第13話 コドクな夜の散歩者

 ソルは月あかりの、いがいな明るさをしりました。街灯がいとうのとぎれた、つつみの上のデコボコ道。もり上がったまん中と、くぼんだりょうわきの水たまりをさけて、カンオンは消したまま、彼は歩いていました。

 カンオンの消費時間しょうひじかんは、つかい方にもよりますが、数日間すうじつかんはもつようです。エネルギー不足ぶそくになると、みずから最寄もよりのピットにいき、あさいへこみにはまってエネルギーチャージします。宿主しゅくしゅは、べつのカンオンとの引きぎ時において、ほぼ気づきくことはありません。形にさがないからではなく、空気と変わらないからでした。

 個々ここのカンオンは、それ自体の個別性こべつせいも、帰属性きぞくせいもなく、だれかが財産ざいさんとして所有しょゆうする権利けんりもありません。もったところで、その生きた価値かち半減はんげんするでしょう。「所有しょゆう情報じょうほう分断ぶんだん」を意味いみし、人々はそれを、もっともおそれるからです。

 足首あしくびにふたんのかかる石ころ道を、大きな石をさけ、歩みつづけています。川幅かわはばがずいぶん、せばまってきました。左右にも、おなじようなつつみが見えます。目を落とすと、細くなった黒いそこには、水のながれが感じられません。ソルは目の前の川が、まだターマ川のままなか、それとも支流しりゅうに入っているのか、わかりませんでした。もうとっくに、べつの川なのかもしれません。

 黒いポールが、ゆく手にあらわれました。人一人分ひとひとりぶんのスペースを、はしらを中心にフェンスでまるくかこみ、その上に二回り大きなカンオンがうかんでいます。エリゼ近辺きんぺんではあまり見かけない、カンオンの中継基地ちゅうけいきちでした。彼はその横を、すたすた歩いてすぎました。

 ちょうど、鉄橋てっきょう踏切ふみきりにさしかかると同時どうじ

「グググググゥーッ」

 小さく、うめくようにサオが下り――

「カンカンカンカン!」

 赤い目玉のウィンクと、耳もとの恫喝どうかつはじまりました。

 しばらく、なんの音さたもまないまま、またされます。

 地響じひびきと金属きんぞくのこすれる音が聞こえてくると、見ていたのと反対方向はんたいほうこうから、光がやってきました。

 にげられないソルは、ひらきなおって、真正面ましょうめんからにらみつけます。

 目にさるような、白い蛍光灯けいこうとうにさらされた車内しゃない。まどガラスをまくらに、ねるおじさん。まえのめりで吊革つりかわによりかかり、目をつむってイヤホンで音楽おんがくを聞く、スーツすがたのおねえさん。ドアにもたれかかって、まどの外のマンガをよむリーマン(カンオンが、プライベートモードで画像を照射していました)。立ったまま笑顔えがおの、おにいさん、おねえさんグループ。ゲームしてるか、ねたふりの個べつのわかい人。電車でんしゃの中は、ソルから見て大人の男女が、そこそこ、つめこまれていました。

 あわのような不安ふあんが、わきおこり、消えました。

 乗客じょうきゃくそれぞれの、カンオンの有無うむ確認かくにんできませんが、あちら側には日常がありました。一人一人に、どんな重荷おもにがあろうとも、梶井基次郎かじいもとじろうのいう「桜の樹の下で、村人みんなと酒を呑む権利」が。

 列車れっしゃがとおりすぎました。顔のまぢかをサオがかすめ、歩き出します。線路せんろをわたりきると、まくら木が、ほのかにニオイました。


 民家みんかのひしめくブロックに入りました。

 エリゼ周辺しゅうへんにはない、ワンコインの自販機じはんきが光っています。マイナーなお茶、チェリオーレ、エナジー系っぽいもの、空白くうはく、大手に吸収合併きゅうしゅうがっぺいされた、加糖練乳かとうれんにゅう入りアックスコーヒー。デタラメな時計表示とけいひょうじと、横にながれるニュース。リプレイするコマーシャル動画どうが

「ボンッ」

 ボイラーの点火音てんかおんとともに、石油せきゆのやけるニオイ。ボディソープのニオイも、くわわりました。

 みょうにそっけなく、リフォームされた一戸建いっこだて。つるされた模造紙もぞうしみたいなカーテン。車道しゃどうにハミ出すほど止められた、たくさんの軽自動車けいじどうしゃ生活感せいかつかんがあるようでない、そんなたたずまいが、しばらくつづきます。

 とりつくしまもない、防犯意識ぼうはんいしき高めの新築しんちく。足がかりのない、せまい裏庭うらにわのジャリの更地さらち。そこへ設置せっちした、陶器とうきいぬとライト。公道こうどうを外れても反応はんのうする、赤外線感知せきがいせんかんちライト。ジャリ止めの白いコンクリートの上には、ペットボトルのネコよけ。ノッペリとした裏壁うらかべに、小さな格子窓こうしまど側面そくめんかべには、もうしわけていどにしか開ない出窓でまど

 異彩いさいをはなつ、瓦屋根かわらやね門構もんがまえの古い家。開いた門にはたがかけられています。黒と白のだんだんに、先端せんたんの金の玉。白い布地ぬのじが、だらりとたれ下がっていました。

 ベランダがむねつづきの、なんというか業務用ぎょうむよう? みたいな設計せっけいの家もあります。その、はしからはしまで、横いっぱいの洗濯物せんたくもの。三つある一階いっかい長窓ながまどは、均等きんとうな大きさで、それぞれ上にシャッターがついていました。

 とびら全開ぜんかいの、リサイクルゴミのプレハブ小屋ごや。車の方向転換バックでへこんだかべの前に、おかれっぱなしのアナログTV。カゴからあふれている、発泡酒はっぽうしゅのカン。そこからはっする、いたんだパンのような、あまったるいニオイ。ネコが食いやぶったレジぶくろから、そこら中にちらばった、魚くさい発泡はっぽうスチロールの破片はへん。赤くまったプラスチック容器ようきから、はなをつく漬物つけもののニオイ。

 一方通行いっぽうつうこう商店街しょうてんがいを、車が逆走ぎゃくそうしていきます。もう、22時をすぎていました。シャッターの下りた仕舞屋しもたや(店じまいした家)の二階からもれる、健康けんこうサプリメントのCMと、東亜とうあのドラマの音声おんせい。タバコの自販機じはんきにはられた、女が表情かおをつくってアップのポスター。半世紀前はんせいきまえ電気屋でんきやの、あせたダルメシアン。あっちこっちに空いた、ジャリの更地さらち

 むこうから、あまくケミカルなニオイが、ただよってきます。道に面した三角のにわの、さわれてしまうほど、ちかい洗濯物せんたくもの。止めてあるけい左前輪ひだりぜんりんが、公道こうどうをふんでいました。

 民家みんかが、とだえました。日中にっちゅうはムクドリでうるさいイチョウの木が、黒くしずまっています。あらたに化粧直けしょうなおしされた、公営団地こうえいだんち棟々むねむね出現しゅつげんしました。シートのかかったままのむねは、夜中だからでしょうか、工事こうじしているようには見えません。さくでかこった前庭まえにわは草だらけで、遊具ゆうぐはサビてかたまったまま。この前までパンパンだったゴミがこいは、封鎖ふうさされていました。

 その駐車場ちゅうしゃじょうに止められた、種々しゅしゅの車たち。大きなグリルのワンボックスカー。国産こくさんけいほろで高さしされた宅配軽たくはいけいトラ。けいみたいなAクラス。スポーツタイプの、国産こくさんオープン2シーター。フェンスぎわにみ上げた古タイヤ。毎夜まいや4時に始動しどうし夕方帰宅きたくする、白の冷蔵れいぞう2tネルフ。

 やにわに、甲虫こうちゅうみたいな音をたてたカブと、すれちがいます。むねにラインの入った雨ガッパをきていました。



 等間隔とうかんかくともらない防犯灯ぼうはんとうが、闇夜やみよに切れ切れの谷間たにまをつくっています。林のようにいしげった放置田ほうちでんをバックに、まぶしいくらいの光量こうりょうで、変電所へんでんしょかび上がっていました。

 ささやき声で、ソルはたずねます。

「今、なんじ?」

「ここだけ、てらせ」

 やみになれた目に、まずジワッと、おぼろげにともります。その後だんだんと明るさをましてゆき、スポットにしぼられました。

 年月ねんげつをへた金網カナアミあなが、あらわにらされました。ソルはヒザをついて、にじりより、ため池に侵入しんにゅうします。

 変電所へんでんしょ照明しょうめいが、ななめにしこみ、キラキラ反射はんしゃする水面。立ち上がった彼のかげが、長くのびていました。

 よどんだドロのにおいがします。いそくさい、ヨットのたまり場とはちがった、淡水たんすい水草みずくさと、ゴミとドロのブレンド。人工的じんこうてきなエアバックの香料ニオイともちがった、ふなれなにおい。

 カンオンの時計とけいは、ソルの地域標準時ちいきひょうじゅんじと、UTC(協定世界時)、TAI(国際原子時)を表示ひょうじしています。そのわきで広告こうこくがおどっていました。

 今がチャンス! 今日いっぱいの特別とくべつセール。のこり時間がカウントダウンされ、羽ばたき機オーニソプターや、フィギュアの特価とっかが、チカチカ点滅てんめつしていました。

「うむ、そろそろ12時だな」

 彼はカンオンと池のむこうを、チラチラこうごに見くらべ、気もそぞろにまちます。

「……」

「……」

「……」

「く、やっぱダメか!」

 まだ10分前でしたが、ダメだった時の、心の予防線よぼうせんをはっていました。

 11時52分。

「そろそろ変化へんかがなくちゃ、おかしいよな?」

 11時55分。

「なぁ、もういいかげん、なんかなきゃダメだろ」

 たしかに今からだと、間に合いそうもありません。

 12時00分。

「やっぱりな(笑)」

「ぜぇーったいなぁー、うまくなんて、いかないんだよなぁー」

「ぜぇーたい、なんだよなぁー」

「やーめた、やめた」



 2時24分

 まだ彼は、ねばっていました。時間つぶしに、もう何周なんしゅうため池を回ったことか。歩きだし、また回りはじめます。

 有刺鉄線ゆうしてっせんにちかより、今まであえて手をださずにいた、たこに手をのばします。せのびしてムリヤリ引きはがすと、原形げんけいをとどめないほど、バランバランになりました。それをしげしげ、見入るフリをしています。

 12時27分

 ビニールのハギレとなったたこを、糸でグルグルまとめ、大きな手裏剣しゅりけん要領ようりょうで、金網カナアミの外になげました。

 12時28分。

 もとの位置いちにかえりました。たいして時間もたっていないのに、なにかするたび、時計とけいを見かえします。

 12時29分。

 広告表示こうこくひょうじを消し、はり数字すうじだけを、じっと見つめています。

 どこかで、長距離ちょうきょりトラックがうなりを上げ、交差点こうさてんをすぎました。

 12時37分50秒。

 51、52、53、54、55、56、57、58、59、60、01、02、03、04、05、06、07、08、09、10、11、12、13、14、15、16、17、18、19、20、21、22……

 きびすをかえして、ソルは立ちさりました。

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