第5話 探索 2 ホルスの家

 みちがどんどん細くなってゆきます。まだ日も高いのに、なんとなく、うす暗くなった気がします。そうこうしている内に、とうとう、まがりカドに行きあたりました。

 立ち止まりそうなソル。ムキダシのまま、はだかでさらされている感じ。90度のまがりカドが、トラの口を開けてまっています。手すりの直角ちょっかくが、わきばらに食いこみそう。とうぜんクッションも、ガイド映像えいぞうもありません。彼はカドの根本ねもとで、くの字でまみれにころがっている、自分の死体したいのビジョンを見ました。

 エリゼ一とその周辺しゅうへんには、かげ死角しかくもなく、ものまがいの鋭利えいり直角ちょっかくもありません。ちかごろの遠出とおでにしても、こんなみ入ったところまできたのは、彼ははじめてでした。ソルはまだ保険カンオン期待きたいしていましたが、さっきから、ずっと無反応むはんのうのままでした。ただ、前方を明るくてらしているだけです。

 ゆくとも、ひくともできず、立ち止まることさえ、できないソル。ホルスのかげ連結れんけつされたように、ズンズンひっぱられていきます。つぎつぎ自分の足がくり出されてゆくのを、彼は見ているしかありませんでした。

 カンオンがそのをくんだのでしょうか、まばゆいばかりの光量こうりょうを、彼の眼前がんぜんにはなちました。おかげで目蔵のまま、そこを通過つうかできました。ホルスがそのまぶしさに、ビックリしてくれていて、たすかりました。




 ひくい屋根やねの小ぶりな建物たてものたちが、あたり一面いちめん密集みっしゅうしていました。いつか共有きょうゆう資料映像しりょうえいぞうでみたような、なつかしさをともなわない異質いしつ風景ふうけい。その中に彼は、まぎれこんでいました。バラバラな色と形のレゴと、それをかこった個人所有こじんしょゆう主張しゅちょうする、グレーのレンガ。凸凹でこぼこしたモザイクみ木のコドクなむれが、びっしりとひろがっていました。

 エリゼそだちの彼にとっての建物たてものとは、ある場所ばしょに、ある目的もくてきで、まとまってたてられた、高層こうそう構造群こうぞうぐんでなければなりません。彼は一戸建いっこだて家屋かおくというものを、映像えいぞうによらず、肉眼にくがんではじめて見ました。家並やなみというものを、はじめて見たのでした。

 しかし、それよりソルの目をうばったのは、道の惨状さんじょうでした。なにしろ、チャコールグレーの地面はツギハギだらけ。とくに左よりは、かなりヤバイ。ネズミ色のカベとしてだけ立っているカベ。ブロックベイとよばれるそれは、キケンな死角しかくをつくっているだけで、彼にはそれが、存在そんざいする意味いみがわかりません。ムキダシのブロックベイのカドは、ギザギザざらつき、花型はながた空洞くうどうには、あきカンがはまっていました。なかにはコンクリートがくずれ、まがった赤茶の鉄棒てつぼうが、あらわになっているものもありました。ラクガキされた、ゆがんだガードレール。そこから三角につき出た、なぞの金属片きんぞくへん。地面は小石がゴロゴロ。カンバンがわがもの顔でおかれ、花や植木鉢うえきばちのひなだんが、公道こうどうにはみ出し、色あせた自販機じはんきが、コンセント入をれっぱなしのまま、ほうちプレイを続行中ぞっこうちゅうでした。それやこれやが、もとからせまい道を、よりいっそう、せまっくるしくしているのでした。

 視界しかいをさまたげるものは、地上にとどまりません。頭上では、きゅうな傾斜けいしゃによって、屋根瓦やねがわら雪崩なだれ落ちてきそうだし、パラボラやお魚のホネみたいなアンテナが、ギリギリハリガネでしめつけられ、その犀利さいり金属線きんぞくせんが、風をトコロテンのように切っていました。塗装とそうのハゲた信号機しんごうきは、ひざしで見づらく、電柱でんちゅうとともに紙だらけ。際限さいげんなくなくがされてはりつづけ、そうになっています。黒く太い電線でんせんたばが、空中でこんがらがってたわみ、頭にのしかかってきそうでした。

 それら危険物きけんぶつにとりかこまれ、ソルの神経しんけいは、クタクタにすりへっていきました。さいごに彼にとどめをさしたのは、自転車チャリンコの上にのった、他人ひと布団プライバシーでした。




 怪物ミノタウロスがひそんでいそうな迷路めいろ旧市街きゅうしがいを、ホルスにみちびかれ、ス―パー堤防ていぼうにそってすすんでいきます。

 とおくの鉄塔てっとうから、ちかくの鉄塔てっとうへ、じゅんぐりに波をうって送られてくるケーブル。それらがいったん、ここで集約しゅうやくされています。ぐるりと、とりかこんだびた金網カナアミ。それをコーティングしていた水色のプラスティックが、ひびわれて、あらかたなくなっていました。人丈ひとたけをこすれススキと、青いススキの群生ぐんせい。なげこまれた生活ゴミ。道路どうろにたおれかかった、開花かいかまえのセイタカアワダチソウ。やぶの中のクワが灌木かんぼくとなり、しげっています。水のはってない田んぼと、てた放置田ほうちでんの中に、ポツンと変電所へんでんしょがありました。

 金網カナアミの中は、まるで白黒のSF映画えいがに出てきそうな景色けしき。ギザギザのつのの白い碍子がいし錯綜さくそうする電線でんせん三角トラスに組み上がった鉄骨てっこつはしら。すぐ横には小さなため池があり、変電所へんでんしょとつながった金網カナアミで閉ざされていました。

 池の外にも、中にも、子らがいます。子らが凧上たこあげをして、あそんでいました。

 ソルはギョッとしました。とうとう、鳥のむれが来襲らいしゅうしてきた。自分の妄想ゆめ実現ほんとうになった、と思ったからです。よく見ると、コンクリート小屋のわきの金網カナアミに、あながあいています。がざつに切られ、おしひろげられていて、かなり前に空けられたようでした。

 ほんものと見まごう、かざばねをつけたたこ。ジョッキー服のようなハデなたこ。ギョロリと目玉のついた三角形のたこ。こしをクネらせ、下半身かはんしん強調きょうちょうした女体型にょたいがたたこ。それぞれ思い思いのたこを、子らが上げています。どの子にもカンオンがついていないのは、とお目でもわかりました。

 だんだんちかづいてゆくと、あっちこっちに、たこ残骸ざんがいが見られます。電線でんせんにぶら下がっているもの、変電所へんでんしょの中に墜落ついらくして、機械きかいに引っかかったもの、有刺鉄線ゆうしてっせんにつきささったもの、骨組ほねぐみだけ水面から出ているものもあります。おそらく、そうとうな数のたこが、池の底にしずんでいるはずです。

 でも、ソルがほんとうにおどろいたのは、たこや、その散乱さんらんではありません。開けられた金網カナアミあなといい、そこからの子らの出入りといい、なによりもそれが、長い間放置ほうち放任ほうにんされつづけてきたことが、おどろくべきことでした。作為さくい不作為ふさくいというより、たんにズボラで、そのままなのです。この御時世ごじせい未開みかいでありつづけられる。そのことが驚異きょういなのでした。

「バサバサバサバサ」

 はねをふるわせ、一つのたこ急降下きゅうこうか開始かいしします。となりのやつに、ケンカをけしかけるため。おいつ、おわれつ、急旋回きゅうせんかいをくりかえしています。子らのくりだす糸が、まひるの太陽たいようの下、チラチラ細長くかがやいています。ソルはむき直り、ホルスの影法師かげぼうしを早足でおいました。




 ソルはつかれていました。ボーッとしていました。車に長くのった後みたいな、まだゆられているような、そんな微熱びねつっぽさが、ぬけ切れませんでした。ホルスのうちは、スーパー堤防ていぼうを見うしなって少したった、高圧線こうあつせん鉄塔てっとう真下ましたにありました。一戸建いっこだて二階屋にかいやで、リフォームしたかべ漆喰しっくいには、あさ亀裂きれつが入っていました。ペットボトルをのせたブロックべい陣取じんどった、クラッシックスタイルでした。彼は今、そのホルスのうちにいました。

 エリゼの子であるソルには、ここは暗闇くらやみでした。せまい部屋へやには家具かぐの山がそびえ、かべ絶壁ぜっぺきが立ちふさがり、階段かいだんは切り立った断崖だんがいのけわしさを見せ、天井てんじょうには暗雲あんうんがかかっていました。家中いたるところに死角しかくがあり、不吉ふきつさと不気味ぶきみさのかげが、いくえにも重なっていました。

 彼はずっとイライラしっぱなしでした。なぜだかカンオンが反応はんのうしません。ホルスにどられないよう、小声でなにをいっても、ウンともスンとも返しません。空気をよんだのか、マナーモードにでも入ったのでしょうか。世界との接点せってんであり、体の延長えんちょうでもある器官きかん、その重要じゅうようなカンオンをうしなったことにより、非常ひじょ不便ふべんさと不快ふかいさを感じていました。

 その一方で彼は、自分の瞳孔どうこう変化へんかに気づきました。大きなネコの目みたいな分かりやすさで、しぼんでいたものが、だんだん広がって、暗がりになれてゆくのでした。欠落けつらくいたみは、存在そんざい輪郭りんかく際立きわだたてます。暗闇くらやみの中で、彼は目を身体からだとして意識いしきしました。

「カラカラカラカラ……」

 薄暗闇うすぐらやみのどこかで、なにかが、カラカラなっています。ときおり部屋へやの中に微風びふうがふき、ヒヤッとします。ソルには心あたりのない「すきま風」とよばれる現象げんしょうでした。彼はつめたい風の出所でどころをさぐり、ハメゴロシでないまど発見はっけんしました。くっついているはずのまど窓枠まどわくとの間に、わずかなスキマを見つけました。

 暗さと、さむさと、つかれが重なると、いつものパターンで、不安ふあん罪悪感ざいあくかんいてきました。理由りゆうもなく、自分がこのうちの、シミになった気分がしてきました。このうちの方が彼の中で、シミとして、広がっていくようでもありました。今までの経験上けいけんじょう、このシミはとうぶん消えないのは、分かりきっていいました。そう思うと、ますます気がめいってくるのでした。

 わるくなりすぎたものは、よくにしかなりません。とりあえず休憩きゅうけいはとれたので、体力だけはジワジワ、水位が上がってきました。というより、体の状況コンデイションが、心に反映はんえいしているだけなのかも。



 さっきから、鳥のはなし、ばかりしていました。他になにも、わだいがなかったからです。コトバのシッポに、つぎのコトバのあたまをくっつけ、またべつのをくっつける。やみくもにペダルをこぐように、ハナシのためのハナシをつづけます。関連性かんれんせいのうすいものを関連こじつけさせ、はなっからそうであったように、自分で自分を納得なっとくさせます。つかなくてもいい小さなウソをつき、しゃべりつづけていると、なんだか、だんだんハラがたってきました。そのうち、顔が赤らんできました。

「なんでコッチばっか、しゃべってなきゃ、いけないんだ?」

 と思うと、なんだかいつもの彼に、復讐ふくしゅうされているようでした。そう感じてか、いっそう血の気が顔に上がりました。



 ホルスは、ほとんどしゃべりませんでした。聞いているだけです。たまーに、あいづちをうつていど。二つ三つ単語たんごで返すだけ。

「なんとかいえよ、ゴルァ!」心の中で、ののしるソル。彼はしだいに、不安になってきました。やましさをおぼえつつ、あいての知能ちのうレベルを、うたがいはじめたからです。

 シュッと、引き戸があきました。完全に意識いしきを、はなすことにうばわれていた彼は、状況じょうきょうにおいつけず、うろたえます。

「いらっしゃい」

 おじいさんが、おぼんをもって入ってきました。

「あ、ども」

 小声で。

「よろしかったら、どうぞ」

 テーブルにおくやいなや、ホルスが手をだし、ボリボリ食べだしました。

 おじいさんは終始しゅうし笑顔えがおでした。帰りぎわにホルスがよばれ、おかしをくわえながら、彼は出ていきました。

 二人がさり、ソル一人がのこされました。

 さっきはビックリしました。じつは、彼がもっともおそれていたのが、うちの人との遭遇そうぐうだったからです。はなすことに気をとられすぎていて、無警戒むけいかいでした。かえってそれで、よかったのかもしれませんが。

 ホルスのおじいさんは、ソルから見れば、しわくちゃでした。まるでタレントを生身なまみで見た感じか、4K、8Kの画面がめんで見た感じに、ちかいかもしれません。おじいさんはサンリ・オのキャラクターがえがかれた、ピンクのスウェットの上下をきていました。彼の目には、しめって重く、ヤボッたくうつりました。

 エリゼや、クララン市の中心部ちゅうしんぶ、その主要地域しゅようちいきの大人たちは、わたしたちから見たら、いちようにわかく見えます。せだいをとわず、みんな、にたようなかっこうをしていました。どちらかといえば、大人が子に合わせている、といった感じ。わかさは、この時代にあって、きしょうな価値かちであり、また商品しょうひんでもありました。

 ソルはテーブルに目をむけます。オレンジジュースとクッキーが、金属枠きんぞくわくのガラステーブルの上、おぼんにのっておいてありました。

 ――冷蔵庫れいぞうこの紙パックには、リアルなオレンジのイラストがえがかれ、果汁かじゅう10パーセントとあります。クッキーのはこには、代用小麦粉だいようこむぎ小麦粉こむぎこ、ショートニング、代用砂糖だいようさとう人工甘味料じんこうかんみりょう、ホエイパウダー、乳製品にゅうせいひん代用食塩だいようしょくえん膨張剤ぼうちょうざい、乳化剤(大豆レシチン)、香料こうりょう等と表記ひょうきされていました――。

 彼はなんの感慨かんがいもなく、テーブルの上のそれらを、じっとみつめていました。

 しばらくした後、りょう手をつくと。

「フウー」

 と大きく息をはき、のびをしました。やっとわれにかえり、彼はあらためて、まわりを見まわしました。

 密閉みっぺいされた箱部屋はこべや圧迫あっぱくされるような、息づまる暗さとせまさ。この小さな箱体はこたいは、ホルスのルーム。ホルス一人の所有物しょゆうぶつでした。場所をひとめすることへの感慨かんがいが、彼におしよせます。昔風むかしふうでいえば、ここはホルスのしろでした。

 見まわせば、モノ、モノ、モノ、モノ。そのおびただしい量。あふれかかえる、ホルスのもちモノ。組立てだなにかざるともなく、むぞうさに陳列ちんれつされた、ガチャガチャの小さいフィギュア。ギッチギチの新古書しんこしょの紙マンガ。たな天板てんいたから天井まで、びっしりつみ上がった箱は、塗装とそうのひつようのない、NGノーマルグレードのガンプラ。紙の戸のはしがやぶれ、その上にせたリアルな紙の壁紙かべがみがはられています。多人数おおにんずう若年じゃくねんアイドルグル―プのうつった、ポスターとよばれるものです。それのカモフラージュとしての意味いみに気づいたのは、だいぶ後になってからでした。カラーボックスからはみ出た、ふりだしの釣竿つりざお。それに黄色い糸をまきつけブラ下がった、ホコリまみれのたこ。とにかくモノ、モノ、モノ……

 ソルは、モノとはりょうのことかと、めまいをおぼえました。また「モノって、もっていることが大事だいじなんだ」とも思いました。それもいっぱいに。彼はホルスのモノにあてられ、一時的にモノいしていたのでした。

「いったい、自分のモノってなんだろう?」彼は思案しあんしました。ゆいいつ自分にあるのは、カンオンだけでした。でもホルスにはなくても、エリゼなら、そんなのみんなもっています。それにカンオンは、映像えいぞうや音の情報じょうほうをあたえてくれるだけで、形や重さをともないません。彼はなんだか自分が、カラッポ、みたいな気がしてきました。その一方でホルスにはない、目に見えない、充実じゅうじつがあるような気もするのでした。もちろん、錯覚さっかくですが。

 ホルスといる時、このヘヤの中で、見ないようにしていた場所ばしょがありました。ホルスは自分のヘヤにつくと、もち手のないスーパーの買い物カゴをひっくりかえし、オモチャをストローマットにぶちまけました。

 手足のないロボット、シャシーだけの車のラジコン、ゴムのキャタピラのとれた戦車せんしゃ、つながった両翼りょうよくのパーツと、それと分離ぶんりしたジャンボの胴体どうたい、レゴとその部分パーツ、なんかのネジ、おれたクレヨン…… ガラクタの山が、一山できました。

 空になったスーパーのカゴの中に、紙の新聞しんぶんをしき、カゴのフタに、たたんだダンボール(1.5リットルのミネラルウオーター)をおき、重しがわりに紙のマンガ雑誌ざっしをすえました。あっという間でした。ガジェットにあふれたホルスのヘヤの中で、そくせきでつくった鳥カゴでした。

 ヘヤのすみで暗くてよくわかりませんが、鳥カゴから、たまにカサカサする気配けはいがします。だれも見ていないのに、警戒心のつよいおくびょうなソルは、なかなか立ち上がって、ちかづこうとはしませんでした。ただ、時間だけがすぎてゆくのでした。




 ようやっとホルスがもどってきたので、ソルは、はなしをきりだすことにしました。

「あの、その、あの鳥のことなんだけど、ちょっといいかな」

「聞きたいことがあるんだけど、あれってもしかして、ケガとか病気びょうきとか、もってないかな?」

 ホルスは、とうに廃刊はいかんになった、色のついた紙(印刷せんか紙)のあつい、マンガのマガジンをよんでいます。裏表紙うらびょうしに、値札ねふだがいくつもきたなくはってありました。

「もしそうなら、ここにおいといちゃ、マズイんじゃないかな」

 ホルスはやっと、こっちをむきました。

「もしかしたら、くるんじゃないかな。だれか」

 ホルスの顔の中心から、不安の色が広がってゆくのが見てとれました。

「くるって……。だれが?」

 ソルはだまっていました。彼がしるわけがありませんが、沈黙ちんもくいてるみたいなので、そのままだまっていました。

「鳥もってちゃ、いけないの?」

「ケーサツとか、くるの?」

 彼はさっきまで、ホルスにハラを立てていましたが、きゅうに、自分がイヤになってきました。

「ケーサツか、どうかはしらないけど、それはト―ロクされてないだろ。足にカンとかつけていし」

 カンオンでかじった、なまじっかな知識ちしきをおりまぜます。

「その鳥はたぶん、ヤセーじゃないかな」

「ヤセーって、なに?」

 え、そこから? と彼は思いましたが、そういわれてみると、それがなんなのか、彼は答えることができません。

「ようはその、なんてゆうか、その、人にたよっていないってことさ」

 ソルは、たよっていない、というコトバにフリーズしかけます。ホルスは自由民じゆうみん=依存民いそんみんの子でした。対してソルは、自立民じりつみんの子でしたから。

「ようするに、人にかわれていないってことさ、エサとかもらってないんだよ。かんりされてないから、どんな病気びょうきもっているか、しれないよ?」

 早口でまくしたてましたが、色々気にしているのは、ソルだけでした。ホルスはそれどころではありません。

他人ひとにうつしたりして、メーワクかけちゃ、いけないんじゃないかな?」

 ホルスはむごんで、鳥を見ています。

 また、ダンマリかよ。ないしんイラつくソル。

「ヨボーセッシュとか、うけてないだろ」

「ヨボーセッシュ?」

注射ちゅうしゃのことさ」

「お金だって、かかるんだぜ」

 ソルはなんだか、死にたくなってきました。

注射ちゅうしゃしたら、かってもいいの?」

「さあ、ト―ロクもしてないし……」

 しるかよ、てめぇーのカンオンに聞け! 彼は心の中でどなりました。それはエリゼの子たちが、切れたときに、よくつかうフレーズでした。私たちでしたらさしずめ、しらんがな、ググれカス! といったところでしょうか。

注射ちゅうしゃして、ト―ロクしたら、かってもいいの?」

 なんでこいつ、きゅうにジュ―ジュンになってんの? ちょっとおどろき、ホルスのきょくたんな変化へんかに、たいおうしきれないソル。

「いや、さっきからカンオンのちょうしが、なんかわるいんだ。しらべられないんだよ」

 つごうのいい時にカンオンがつかえなくて、たすかりました。一つ分のウソをへらせます。

「そのー、きみはその」

「そもそも、ト―ロクできなんじゃないかな……」

「……」

「……」

 ホルスは、じっと鳥を見ていました。ソルも鳥を見ていました。




 ドアノブにさわった手を、ひっぱったスソでぬぐいながら、きざはしのきわに歩みよります。暗い階下かいかは、妖気ようきがみちていました。行きとちがって、帰りは一人。ソルは片側かたがわだけあるカベに、ぴったり、りょう手と体を、くっつけをつけます。側対歩(同側の手足が同時に出る)のようりょうで、ゆっくり、しんちょうに、下りていきました。

 まえをむいたまま、階段かいだんがまだあると思って足をつくと、あたまに電気でんきが走りました。終点しゅうてんです。

 うす暗がりの中、リビングの方から音がします。げんかんにむかう、とちゅうの戸があいていて、ソファにいるおじいさんの背中せなかが見えました。光のもれる物理画面モニターから、われたような低音質ていおんしつがこぼれます。目にわるそうな、単調たんちょうで強い色み。デジタル処理しょりされた、セルのアナログ映像えいぞう画質がしつ音質おんしつ粗悪そあくなコンテンツ。それは大時代おおじだいな、ロボットアニメの動画どうがでした。

 その映像えいぞうは、ソルのカンオンのコードに引っかかる、残虐ざんぎゃく暴力的ぼうりょくてきなシーンがふくまれた、古い作品でした。番組ばんぐみのさいごに「作者がすでに故人こじんで――」とか「とうじの社会状況しゃかいじょうきょうかんがみ、原作けんさく意志いし尊重そんちょうして――」とかいった、ただし書きがつくようなものでした。たびかさなるロビー活動かつどうによる著作権延長ちょさくけんえんちょうをへて、権利けんり失効しっこうした無料放送むりょうほうそうでした。

 彼はぬき足さし足で、そのそばを後にしました。

 げんかんを出てすぐ、ホルスによび止められました。

「これ、かぶってけって、」

 まっ赤なフェルトのフードを、手わたされました。おじいさんからなのでしょう。ズッシリと重く、あやうく落としそうになりました。ホルスはさくっと、家にもどりました。つっ立ったままのソルは、彼らの真意しんいがはかりかねました。

 鳥はいったん、ソルがあずかることにきまりました。おくる手はずは彼のカンオンがすませ、登録とうろくには時間がかかることを、再三再四さいさんさいし、ホルスに、ねんをおしておきました。

 カンオンをもつものは、その空気のような絶対的ぜったいてき信頼しんらいから、故障こしょうやそれによる待機たいきなど、しんぱいする必要ひつようはありませんでした。カンオンとは、一般情報いっぱんうじょうほう個人情報こじんじょうほう集積しゅうせきであり、それを共有きょうゆうし、人にいかすものでした。一方それは物理的ぶつりてき存在そんざいでもあり、偏在的自個へんざいてきじことして、あまねくありました。万一こわれても、分身ぶんしんでもあり本体ほんたいでもあるカンオンが、そこらじゅうにちらばっています。その宿主しゅくしゅのしらぬ間に、新品しんぴんと入れかわっているか、ちかくのカンオンが代行だいこうするので、なんの不安要素ふあんようそもありませんでした。およそ、人間がいけるところで、カンオンがカバーしていない場所は、事実上じじつじょうどこにもありませんでした。ただし、カンオンみずから、そのはたらきをブロックしないかぎりにおいては――という、だれもよんだことのない仕様条件しようじょうけんに、前もってみんなが同意どういしていたはずでした。

 どっと、つかれました。まだ帰り道があるのです。きた距離きょりの半分、まるまるのこっています。とりあえず、ソルは歩きだしました。こんなに足が重たいのは、はじめてでした。

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