第7話 迷路 2 ダイ

 ダイは高いところが好きでした。そこから見下ろす景色けしきが好きでした。そういう自分をあざけっていました。装飾そうしょくをほどこされた神輿みこしまつった、黒石の上に彼はいました。

「オレはまだ、こんなところで満足まんぞくしていやがいる。オレはバカだ。バカは高い所が大好きだ。その性根しょうねのイヤシサ、ヒクツサよ(笑)」

「オレにとってこんなところは、まったくふさわしくない」

「オレにかげりは、まだにあわない」

「オレはオレに対し、ただ、よろこばしい存在そんざいであらねばならない!」

 これは今の心のさけびではなく、彼の基底モットーであり、日ごろのトーンでした。

 彼にとっての不安ふあんふあんは未来みらいではなく、過去かこにありました。未来みらい必然ひつぜん栄光えいこうつつまれており、過去かこ偶然ぐうぜん災難さいなんでした。努力によって変わるべきは未来みらいではなく、過去かこの方でした。彼は自由民じゆうみん、ぞくにいう依存民いそんみんの子でした。うらむべきは、彼の出自しゅつじでした。

 ダイのまわりには、カンオンがいませんでした。信者しんじゃにいわせれば「完全なものにたすけはいらない、彼みずから破棄はきしたのだ」というのが彼らの言いぶんでした。もともと彼をしらない人の方が多く、まれにっている人は、口にださずとも、なんとなくさっしていました。かりにカンオンをもつ自立民じりつみんだったとしても、わざわざ、すてたり、こわしたりするようなやつは、ただの変わりものか、目立ちたがり屋ぐらい。と思うのが大方だったからです。

 ごく一部の、陰謀論好いんぼうろんずきの間で「彼はカンオンをすてたのではない、かくれたのだ」とか、「してやったり、彼はカンオンをあざむいたのだ」とか「彼がその指にはめているのは、ギュゲスの指環ゆびわだ」など、さまざま、ささやかれていました。

 指環ゆびわといっても物理的ぶつりてきなものではなく、なんらかの情報じょうほうサービスだというせつもありました。

 ギュゲスの指環ゆびわのおはなしは、プラトンの国家こっかにでてきます。


 ある日のこと、ひつじかいギュゲスが、じしんによってできた洞窟どうくつを、ぐうぜん見つけました。こうきしんにかられ中に入っていくと、おくに青銅せいどううまがおいてありました。おなかの中に、金の指環ゆびわをはめた死体したいがありました。彼はその指を切りおとし、身につけました。すると、自分が他人から見えない、とうめいな姿すがたになっているのに気づいたのでした。


 この後すったもんだあって、王様おうさまになるのですが割愛かつあいします。 

 ギュゲスの指環ゆびわとは、そんなふしぎな言いつたえのある、魔法まほう道具どうぐでした。ただし、ダイのそれは、カンオンに対してのみ透明とうめいになるだけで、肉眼にくがんから消えるわけではないそうです。

 カンオンをこわしたり、すてたりしたもの。また、ギュゲスの指環ゆびわを手に入れ、世間せけんとカンオンをあざむいたものなど。いずれせよ自分の身のまわりに、それらしい心あたりのある人は、だれもいませんでした。あくまで、都市伝説としでんせつでした。じっさいそれをやったら、その後どうなるか? だれもしらなかったし、クラランの上級市民ふつうの人は考えようともしませんでした。

 カンオンから消えるという行為こういは、たいへん危険きけんなものです。すべての商品プロダクト流通りゅうつうは、カンオンが、かならず介在かいざいしています。それをうしなうと生産活動せいさんかつどうはおろか、かんたんな消費活動しょうひかつどうさえできなくなり、有機的ゆうきてき社会関係しゃかいかんけいをもてなくなるからです。とうぜん、すべての土地は管理かんりされているので、狩猟採集しゅりょうさいしゅう農業のうぎょうなどによる、自給自足じきゅうじそく余地よちはありません。ゆくゆくは、ナイフ一本から自主制作DIYしなければならないのです。保護ほごほごされぬ「カスパー・ハウザー」都会とかい遺棄いきされた子への頽落たいらく、といったところでしょうか。

 また形而上的けいじじょうてきな面において、あらゆる記録きろくから消えるといことは、自由民じゆうみん依存民いぞんみんですらなくなるということです。事実上じじつじょうの、人間社会にんげんしゃかいからの抹殺まっさつ消滅しょうめつ意味いみしました。

 それら、じったいのない幽霊ゆうれいじみたうわさ話は、フロイト的な意味いみでの無意識むいしき、人々がみずからにかくしたい願望がんぼうカンオンそくばくからの解放かいほう」のあらわれかもしれません。どうように、受け入れがたい現実げんじつへの和解わかいをもとめる生者せいじゃが、故人こじんたくしたのが成仏じょうぶつです。抑圧よくあつ強制きょうせいとはかぎりません。とくに内部へのそれは。カンオンという世間せけんへのやましさが、心にフタをするのかもしれません。



 フェンリル大橋の上で、とりまき集団しゅうだんにかこまれ、その中心の高みから、ダイはあたりを睥睨見下ろしします。黒から青へ、青から茶や黒や金の入りまじりへ。その渋滞じゅうたいは、とおく橋の両端りょうたんまでつづいていました。ダイはしぜんとみがこぼれます。それにどられないよう、口もとをゆがめました。

 狂団きょうだん聴衆ちょうしゅうとの間に、青いベレーぼうをかぶった集団しゅうだんがいました。聴衆ちょうしゅうといっても、たまたま、せきとめられた人がほとんどで、あとはプロ・エキストラですが。

 ベレーぼうの彼らはガーディアンとよばれる、自警団じけいだんです。おもに民間有志みんかんゆうしのボランティアからなり、その構成員こうせいいんには人手不足ひとでぶそくのためか、少なからず、高齢者こうれいしゃや女性などもふくまれていました。ガーディアンは後ろ手を組み、黒集団くろしゅうだんの後をゾロゾロついてゆきました。

 キョロキョロしないよう、目だけで、ダイはあたりを見わします。チラリと、赤いモノが目のはしに入り、消えました。群集ぐんしゅうが、彼の動向どうこうをみまもっていました。


 さわがしい信者しんじゃを、ダイはかた手でせいします。けたたましい音がなりやみました。

 しずかになったところで、おもむろにこしに手をやり、ホルスターからペットボトルをとり出します。ラベルの面が見えるよう高々とかかげ、透明とうめいなビンを人々にしめしました。

 のけぞってそりかえり、ノドボトケをおどらせながら、グビグビ一気にあおってゆきます。

 こぼさずカラッポになったビンを、ゆっくりと口もとからはなすと、空中でさかささのビンをとめました。ダランとうでを落としました。

 しばしの沈黙ちんもく

 天をあおぐよう、そらした上体。ダラリとたらした両腕りょううで。足にはさんだ黒石のてっぺんで、しばらく彼は、そのまま動きませんでした。


 私語しごがなくなるのを、彼はじいっと、まっています。

 聴衆ちょうしゅうがというか、たいはんは渋滞じゅうたいにまきこまれた通りすがりですが、不安ふあんにかられてザワつきだすと、彼はピクリと、わかりやすく反応はんのうして見せます。それから、ゆっくりと、動き出しました。

 ぐらぐら上半身じょうはんしんを水平すいへいにゆらし、クロールか背泳せおよぎのように、手でくうをかきます。ひとしきりあがいた後、彼はかたひざを立て、ずんぐりとがった黒石の上に、すくっと立ち上がってみせました。

 顔を上げ、りょう手で天をあおぎ、もったいぶった崇高すうこう面持おももちちで、口をパクパクさせます。さも、今からなにか重大じゅうだいなことを、彼は語り出そうとしている。かのように見えます。

 ふいにのけぞってフラつき、そのまま落下しました。


「ダァーーーーーーーーーーーーン」


 コーナーポスト最上だんからのボディプレス。みたいなハデな音をさせ、神輿みこし舞台だたいの上で、ダイが大きくバウンドしました。

 須臾いっしゅんの間の後、かけよる信徒しんと、立ち止まる通行人つうこうにん、先をいそぐ通行人つうこうにん

 神輿車みこしぐるまのまわりは、黒山の人だかり。昔の証券取引場しょうけんとりひきじょうみたいに、あわただしく身ぶり手ぶりをまじえ、おたがいの意志いし疎通そつうをはかっています。

 しばらくもめていたかと思うと、信徒しんとたちのカベがサァーと、いっせいにひきました。ひらけた舞台上ぶたいじょうで、むっくりと、こともなげに彼は立ち上がりました。

 パチパチと、まばらに、はくしゅがおきました。

 のこった一人からマイクをうけとると、まぶしそうにも、ねむそうにも見える目に手をかざして、ダイはあたりを見まわしました。

「みなさん、こんにちは」

 フッといきをはき、みをもらします。 

「なんか、ここ、まぶしくないですか?」

 目をいっそう細め。

「あー、なんか、まぶしいですね」

 あたりを、かくにんします。

「まぶしいですよね?」

 耳に手をあて。

「まぶしくないですか?」

 はっきりと。

「私は、まぶしいです」

 ある人をさします。

「あなた、あなたは、どうですか?」

「光が多すぎると思いませんか?」

 つぎつぎ、人をさしてゆきます。

「あなた、あなた、あなた、あなた」

「あなたは、どうですか?」

「お日さまの光だけで、十分だと思いませんか?」

 ナナホシテントウの街灯がいとうや、キリンの道路照明灯どうろしょうめいとう、カエルの電光掲示板でんこうけいじばん、ハデなホログラムのカンバン、LEDだらけの車、LEDのめこまれた道などを、さもメンドウなよう、おおざっぱに手をふりまわして、しめします。

「ああいった目に見える、手にふれられるもの、具体的ぐたいてきなものだけ、いってるんじゃないですよ」

「見えるもの、聞こえるもの、さわれるもの、あじわえるすべて。まあ、われわれも大きな音をたてますが、今だけです(笑)」

「私が光といっているのは、たとえです。たとえばなしです」

「光とは、目からだけではなく、耳からも、鼻からも、口からも、触感しょっかんからも入ってくる、外からの感覚刺激かんかくしげきのことです」

「あらゆる文化ぶんか娯楽ごらく、スポーツ、コンサート、エンターテインメント・ショウ、イベント、ニュース、広告こうこく政府広報せいふこうほう、おしゃべり、ウワサ話、個人発信こじんはっしんSNS、非営利活動ひえいりかつどう、ボランティアにいたるまで。広義こうぎ意味いみでの情報じょうほうとそのコンテンツ。それに伝達でんたつするための道具どうぐ、もしくは手段しゅだんのことでもあります」

「ザックリいえば、メディアのことですね」

「それに、技術ぎじゅつ科学かがくをふくめた全体を、私は光とよんでいます」

 それらの結晶けっしょうであるカンオンについては、彼はふれません。

「わたしにとって光とは、外部からの過剰かじょう刺激しげきであり、また社会的しゃかいてき肯定的こうていてき価値かちをもつものです。生産的せいさんてきで、効率的こうりつてきで、合理的ごうりてきなものすべて」

 ぐっと一口、水をのみました。

「ある時代じだいにおいて、その時代じだい固有こゆう基本的きほんてきな考え方や、価値観かちかんがあります」

「その枠組わくぐみみを規定きていしているのは、社会しゃかい空気くうきです。その時々の社会しゃかい構成こうせいしている、ふつうの人たちの心のありようにせられるのです」

 しきりなおします。

「みなさん」

「われわれの、今いるここは」

「ここはどうしてこんなに、明るいんでしょう」

「今、わたしたちの生きているこの社会しゃかいは、どうしてこんなに、まぶしいのでしょうか」

「だれの責任せきにんなんですか」

 見まわして、しばらく、間をおきます。

「そうです、わたしたちの責任せきにんです」

「他に、だれがいるんですか」

 フフッと、わらいました。

「われわれは、くいあらためねば、なりません」

 厳粛げんしゅく面持おももちで、うつむきました。

「このかたよった状況下じょうきょうかにおいて、今のわれわれに必要ひつようなのは、ほんとうに光なんでしょうか」

「まだ、光が足りないというのでしょうか」

「足りないのはむしろ、やみやみの方ではないでしょうか」

 気をあらため。

「みなさん」 

やみによってわれわれは、かくされていなければなりません」

過剰かじょうな光は目をつぶします。今やわれわれは、白いやみにとざされているのです」

 少し間をあけます。

「われわれは、むきだしの現象げんしょうには、たえられません」

「人間はありのままの現実げんじつに、ちかづけばちかづくほど、ニヒルへと、一見すると狂気きょうきとは見えない明るい狂気きょうきへと、その正気しょうきをうしなっていくのです」

やみは心をためプールします。しかし、光は心を解放かいほうしてしまいます。一個一個いっこいっこの体の細胞さいぼうは、日々入れかわりますが、この私、この社会しゃかいが、コロコロ変わるわけにはいきません」

「新しくすること、変えること、改革かいかく解放かいほう維新いしん刷新さっしん

「いったい、なにをそんなに、いそいでいるんでしょう? なぜ、われわれは、こんなにガマンができなくなったのでしょうか?」

「動くのでなく、動くことに、今さらなんの価値かちがあるのでしょうか?」

 ここらへんでダイは、いつもの手ごたえのなさにみまわれ、フゥーと一息ひといきつきます。気もちをあらためてから、彼はしゃべりだしました。

自由じゆう平等びょうどう人権じんけん倫理りんり環境かんきょう 、そして労働ろうどう

「これらの、どこに出してもずかしくない正当性せいとうせい。その合理性ごうりせい有用性ゆうようせい生産性せいさんせいと、それを上げるための効率性こうりつせい追求ついきゅうは、一見するとまったく文句もんくのつけようのないものです」

「しかし、これら絶対的価値ぜったいてきかちは、恣意的しいてき勝利しょうりをえるための道具どうぐとして、たびたび悪用あくようされてきました」

 大きく手をひろげると。

「みなさん、よく聞いて下さい。警戒けいかいすべきは、欲望よくぼうでも、欲求よっきゅうでもありません」

 にらみをきかして。

価値かちこそが、問題もんだいなんです、人のほっするところの価値かちが」

「いいですか、みなさん」

「人は価値かちがあるから、ほっするのではありませんよ」

 やや、間をあけると。

「人間がほしがるのは、人間なんです」

「つまるところ価値かちとは、他者の羨望せんぼうです。ただのちがいではありません。他者の羨望せんぼうがふくまれたちがいなんです。価値かちをえるとは、モノをとおして、他者を保有ほゆうすることです。しょせん人間にとって、もっとも価値かちあるモノは、モノではなく、自分と同等どうとうのヒトだからです」

「一人では食べきれぬりょうも、羨望せんぼうをかいすると、しつによって二人分以上食べられるのです」

「一人では消費しょうひしきれないモノも、高額こうがくなモノなら、他者の羨望せんぼうというイメージを介在かいざいさせることで、より多く消費しょうひできるのです」

「ほんらい、生命せいめい本質ほんしつとは、消費しょうひです。過剰かじょうに生んで、おしげもなく頃し、食べ、食べられます」

「その大もとのエネルギーげんは、太陽たいようのの光です」

 とつぜん、だれかをゆびさしました。

「あなた、おてんとさんから、請求書せいきゅうしょがきたことがありますか?」

「ないですよね。すごくないですか? なんたってあなた、ただ、なんですから(笑)」

 オーディエンスから、少しみがこぼれます。

 気をよくして、つぎの展開てんかいのための間を空けます。

「人は未来みらい夢見ゆめみる生きものです。収穫しゅうかくのため計画けいかくし、自然しぜんであるところの、全体のながれをせき止めます」

「水を止め、森をはがし、定住ていじゅうし、一か所で一つのモノをつくりつづけます。それを人は、いやしくもためこみ、収奪しゅうだつしあうのです」

「モノはまだマシです。モノはずっと、ためてはおけませんから。場所をとり、いつかはくさりはててしまいます」

「だが、そうでないモノがあるんです。それは、コトバやお金です」

「とうしょ、それらはモノのかわりでした。物質ぶっしつ代用品だいようひんであるそれらが、時代をおって、あまねく広まってゆきました。歴史的過程れきしてきかていとは、現実げんじつ象徴化しょうちょうか密度みつどのことではないのでしょうか?」

「そしてとうとう、われわれは、げ道をうしなったのです」

物質モノという、リアルなげ道を」

「われわれの生み出した、この高度に象徴化しょうちょうかされた奇妙きみょう現実リアルは、もはや無意味むいみ余白よはくを、のこさなくなりました」

物質モノ有意味ゆういみにとりこまれ、もはや正気をとりもどす、たすけにはならないのです」

「すでに老いて戦争リセットもできなくなったわれわれは、すべてを自前じまえでやっていかなければならなくなりました。そこに悲劇ひげきによる和解わかいはありません。かたっぽの口角こうかくを上げるような喜劇きげきがあるだけです」

 ここでいったん立ちどまり、一呼吸ひとこきゅうおきました。

「明日を思い、みずからじらし、計画けいかくし、ためこむ」

「イメージは快楽かいらくともなりますが、地獄じごくにもなります」

「他者をつなぎとめ、より消費しょうひする。そのための快楽かいらくが、効率性こうりつせいのための労働ろうどうを生み、いつのまにか他者への奉仕ほうしとなり、自分への放棄ほうきにいき着ました」

「おなじことをしても、あそびと労働ろうどうとは、ことなります。今を尊重そんちょう没頭ぼっとうする生と、未来みらいのために今を断念だんねんする自己疎外じこそがいとは、ちがうのです」

 ぐっと、力づよくこぶしを上げました。

「私たちは、このいつわりの解放かいほうから、解放かいほうされなければなりません! 光にかたよった、解放かいほうのための解放かいほうから、解放かいほうされなければなりません!」

「パチパチパチパチパチパチ……」

 幹部かんぶが手をたたき、せきばらいしました。あわてて信者しんじゃたちも手をたたきました。プロ・エキストラも後をおいました。

「さもなくば、解放かいほうされっぱなしの底なしのカラッポのまま、いつまでたっても動機どうきがたまらず、しなびた解放かいほうを、くりかえすことになるのです!」

「パチパチパチパチパチパチ……」

 信者しんじゃたちが、あたまの上で手をたたきました。プロ・エキストラも後をおいました。つられて観衆やじうまもたたきました。

四六時中しろくじちゅう光にまみれ、無能むのう可能性かのうせいをおいもとめ、字義じぎどおりのコワイモノシラズによる敷居しきいの低さによって、その場かぎりの行動こうどうがあるのみです」

 ダイは声をはっていましたが、だんだんヘタレてきました。心のなかで「あーもうマジうぜぇ、かえりてぇー」とボヤき出しました。彼はすぐにつかれてしまう、わるいクセがありました。それでも時給分じきゅうぶんのやる気をしぼり、声をからしてったえます。

「みなさん」

「おわかりでしょうか、みなさん」

「私はコトバの上のコトバでしかない、空疎くうそな光を否定ひていしているのであって、現実げんじつに根ざした、すべての生産性せいさんせい否定ひていしているわけではありませんよ」

 キリッとなり。

「心のかがみを持たないものほど、かがみを見ることが好きです」

「あいまいであるコトバを、あいまであるイメージを、あやつり、あやつられる夢芝居ゆめしばい

「人のもつ表象機能ひょうしょうきのうで他人をダマし、みずからにも麻酔ますいをうち、つごうよく自分にダマされる人間。一言でいえば感性かんせいの人たち」

「もはや、われわれのてきは、てきらしい姿すがたをしていません。歴史れきのはじめから、そうだったのかもしれませんが」

しんてきは、一見するとやさしい姿すがたをしています。そのものは、ほんしんから自分にダマされているのであって、悪意あくい計画性けいかくせいもないので、エネルギー効率こうりつがすこぶるよろしく、無責任むせきにんな人たちの共感きょうかんもえやすいでしょう」

てきてきであることを引き受けてくれないてきであり、どこまでもげつづけ、薄弱はくじゃくなイメージによってしか自他と対峙たいじできない、深淵しんえんをのぞきこむ勇気ゆうきのない、いな! 深淵しんえんそのものがない、克己心かっこしんなき、光の弱者じゃくしゃたちなのです!」

 さいごの方はヤケになって、声がしゃがれていました。

「パチパチパチパチパ……」

 一人の信徒しんとが場ちがいなほど、ごうぜんと頭の上で手をたたいています。他のものは、へいたんな目で彼を見ていました。

「ちゅうとはんぱな理性りせいは、音と意味いみのたわむれ、コトバの恣意性しいせい餌食えじきです。社会全体しゃかいぜんたい実害じつがいをバラまく、狂気きょうきです」

「それにねばり強く抵抗ていこうできるのは、無邪気むじゃきな子どものイノセンスではなく、理性りせい限界げんかい予感よかんしつつも、理性りせい軽蔑けいべつしきらず、やがて来るその敗北はいぼくをしぶしぶけ入れられる、疑心暗鬼ぎしんあんき理性りせい。それくらいしかないのです……」

 とちゅうから、グダグダしりすぼみになってしまいました。

「パチパチパチパチパチパチ……」

 指導的しどうてき信者しんじゃ が、頭の上で手をたたきました。プロ・エキストラも後をおいました。つられた一般いっぱんの人も何人かたたきました。

 ダイはチラチラ、扮装コスプレした幹部連中かんぶれんちゅう顔色かおいろをぬすみ見ています。「あーもう、気に入らないなら、お前らがやれよー」と心の中でつぶやきながら。なんとか終わらせたかったのですが、いいかげん、やめるいいわけを考えるのも、おっくうになってきました。

 彼はさっきからずっと、目のまわりがむムズがゆくって、たまりませんでした。がまんしていたけど、もうかまわずゴシゴシやりました。

 風景ふうけい一辺いっぺんします。景色けしきのはしっこに色つきの空。ずれたテキストと見うしなった目じるし。カラーコンタクトがズレ、パニくるダイ。

「ヤッベー、もういいや、けっこうしゃべったし。もうこのへんでいいんじゃね?」と思ったやさき、目がチクッとします。あらたな文字が空中にうかびました。指示しじとテキストが、再読込さいよみこみされました。

「ちぇっ」

 彼は声にだしていいました。ナミダが片方かたほうつたい、ナミダごしに、お目つけやくがにらんでいるのが見えました。

 ハイハイ、わかりましたよ。わかりましたよ。彼は覚悟かくごをきめます。ペットボトルのフタをあけ、のこりの水を一気にのみほしました。

「プふぅー」

 口をぬぐいつつ、空になったビンを高々とかかげます。

 彼はくびを左右にまわし、あらためてまわりを見まわしました。

「みなさん、これがなんだかわかりますか?」

「これは水です」

「ただのお水です」

「われわれがひとしくおせわになっている、ターマ川の水です」

 いわなくてもわかっているだろうと、なんども笑顔えがおでうなずいてみせます。

「水は水ですが、ただの水ではありません。せいなる水――」

「ではありません」

 口から下でわらいます。

「もちろん、わるい水でもありませんよ」

 また、おなじようにわらう。

「これは、完全なる水です」

「水はどこにでもあります」

「空にもりくにも、もちろん海にも」

「水は空からふってきて、空中をただよい、しっけでわれわれをうるおします」

「すいてきが集中しゅうちゅうして水たまりができ、より低みへと下って川となり、地下にしみわたって、地下水脈ちかすいみゃくとなります」

「いくすじもの支脈しみゃく合流ごうりゅうし、大きな流れとなって、やがて海へとそそぎこみます」

「そして、水はいたるところで蒸発じょうはつし、天へとかえっていきます」

「水は、ありとあらゆるところを流れてきました」

「もしかしたら、わたしの中をながれる水は、かつてあなたの体の一部だったかもしれません。あなたの体の中をながれる水は、あなたの好きな人、きらいな人の一部だったかもしれませんね」

「水は私たちと同じように、経験けいけんをかさねているのです」

「水はすべてをしっています」

「水はぜんでもあくでもなく、すべてをつつみこみ、たし、すべてをこえ、中庸ちゅうようへといたります」

万人ばんにんの上に公平こうへいにふりそそぎ、苦労くろうをかさねながら、みんなの中を分けへだてなく、とおっていきます」

「やがて水は、だれからも必要ひつようとされる、全人的ぜんじんてきな広がりをもつにいたります。色やカタチというエゴをもたない、おだやかな存在そんざいへと、その成熟過程せいじゅくかてい完成かんせいさせるのです」

「どうですか、あなた?」

 ふいをつくように、一人をゆびさしました。

「ここに今、こうして今、この水はあります」

「私の前に、あなたの目の前に」

 カッと、目をあけ。

「あなたの目の前に!」

 ぐっとビンを持ち上げ、さらに彼女をにらみつけます。

「こうして、たどりついたのです」

 テンションをさげながら、いいました。

「みなさん。ここに、これがあるということは、はたして偶然ぐうぜんでしょうか」

「あなたは今、たった今、私と出会いました」

「この出会いの奇跡きせきは、本当に偶然ぐうぜんなのでしょうか?」

「私がここにいるのは偶然ぐうぜんで、あなたがここにいるのも、ほんとうに偶然ぐうぜんなんでしょうか?」

 ブルンブルン、くびを大きくふります。

「だんじて、ちがいます」

 さらに大きな声を出します。

「だんじて、ちがいます」

「われわれの中を流れる水が、あなたと私を引きよせたのです」

 ずっと目を見開いたまま、彼はつづけます。

「水とは、なんですか?」

「それは、正義せいぎでもあくでもない、真理しんりでも間違まちがいでもない、宗教しゅうきょうでも科学かがくでもない、思想しそうでも哲学てつがくでもない、大人でも子供でもない、男でも女でもない、人でも動物どうぶつでも植物しょくぶつでもない、精神せいしんでも物資ぶっしつでもない、生命いのちがあるとも、ないともいえる。そのどちらでもなく、どちらでもある」

「すべてをしり、すべてをふくみ、すべてをこえた、中立ちゅうりつ中庸ちゅうようの、まん中である水が、私たちを引きあわせたのです」

「そう、水とは出会いなんです!」

「今日、わたしがあなたに会いに来たのでは、ありません」

「あなたが、私にいに来たのです」

「あなたという水が、私という水に、いにきたのです!」

「パチパチパチパチパチパチパチパチ……」

 信者しんじゃたちが頭の上で手をたたき、プロ・エキストラもたたきました。いつのまにか、信者しんじゃにとりかこまれていた人たちも、やっぱりたたきました。信者以外しんじゃいがいのこった人影ひとかげは、まばらでした。

 彼はおおような手ぶりで、人々にそれをふるまうよう、うながします。おのおのに配置はいちされた信者しんじゃがダンボールをあけ、てぎわよく、試供品しきょうひんのペットボトルの小ビンをまわしていきます。いあわせただけの人が、反射的はんしゃてきに、となりの人に手わたしていきました。

 彼は呼吸こきゅうをととのえ、みだれた前髪をはらいました。目もとをほころばせ、おだやかな口調くちょうで、さとすようかたりかけます。

「たしかな効果こうかは、ないかもしれません」

保障ほしょうはできません」

「すべては、あなたしだいです」

「あくまで、私個人わたくしこじん感想かんそうです」

「もうこれ以上は、なにもいいません」

「すべては、あなたしだいです」

「あきらめては、いけません」

「あなたは、かわれます」

「かわれるのです」

「あなたの運命うんめいは、あなたにかかっています」

「あなたの運命うんめいは、あなたの手によって、変えられるのをまっています」

「あなたの運命うんめいは、あなた自身で切り開くのです」

「すべては、あなたしだいです」

「もう一度いいます」

「すべては、あなたしだいです」

「あなたがきめるのです!」

 いいおわった彼は、じゃっかん年をとったように見えました。

「パチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチ……」

「パチパチパチパチパチパチパチパチ……」

「パチパ……」

 信徒しんとが、もはや開きなおって、大きくうでをまわしています。それにこたええた信者しんじゃたちが、頭の上で、ことさら大きく手をたたいて見せます。プロ・エキストラも、これでおわりとばかり、おしみなく手をたたいています。かこいみの中の人たちも、おなじように、たたくのでした。




 ソルはとおく、けんそうの彼方かなたにいました。ケムリのニオイが、赤いフードにうつった気がしますが、もうどうでもよくなっていました。

 やって来た道よりさらに明るい対岸たいがんは、真夏の昼の明るさか、それ以上でした。時間の経過けいかをわすれさせます。おまけにカンオンが、今までの分をとりもどそうとばかり、ひっきりなしに、ガイド映像えいぞう音声おんせいサービスをくり返しています。すでに橋のとちゅうから、カンオンが復活ふっかつしていました。じゃまなライトはブロックずみでした。

 ソルは、じっと手のひらを見つめます。今日一日中いろんなものをさわりまくって、表面ひょうめんがザラザラして、なんだかかたくなった気がします。あのホルスのおじいさんみたいに。

 中途半端ちゅうとはんぱにふくらんだ、上弦じょうげんの白い月が、東の青い空に出ていました。まだ日ぐれに時間はありますが、ソルの長い休日は、終わろうとしていました。

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