第10話 ウェーイノ・ミュージアム

 クララン市の外縁部がいえんぶを、カンダタ川はながれています。それへかかるヒンジリ橋は、エリゼのまちなかの橋とくらべ、かなり古びていました。

 ここらあたりにくると、いつもへんな薬品やくひんっぽいニオイに、つきまとわされました。触媒加工しょくばいかこうされたソルの服にはニオイはつきませんが、カミの毛ついニオイは、しばらくとれませんでした。

 いつものようにバスは、ウェーイノ・ミュージアムちかくの池をすぎます。みどり池一面いちめんをおおい、ハスのから、ピンクの花やつぼみが立っています。水の色まで緑色みどりいろで、ソルは水に色がついているのがふしぎでした。

 シュザンヌルーム(シュザンヌのうけもつクラス)の屋外共有おくがいきょうゆう(校外学習のこと)のいどうちゅう、ソルはハン(班)の中にいました。ソウルメイト(性差などの多様性理解のための、入れかえバディシステムのこと)どうしのジュリとソル、マリとミチオ、ニイナとニコライの、六人こうせいでした。

 バスをおりるとき、身重みおものマリをみんながかばい、てまどりました。ジュリは、そっせんしてさまざまな配慮はいりょをていあんしましたが、じっさいのところ、さしてすることもありませんでした。ジュリ、マリ、ニイナの三人で、リフトのタラップまで歩いていって、手をつなぎ合っておりただけでした。

 ウェーイノ・ミュージアムの見た目は、ひょうめんがデコボコしています。自然しぜんにはない(?)直線ちょくせんもとづく文明ぶんめい崩壊ほうかい予感よかんし、断固だんこそれをはいし、曲線きょくせんとうと外観がいかんの、いびつな化粧壁けしょうかべ――もちろん骨組ほねぐみの鉄骨てっこつのぞく――で仕立したてられていました。

 海外かいがいからタダで輸入ゆにゅうした、ふぞろいで多色たしょくなレンガは、輸送費ゆそうひの方が高くつきました。それらをふんだんにもちい「自然界しぜんかいに同じものは二つない」という計画趣旨けいかくしゅしのもと、おなじパーツが一つとしてない「みんなちがって、みんないい」寄木細工よせぎざいくの、メルヒェンちっくな建物たてものでした。 

 ざっくりいうと、効率的こうりつてき画一的かくいつてき近代建築きんだいけんちくが生む病理びょうり否定ひていし、自然しぜんとの調和ちょうわをはかる思想デザイン の、鉄骨造てっこつぞう鉄筋てっきんコンクリートぞうで、工期短縮こうきたんしゅく精度向上せいどこうじょうのための、スリップフォーム工法こうほう採用さいようされていました。

 ――めんどうなのでリアルにいうと、金玉と青いキューポラでおなじみ、大阪市おおさかし都市環境局としかんきょうきょく舞洲まいしまスラッジセンター。施工せこう大林組おおばやしぐみ外観がいかんデザイン:フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー(オーストリアの芸術家)、デザイン料約りょうやく9000万円、総事業費約そうじぎょうひやく800億円おくえんのようなデザインでした――。

 ソルはきまったように、静画歴史館せいがれきしかんのシュルレアリスムのコーナーへむかいます。サルバドール・ダリ、マックス・エルンスト、ルネ・マグリットなどの代表的だいひょうてき画家がかたちが展示てんじされていました。

 こじんまりとした、平日のしずかな美術館びじゅつかん微音量びおんりょうのサティのながれる館内かんないを、子らの声がコダマします。ほとんどの子らは、動画歴史館どうがれきしかん併設へいせつされた、遊戯近歴史館ゆうぎれきしかん近現代きんげんだいコーナーへいっていました。いつもどおり画質がしつがクソとか言いながら、立体感りっていかんにとぼしいシューティングゲームや、あらいポリゴンゲームに、うちきょうじていました。

 ソルの前には「ナルキッソスの変貌へんぼう」がありました。ダリの絵を複製コピーしたもので、かざられているほとんどの絵やオブジェは、3Dプリンターで額縁がくぶちごとプリントアウトされたものでした。学芸員補がくけいいんほによると「ほんものは大切たいせつ保存ほぞん管理かんりされています」とのことですが、じつは回数制限かいすうせいげんされた複製ふくせい区別くべつがつかず、とりちがえ騒動そうどうがたえませんでした。さわいでいるのは、専門家せんもんかだけで、とっくのむかしにふつうの人たちは、オリジナルには、こだわっていませんでした。彼らにしてみたところで、みぶんをいじするていの、パフォーマンスにすぎませんでしたが。

 ソルはここに展示てんじされている絵には、ほとんど関心かんしんがありませんでした。ほかの子らと同様どうよう、うごきもせず、うごかすこともできない墓石はかいしみたいな絵には、きょうみをもてなかったからです。ただ人が少ない方へ、しずかな方へと、ながれついた結果けっかでした。


――シュルレアリスム絵画かいがにとって、無意識むいしき重要じゅうようなモチーフの一つです。無意識むいしきこそ、彼女ら彼らのかみでした。理性りせいにまつわるあらゆるものを純粋否定じゅんすいひていする、デタラメでアナーキーなダダ。それをひきつぎつつも、心理学しんりがくという意匠(思想)と、イノセンスを武器ぶきとしたことで、アカデミズムと市場しじょう大衆たいしゅううけが、すこぶるよかったのが超現実主義シュルレアリスムでした。彼らは子○○じみていたからこそ、資本主義社会しほんしゅぎしゃかいで、大人として自立できたのでした。ひろくあさく、ひくみにおうずる共感自己正当化が、庶民B層可処分所得おこづかい回収かいしゅうする、肌理きめの細かい漁網あみになったからでした。

 あるとき、ダリは亡命先ぼうめいさきのロンドンにいたフロイトをたずね、彼の自信作じしんさく「ナルキッソスの変貌へんぼう」を、嬉々ききとして見せました。無意識むいしき実質上じっしつじょう発見者はっけんしゃフロイトは「古典的こてんてき絵画かいがには、私は下意識かいしきをさがしもとめる」「シュルレアリスムの絵画かいがには、意識いしきをさがしもとめる」と、ダリにいいました。彼は無意識むいしきを、一生懸命いっしょうけんめいえがいてしまったのです。

 もともと、スペイン伝統でんとうのリアリズムを継承けいしょうし、卓抜たくばつした職人技しょくにんわざのもちぬしだったダリ。わかいころはフェルメールに私淑リスペクトして、一斤いっきんのパンですら、崇高すうこう宗教画しゅうきょうがに仕立て上げました。

 フロイトにとって無意識むいしきとは、本能ほんのうというより「気がついているけど、知りたくない本当ほんのうのこと」でした。西洋せいようのむかしの画家がかは、社会的評判しゃかいてきひょうばんや自身の道徳心やましさをおそれ、けしからん女のはだかをきました。聖書せいしょなどの教訓話きょうくんばなしをこうじつに、説教せっきょうエロの手口てぐちで。

 インテリのマックス・エルンストはダリのしっぱいをふまず、あえて技法テクニック(視覚現象しかくげんしょう必然性ひつぜんせい)をすて、ジョルジュ・バタイユ(フランスの哲学者)のように偶然ぐうぜん幸運ラックけました。彼は稚気ちぎをかぶき、受動的じゅどうてきに見えるよう、意匠スタイルをととのえました。文学者ぶんがくしゃのアンドレ・ブルトンが自動記述じどうきじゅつといいながら、こっそり推敲すいこうを重ねていたように。だれだってみんなにみとめてもらいたいし、お金もほしいですからね。

 理性りせい合理性ごうりせいというラスボスに対抗たいこうする最終兵器さいしゅうへいきは、不意打ふいうちちのような偶然ぐうぜん、シャンパンのような幸運こううんへの賭けギャンブルでした。最後に偶然ぐうぜん陥落かんらくした詩人しじんのマラルメや、哲学者てつがくしゃのジョルジュ・バタイユなどがそれに当たります。

 ダリは大人の職人技しょくにんわざをもっていましたが、もともとあった彼の過剰かじょうさを半分利用なかばりようし、幼稚ようちさをデフォルメしました。太宰治だざいおさむのように、おのれのわずかな他者との違い(個性)をしんじ、けたのです。ですが、そのような個性の質(好みによる趣向)を生んだ起源きげんは、じつは心理学しんりがく小説ロマン思想しそうといった商品プロダクトであり、大本の近代産業革命きんだいさんぎょうかくめいという名のりょうでした。

 生きている内に社会的しゃかいてき成功せいこうをおさめた人に、しんに個性的こせいてきな人なんかいません。右も左もみんな常識人まともなひとばかりです。どんな業種ぎょうしゅであれ、おちついてこの世に逗留とうりろゅうしていられない人間なんか、だれらも信用(共感)されず、他者を感化かんかできないからです。みんなであぶない橋をわたる革命家かくめいかや、海賊かいぞくこそ、安心あんしんできる人物が、みんなからされるのです。

 ダリのもくろみはあたり、人々の琴線はーとにふれました。そのわざとらしさは天然てんねんであり、かつ商売わざとでした。おさなさは、わざとらしさを好みます。ヒーロー戦隊せんたいものや宝塚ヅカを、女子○○(腐女子と児童)が好むように。


「ナルキッソスの変貌へんぼう」をはなれ、ソルは長イスにこしかけます。やわらか仕上げのフェイクレザーがはりつき、ももがヒヤッとしました。大人ほどの背丈せたけ棕櫚しゅろがわきにおかれ、素焼風すやきふうはちにうわっていました。ろう下がわから、ちょうど彼を、かくすかっこうになりました。カンオンでゲームか動画どうがでも見て、時間をつぶそうと、ゴロンと横になりました。

「また、こんなところにいて」

 ビクッとなります。

「ハン《班》のときに、かってに、うごきまわらないでって、いったでしょう」

 こしに手をあて、タンッとユカをたたき、口をとがらせジュリがいいました。

「だいじょうぶだよ、みんなあそんでるだけじゃん」

 ジュリにとって、あそんでいることが問題もんだいではなく、みんなといっしょにいないことが問題もんだいなんです。彼女は、それをうまくいいかえせません。

「マリをほったらかしにして」

「ドクターじゃねーし、なんもできないじゃん」

「だれかが、みんなが、ついてなきゃダメなの」

「カンオンいんじゃん」

「そういうことじゃないでしょ」

 そういうことだよ、と口にださずにつぶやきました。

「あなたがマリのたちばだったら、そうはおもわないはずよ」

 いや思うよ、うっとうしいだけだが? なんでそんなに人といたがるのか、ソルにはわかりません。推理すいりしかけて、やめました。めんどくさ、なんでこっちばっか、ゆずってんの? 不公平ふこうへいじゃん。たまにはそっちが考えろよ。ブツブツブツ……

 ソルはジュリにつれられて、みんなのいるところへもどります。それぞれハン行動こうどうでしたが、ところどころ、ダンゴじょうにかたまっていました。

 ポリゴン画像がぞうの、カクカクしたゲームであそぶ子ら。RPGは時間がかかるので、シューティングゲームか、格闘かくとうゲームがおもでした。3回たおれた(死んだ)ら交代こうたい順番じゅんばんをまもって、コントローラーをわたします。そのつど、カンオンが紫外線照射殺菌しがいせんしょうしゃさっきんをしていました。美術館びじゅつかん展示品てんじひんなので、オンラインにしたり、エミュレータ機能きのうもつかえません。ふだんはバラバラでできることも、かたまらざるを、えませんでした。はなれたり回りこむと、映像えいぞうをなくすというのは、キミョウな感覚かんかくでした。

「ユー、ウィン」

「ラウンドワン、ファイッ!」

 ニコライが、はしゃいでいます。ゲームをしているミチオに、かぶさろうとします。

「くっつくなよ」

「ピロロン、ピロロン」

「ハドーケ、ハドーケ」

「ヤッタネ」

「さわんなよ」

 ニコライはニコニコしています。

「ア、イテッ」

「ハドーケ、ハドーケ」

「おい、はなれろよ」

「ピロロン、ピロロン」

「ソニッビー、ソニッビー」

「ア、イテッ」

「タツマセンプー」

「ア、イテッ、ア、イテッ」

「ヤッタネ」

「ユー、ルーズ」

「むこういけよ」

 二コライはミチオにじゃれつき、やめようとしません。

「ラウンドツー、ファイッ!」

「ピロロン、ピロロン」

「ヒョー」

「あっちいけって、いってんだろ」

 イラつくミチオ。

「ヤッタァ」

「ア、イテッ、ア、イテッ、イテイテ」

「ヒョー」

「タツマセンプー、タツマセンプー、タツマセンプー」

「ヒョー」

「ア~」

「ユー、ルーズ」

「やめろよ」

 ニコライはミチオにとびのって、おんぶされようとします。

「お、おい、いいかげんにしろよ」

「ラウンドスリー、ファイッ!」

「下りろよ!」

「ハドーケ、ハドーケ、ハドーケ」

「ヤッタネ、ヤッタネ、ヤッタネ」

「ショーリュー、ショーリュー、ショーリュー」

「下りろ!」

「スピード、アップ!」

「ハドーケ、ハドーケ、ハドーケ、ハドーケ、ハドーケ、ハドーケ」

「アイグー、アイグー」

「ピロロン、ピロロン」

「下りろって、いってんだろ!」

 ニコライは、ほほを背中にのせて、だらりとミチオに体をあずけています。

「ハドーケ、ハドーケ、ハドーケ、ハドーケ」

「ショーリューケ、ショーリューケ」

「アイグー、アイグー、アイグー」

「ショーリューケ、ショーリューケ、ショーリューケ」

「今すぐ下りろ!」

 切れる、すんぜんのミチオ。

「アイグー、アイグー、アイグー」

「ア、イテッイテッ、イテイテイテイテイテ」

「ヤッタネ」

「ユー、ルーズ」

 ニコライはミチオの顔に手をかけます。顔がゆがみ、変顔へんがおになりました。

「てめぇ、いいかげんにしろよ!」

 ふり落とそうとしています。ニコライは棕櫚しゅろのはっぱをつかんで、いっしよにたおれこみました。

「ぽふっ、コッン、コンコン……」

 空気がこおりつきました。素焼風すやきふうはちは、かろやかにバウンドしてわれませんでしたが、棕櫚しゅろみきが、まっぷたつにわれていました。3D材料ざいりょうのポリ乳酸にゅうさんが、白くさらされていました。

 またラベンダーかよ。ソルはもう完全にこのニオイが、きらいになっていました。彼にとってさいわいだったのは、ニコライが卒倒そっとうしなかったことです。ソルは、ほっとしました。

 ニコライはうってかわって、にくにくしげな目で、ミチオをにらみつけます。けずにミチオも、にらみかえします。ミチオの中で、やりきれないいかりと、はずかしさと、この先の不安ふあんとが、うずまいています。赤くなっているのか、青くなっているのか、血の気がうせているのか、よくわからない顔をしていました。それを見ているソルの方が、いたたまれなくなりましたが、ないしん自分でなくてよかったと、あんどしていました。

 にらみあいが、つづきます。だれも口をきけませんでした。

「もうやめろよ、そろそろシュザンヌがくるぞ」

 空気(みんなの無言の期待)におされてか、べつのハンの子がわって入ります。この中での事実上じじつじょうのエースが、やっと口をひらきました。

「きたからなんだ、なにがどうかわるんだ」

「もう、おわりにしろ」

 エースが、ミチオにいいました。

「なんでオレの方に、いうんだ?」

「……」

 ミチオが、いやみったらしくわらいます。

「たしかに、オレはもう終わってるよな!」 

「いや、なにも終わってないだろ。きちんと、じじょうを説明せつめいして―

「ハア、せつめい」

 半笑はんわらい。

「いつの時代の人ですか?」

「いいなアクじゅうは、いつもポイント高くて、他人事たにんごとで」

 アクあくじゅうとは、Actualな充実じゅうじつという意味いみです。わたしたちで言うところの、リアじゅうとほぼ同じです。

「カンオンが記録きろくしてるし――」

「カンケーねーよ!」

 フツメンのミチオは、はきすてました。

 彼のいうとおり、現象げんしょう解釈かいしゃくはちがうのです。それがおなじなのは、エデンの住人じゅうにん昆虫こんちゅうくらいのものです。

 とりあえずエースは、はけ口はって出たかっこうには、なりました。こまった顔も、彼はチャーミングでした。

 みんなは戦戦恐恐せんせんきょうきょう、火のセンサーをはりめぐらし、自己防衛じこぼうえい臨戦態勢りんせんたいせいに入りました。

 その中にあって、ソルだけは時間をきにしています。すでに彼の目には、今おこっていることが、儀式ぎしきとしてうつっていました。消化しょうかゲームにつき合わされている、補欠ほけつ心境しんきょうでした。ようは他人事たにんごとです。つまるところたしかに、当事者以外とうじしゃいがいは、他人事たにんごとでした。ことが長引くのだけを、彼はおそれていました。

 シュザンヌがいそぎ足でやってきます。他の子らも、いずこからか、ワラワラあつまりだしました。

 開口一番かいこういちばん

「マリがどうしたの?」

「?」

 みんなの頭の上に、いっせいにクエスションマークがうかびました。

 それを聞いて、マリはきゅうにすわりこみました。

「気分がわるい」

 といったきり、泣きだしました。

「あなたたち、ダメじゃない」

「……」

 ニイナとジュリがしゃがんで、二人でマリをだきかかえます。

「おっかしいなぁ、なんでまだ、タンカはきてないのぉ?」

「……」

「……」

「おかしいなぁ、なんでだろぅ?」

 ひとりごとのようにつぶやく、シュザンヌ。

「……」

「……」

「……」

 みんな、いつものソルみたいに、なっていました。

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