、まわりに注意ちゅういをはらうと、さいしょからにおっていた、オガタマノキの大木を見つけました。



「クソッタレ!」

 タッチパッドの画面がめんは、まっ黒でした。

 あかるさをともなわない単色たんしょくで、見るからに液晶えきしょうの地の色でした。

「クソッ、クソッ、クソッ!」

 もうなにもうつらなくなった画面がめんを、おじさんはバンバンたたいています。

 きゅうにしずかになって、タメいきをつきました。

「――まあいい」

ふるいもんだ。どうせ、いつかはこうなる」

「それに、こっからじゃ、なんもできねぇし……」

 たしかに、うすいグレーのタッチパッドは黄色味きいろみがかっていましたが、オレンジの電源でんげんランプはいていました。おじさんは「タッチパッドの故障こしょう」という願望がんぼうにしがみつきたかったのですが、彼は仮病から病気をでっち上げられるほどの、べんりなシャーマン、メンヘラ体質たいしつではありません。子度藻の時からそうでした。ふとんの中で「ほんとうに、おなかが、いたくなればいいのに」と思っても、そうつごよくはなれず、技巧ぎこうによるズル休みしかできなませんでした。あるいみ生まれつき、そんな倫理的気質りんりてきタチ持主もちぬしでした。

 足でドアをしあけると、サンダルがするっとぬげました。

「ちぃっ」

 いまいましい声をあげ片足かたあしで下りると、バランスをくずし、りょう足をついてしまいました。

「クソ!」

 ぬれた足先をつっこみます。

 ふりかぶって、思いっきり地面じめんたたきつけると、タッチパッドはね上がって、たて回転かいてんでころがり、ガードレールの下から落ちました。すぐさま斜面しゃめんの草むらが、それをかくしてしまいました。

 でも、だいじょうぶ。行内こうないにはオークションで購入こうにゅうした中古のスペアが、まだ、たくさんのこっていました。

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