第2話 目覚め 2 惑溺

 アスペクト比2. 35:1のスコープ・サイズのマドわくが、カベのサイズで、はまっています。レースのような白紗はくさのかかったマドをすかし、ヘヤいっぱいをみたした、やわらかな外光。ハメゴロシによって遮断しゃだんされた外の空気くうき。耳をすましてもきこえない空調くうちょうが、時々わすれられないように、小さく咳込せきこみます。ここでは空気くうき流体りゅうたいではなく、固体こたいであるかのようでした。ソルは水色の空を、ぼんやりながめていました。

 いきを止め、目をこらすと、たゆたう雲が東へむかうのがわかります。いきを止めれば雲は死に、雲を生かせばが身のほろぶ、なやましさ。

 みはるかすクラランの街。建物たてものの間から散見さんけんされる、ターマ川のかがやきき。ここからはまだ見えない、そのすぐ先は、開放水域かいほうすいいきの海です。野外では風むきによって、かすかに、しおかおりがすることもありますが、ハメゴロシのマドの中までは、とどきませんでした。  

 浚渫船しゅんせつせんがターマ川を、ヌルヌルゆきかいます。これらの船に、仕様用途しようようとはありません。ただ、動いているだけです。船は無人むじんで、川底かわぞこをさらうこともなく、Nゲージのように、目をたのしませるモノとしてありました。

 船はほんらいの目的もくてきである、川の浄化じょうか終了後しゅうりょうごものこされ、環境復帰かんきょうふっき記念きねんモニュメントとして、一部をのこし、そのまま運航うんこうをつづけていました。まっ白な船体せんたいに、CCRとロゴが大書きされています。その下に「信念をもって、清らかな水を甦らせる」とありました。かたいかざりは、いつもパンパンにふくらんでいました。


 いつものように、ソルの心は共有(授業)からはなれ、一人歩きをはじめていました。

 空想のなかで、ソルは船長せんちょうだ。黒い眼帯がんたい義足ぎそくのかた足、極彩色ごくさいしきのオウムをかたにとめている。ふねはモクモク、ドライアイスのケムリをはき、彼はスパスパ、チョコのパイプをふかしている。

 操舵室そうだしつからデッキを見おろせば、青縞ストライプのシャツとバンダナの、黄色いレゴの水夫すいふたち。アサのロープをたぐる者、下ろしたをつくろう者、二人がかりで酒樽さかだるをころがす者。日ごろの言いつけをむしして、イノチヅナなしで、マストによじのぼっている者もいた。彼は手下てしたどもに、げきをとばす。


「きけ、今あかす」

目的地もくてきちは、のろわれし宝島たからじま!」

「かくじのかみにいのれ」

かみなきものは、未来あすに生きよ」

「なにもないものは、死をごうとせよ!」


 クロス・ボーンのドクロのはたがメインマストをかけ上がり、てっぺんでひるがえった。

 ラッパ口の伝声管でんせいかんにパイプをたたきつけ、彼ははいを足でもみ消すフリをした。舵輪だりんに手をかけ、チェーンでつるされたゴールデンリングをひっぱると、汽笛きてきにオウムがとび立ち、ヒワイなファンネル・マークの煙突えんとつが、ゆげのような白いケムリをはき出した。



 夜ふけて彼は一人、船長室せんちょうしつ。オウムのハーロックをなでながら、すすけたランプをひきよせ、松本零士まつもとれいじのコミックのナレーションっぽい、はしのやぶれた秘密ひみつ海図かいずをひろげていた。

 もう見あきた海図かいずをみるともなしに、もの思いにふければ、こみ上げてくる、わかき日のかがやきと蹉跌ざせつ。めぐりくるであろう因果いんがのゆくすえ。

「ドッ」

 ふね胴体どうたいをゆさぶる、怒声どせいとわらい声。

「そりゃ、だれかがてば、だれかがけるさ」

 そう、彼はつぶやいた。

 かんおけみたいにデカい、キズだらけのつくえの上の山。くずれるようにかさなった海図かいず古地図こちず古文書こぶんしょ羊皮紙ようひし、紙のはしきれ。それに、望遠鏡ぼうえんきょう、コンパス、ハネペン、インクつぼ、四分儀しぶんぎ六分儀ろくぶんぎ、色あせたセピアの地球儀ちきゅうぎ

 ホヌ(海亀)の甲羅こうらのハイザラで、とうにえたパイプ。もう船が、かすかにきしむ音しかしない。彼は立ちあがって、サイドボードに歩みより、いのちの水をあおった。




 ×月○○日 べたなぎのおきにとりのこされて、三週間あまりの一月足らず。船はイカリをおろしたように動かない。おきは海の砂漠さばくだ。すっぱくなった水がわりのビールも、のこりわずか。河口かこうからとおくはなれ、魚いっぴき、いやしない。

 そもそも今回は、出だしからうんがなかった。かくれ小島こじま基地きちを出たとたん、海軍かいぐんとハチアワセ。からくもまいてにげたが、砲撃ほうげきにより、船は破損はそん浸水しんすいをまぬがれず、水夫すいふ二名がフカのエサとなった。

 借金しゃっきんがかさみ、もう後もどりはできない。船内せんないではささいなケンカがたえず、病人びょうにんがではじめた。雨のふる気配けはいもない。すでにたからのろいいにかかっていると、なきごとを言い出すヤカラもでるしまつ。この先の航海こうかいにさらなる暗雲あんうんがたちこめる。




 ×月○△日 とつぜんヘヤの中が暗くなった。日ぐれにはまだ早い。ほほをマドにおしつけのぞきこむと、鉛色なまりいろの海がわき立ち、空が暗い。あらしの前ぶれの気配けはい。いそぎかけ上がりドアを開けると、突風に巻かれた。

 生臭く、湿った空気。カミナリを孕んだ黒雲。うねり狂う海。風紋が横に走る壁波が、眼前にそそり立つ。船は大波をよじ登りはじめ、泡立つ頂点へ至る。あまねく三角波を見はるかし、待ち受けるコンクリートの海面へ真っ逆さま。


「ギャーーーーーース」

 雷鳴と雄叫び。

 雷雲と見誤った、灰色の羽毛に覆われた翼は水平線を隠し、青白い光を帯びて羽撃けば、轟と共に海神の三叉の鉾を落とす。

 一羽撃きで小舟を空へ吸い上げる竜巻は、帆をズタズタの端切れに変えていた。甲板に水夫の姿は見あたらず、何人海にのまれ、空へ舞ったか分からない。上も下もなかった。

 マストも舵も折れた。泡立ち逆巻く波は、見る間に黒い大渦巻メイルストロームへと変貌する。船は軌条の上を引っぱられるように、なすすべもなく滑り、黒い螺旋の溝を止めどもなく落ちてゆく。死が彼の鼻先をかすめ、あまい香りが漂いはじめた……


「…………ガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤ……」

「ねぇ」

「ソルゥ」

「ねぇ」

「ガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤ……」

「ねぇ」

「……」

 目の前を、フリルでもられたペール・オレンジにくいろの山が、さえぎっています。よく見ると、タマムシ色のムネのブローチは、カブトムシらしき形をしていました。

「ガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤ……」

「やくそくしたよねぇ、他人ひとのはなしは聞こうってぇ」

「……」

 はなしなら聞いてたじゃん。とソルは思っていました。みみでなら、たしかにそうかもしれません。でも彼女が問題もんだいにしているのは、おそらく、その姿勢じょうしきの方なのでしょう。

「ガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤ……」

共有きょうゆうのさいちゅうはぁ、ボーッ、としないってぇ」

「……」

「ガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤ……」

 シュザンヌが、ラメでキラキラした目をパチパチさせながら、しゃべっています。

「ソルはぁ、わかっているのかなあぁ?」

「……」

「ガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤ……」

 ソルはシュザンヌの、はなだけ見ていました。そうすることで、ちゃんと聞いているように見えるからです。

 顔のまんなかに鎮座ちんざするそれは、とてもキミョーに見えます。その形はなんだか、原始的げんしてき生物せいぶつに、見えなくもありません。その下でパクパクうごく口は、ガイコツのフレームに、ゴムがわがかぶさっているよう。口もとにあるホクロに、ファンデーションが半分かかって、こなをふいているみたいでした。

 ソルなら、話はちゃんと聞いています。数々かずかずのニガイ経験けいけんから、彼はある経験則けいけんそくをえました。それは自分が思うこと、することが、他人ひとにはかならずしも、そうは見えないということでした。することより、見せること、そう見られることの大切さ。それが今到達とうたつした、彼のおさないマキャベリズムでした。はなを見るという、彼の個性こせい穴埋あなうめするメソッドは。それは共感きょうかんからはぐれ、そん体験たいけんをつみかさねてきた、彼なりの処世術しょせいじゅつでした。ソルは、時々視線しせんを外さなければならないことも、心えていました。まえにじっとはなを見つづけていて、大人の人におこられたことがあったからでした。人のはなというのは、見つづけては、いけないらしいのです。


「ガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤ……」


 ルームはいつも、にぎやかです。子らは沈黙ちんもくをおそれるかのように、四六時中しろくじちゅう、ワイワイガヤガヤしています。キャッチャーが共有きょうゆうから、それたとたん、子らのオシャベリのボリュームが「ワッ」と、いちだん上がりました。シュザンヌの目をはなれ、背後はいごで二人の子がさっそく、ふざけあいをはじめました。

 現在進行形げんざいしんこうけいでカンオンは、全方位録画ぜんほういろくが安全あんぜんチェック、情報じょうほうのアーカイブ化と編集作業(ポリティカル・コレクトネスや、コンプライアンスなどが含まれます)をおこたりません。ですがそれらすべてを、人間の目が最終確認さいしゅうかくにんして、すべて対処たいしょしきれないのも、子らは空気なれでしっていました。カンオンの物理行動ぶつりこうどうは、帰属主きぞくぬしにつくための空中移動くうちゅういどうに、ほぼかぎられています。あるとき口のわるい子が、カンオンのことを「げ口やろう」といったのを、ソルは、はっきりとおぼえていました。

 人々にとって、アーカイブ化は空気くうきでした。むしろ、されないヤバさに、ふるえました。セピアにならぬ、クリアーでシャープな思い出の画像たち。その気がとおくなるような、ぼうだいなりょう不慮ふりょ事故じこ人為じんいによる喪失そうしつなどをおそれつつ「いっそのこと一辺全部いっぺんぜんぶなくなってしまえ」そんな期待きたいをしているフシも、ないような、あるような……

「ドコかで、ダレかが、ナニかによって、ジドウテキに、そのツド、コマメに、バックアップしてくれているハズ」

 その気になれば、過去時かこ知識ちしきは、いつでも復元可能ふくげんかのうなはずと、みんなタカをくくっていました。


「ガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤ……」

「ガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤ……」

 シュザンヌは正面しょうめんからソルにむき、ひざに手をあて、中腰ちゅうごしのままでいます。騒音そうおんのせいでしょうか?  それとも彼の個性こせい一時いっとき感化かんかされたのでしょうか、会話かいわがつづかなくても、いがいとへい気みたいになっています。

「……」

「……」

「ガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤ……」

「ガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤ……」

 二人でちょっと、だまっていました。

「ガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤ……」

「ガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤ……」

「ガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤ……」

「ジュリとは、ちゃぁんと、はなしてるぅ?」

「……」

「ガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤ……」

「ねぇ、ジュリとちゃぁんと、はなしてるぅ?」

「ガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤ……」

「……」

「ガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤ……」

 もう、ここまでノイズが大きくなると、騒音そうおん沈黙ちなもくのかわりになるかもしれませんね(笑)。

「ガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤ……」

「××★△■○Хと☆◆!」

 基地外じみたキセイが、シュザンヌの背後はいごで上がりました。

「▲◇★☆☆彡◎◆×!」

 それへキセイでおうじたひょうし、背中と背中がぶっつかりました。

「ちゃぁんうっ!」

 シュザンヌの声がふるえ。

「――うんとジュリと共有きょうゆうしてるぅ?」

 いいつづけた後、ニガわらいでフリかえり。

「んんもぉう、ダメじゃない」

 ソルにむきなおり。

「ジュリと共有きょうゆうしているぅ?」

 聞きなおしました。

「……」

「……」

 ジュリの方をむき。

「ジュリィィー、たのむよぉー、ジュリィィー」

 りょう手を合わせ、おねがいポーズでいいました。

「ふえぇぇぇー?」

 ジュリが大げさにのけぞったまま、ふりかえらず返事へんじをしました。子らの雑音ざつおんをおし分けるような大声で。

「ガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤ……」

「たのむよぉー、ジュリィィー」

 ほほえみながらも、合わた手のひらをハートマークにかえました。

「ガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤ……」

「ガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤ……」

「ガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤガヤ……」


 連帯責任れんたいせきにんとかいうコトバを、ソルはまだ、しりませんでした。とにかく彼は、はずかしく、それいじょうに、ニガニガしく感じていました。カオナシでいましたが、心の中では「コロス、コロス、コロス」を連呼れんこしていました。

 なぜ自分にだけがあるのか、彼にはわかりません。リフジンというコトバなら、もうとっくにしっていました。いつのころからか「自分のしらないルールから、とりのこされている」と、ばくぜんと感じはじめていました。




 しゃのかかったマドごしに、みどりがゆれていました。イトスギのかたいこずえがかすかにふれ、ポプラが「ザァッ」と、雨のような音を立てました。風が強まったのを、ソルは見てとりました。

「バイン!」

 くぐもった音と同時、電気でんきか落ちたみたいに、マドがまっ黒くなりました。

 ルームは、ちょっとしたパニックになりました。泣きだした子を中心にして、女子がすうグループでかたまっています。男の子たちは、しきりに、今あったことの解説かいせつと、分析ぶんせきによねんがありません。シュザンヌは、アタフタしています。

「どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ、どよ……」

「あーうるさい。うるさい、うるさい。とにかく、うるさい!」

 心の中で、さけびつづけるソル。彼はほんとうに、うるさいのが大キライでした。このうるささにも、彼は関与かんよしていませんでしたが。


 ちょうどさっき、彼は見ていました。マドが暗くなる直前ちょくぜんでした。なにかが、こちらにむかってんできたのを。それほど大きくないモノが、放物線ほうぶつせんではなく直線的ちょくせんてきに、もうスピードでマドにぶち当たるのを。しゃのかかったマドごしでは、ハッキリしませんでしたが、彼には思うところがありました。

 クルクルまわる青い回転灯かいてんとう。スパイダーがたのロボットが、マドごしにあらわれました。ときおり見かけるそれは、子らにとってのアイドルでした。たちまちハメゴロシのマドに、むらがる子らと大人二人シュザンヌとコーディネーター。ボールにだけあつまる子のサッカーのよう。

 クモはおなかから、白いアワをふきだしました。

「プビョプビョプビョ」

 黒い吸盤きゅうばんのクモは、なぜか六本の足ではりつき、密着みっちゃくした真空状体しんくうじょうたいのおなかでブラシを回転かいてんさせながら、いつづけています。

「プビョプビョプビョプビョプビョプビョ」

 子らとシュザンヌは、いつまでも見とれていました。

「プビョプビョプビョプビョプビョプビョプビョプビョプビョプビョプビョプビョプビョプビョプビョプビョ……」




 共有きょうゆうがおわると、ソルはジュリの目をぬすんで、建物たてものの外にでました。光をうけてかがやかがみのような壁面へきめんが、彼の目にいたくささります。ゆるい、ダ円の花ダンまわりを、うろうろしていました。弾力性だんりょくせいのある擬似ぎじレンガに手をおき、かがんで、ツツジのしげみをのぞきこんだりしました。

 ツツジの花びらには、赤、白、ピンク、ストライプ、まだら、などがあり、かりこまれたえだ先端せんたんには、白いキッャップのツボミがついていました。もともと、ゴムのようにやわらかいえだ品種ひんしゅでしたが。

 かがんだままでいて、つかれてしまいました。クッションのきいた花ダンで一休み。

 立ち上がってまた、さいかいします。ねんのため、予想よそうより、かなりはなれたところまできて、やっと見つけました。

 ゴミかとおもったそれは、たしかに生きています。ソルが、はじめてのあたりにした生きもの。はねのからんだ小枝こえだの中で、ふるえるようにいきづいていました。チャコールグレーの小さいやつ。それも野生やせいの。

「これ、さわんのかよ」 

 はじめて、そのことに気づきました。でも、もう時間がありません、だいぶたっています。しかたなくかくごをきめて、りょう手をつっこみます。

 えだでスソがまくれ、むきだしのうでに、白いスジがつきました。永遠えいえんにとどかないことをねがいつつ、そっとのばしてゆきます。

 鳥はつかんでも、あばれませんでした。地肌じはだちかくふれるゆびはらは、あつく感じるほどです。目をパチパチさせ、クビだけで180度まわります。かれえだみたいな足が、モゾモゾもがいて、くうをつかもうと何度もまるまります。

 このまま、にぎりつぶすこともできると、ソルがかるく圧迫あっぱくをくわえると、やわらかくつまったモノが、反発はんぱつしてきました。命の白紙委任状はくしいにんじょうを手中におさめ、彼の陰嚢と肛門の間アリノトワタリに、微弱びじゃく電気でんきが走りました。

「うっわ、スゲッ」

「うっわ、スゲッ」

 背後はいごからの声に、彼はふり返ります。

 ジュリがとびのき。

「チョっ、こっち、むけないでよ!」

「……」

 人はあいてを全否定ぜんひていしたい時にかぎって、なぜ、ろくにコトバが出てこないんでしょうか?

「げぇー、すげぇー」

「うっわ、すげー」

「……」

「しらないんだ、こんなことして」

「……」

「いいと、おもってんの?」

「……」

「かってなこと、しちゃいけないんだよ」

「……」

 彼は歩きだしました。

「チょっ、どこ、もってってんの?」

 ふりかえって、

「リトリート」

 ――といいました。

 待息所リトリートとは、みなさんの学校にある、保健室ほけんしつみたいなところだと思って下さい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る