第1話

「今日の放課後、中庭に来てください」

そう書いた手紙を握りしめて、私は想い人の下駄箱の前に立っていた。昨日はもし誰かが来たらどうしよう、別のクラスの私はなんて言い訳をすればと頭を抱えていたが、実際来てみると早朝には誰もいなかったうえに誰も来る気配がなかった。素早く済ませて教室に行ってしまおうと腹をくくって前を向く。ドクドクと自分の心音だけが頭に響いている。自分の呼吸音が煩わしいほど聞こえてくる。震える手をなんとか動かし、あの人の下駄箱の扉を開けた。そして上履きの上にそっと手紙を乗せる。あの人はちゃんと来てくれるだろうか。そんな心配を胸に私は下駄箱の扉を閉めてそそくさとその場を離れた。




「手紙、ちゃんと下駄箱に入れた?」

幼馴染の香里は恐る恐るといった様子で私に聞いてきた。

「うん、大丈夫だよ」

笑ってそう告げると安心したのか香里は頬を緩めた。

「よかった。詩織は引っ込み思案だからさ。ちゃんと出来たか不安で……」

「心配し過ぎだよ。大丈夫、今日こそちゃんと言うから」

「そう言って何年経ったと思ってるのかなぁ?」

私は言葉をつまらせた。あの人に恋してはや数年。高校もあの人が行くところをさり気なく聞き出して選んだのだ。私はもうずっと、あの人のことしか見ていなかった。

「まあ、ようやく想いを告げる覚悟が出来たようでお姉ちゃん嬉しいよ」

からかい口調で告げた香里は朝のチャイムを聞き、じゃあねと手を振って自分の席へと戻っていった。私も自分の席へとつく。だが、その日は結局放課後のことで頭がいっぱいで授業なんて頭には入ってこなかった。


終礼と掃除を終え、急いで中庭へと向かう。中庭は手入れが行き届いておらず、鬱蒼とした雰囲気のため普段あまり人は近づかなかった。階段を駆け下り中庭への扉を開ける。奥へ進むとあの人は申し訳程度に置かれたベンチに座って待っていてくれた。

「なんか、久しぶりだね。クラスが変わって話せる機会が減ったから……」

「うん、そうだね。久しぶり」

しばらく聞くことの叶わなかった声が私の耳をくすぐった。聞き心地のよいソプラノが私は初めて会ったときから大好きだった。

「それで、どうしたの?」

「あ、あのね……」

ぐっと拳を握りしめてその人を真っ直ぐ見つめた。今すぐ逃げ出しそうな足を必死に地面に縛り付け、言葉を飲み込もうとする口から必死に言葉を吐き出す。今まで隠し持っていたものを全部、全部彼女に、想い人にぶつけるのだ。

「私、あなたのことが好きです。私と付き合ってもらえませんか?」

言葉は震えていたかもしれない。頬は引きつっていたかもしれない。頭が真っ白になって見ているつもりの彼女の顔や景色がぼやけていく。それでも彼女の方を私は真っ直ぐに見たままだった。

「え、えっと……」

彼女は困惑した様子で言葉をこぼした。


ごめん。君のこと、そんなふうに見れない。


耳が彼女の言葉を拾い、それを脳に伝える。くぼみに玉が入り込むほど自然にそれは私の脳へと伝わってきた。私は前を向けなくなり、顔を地面へと向ける。ゆっくりと私に近づく音が聞こえ、顔をあげる。するとそこには仕方ないと言いたげな彼女の顔があった。

「これって何かの罰ゲームでしょ?」

大丈夫、わかっているからと言われては何も言えなかった。顔を下げて小さく頷く。すると彼女は安心したように笑って私を抱きしめた。

「全く……私だから良かったけど、これを変に利用しようとするやつも居るから気をつけてよね。次、こんなこと強要されたら私に言って。大丈夫、私は君の味方だから」

彼女は私を抱きしめてこう告げた。それも、残酷なほど優しく。私の腕は彼女へとまわされることなく、そのまま力なく宙へとぶら下がった。

「うん、次は気をつけるね」

震える声で私がそう告げると彼女は私の頭を軽く撫でた。

「いい子」

そっと彼女は離れていき、彼女の温もりが体にまとわりついていた。

「じゃあ、私寄るとこあるから先に帰るね」

気がつけば彼女は荷物を持って中庭から出ていった。重い体を叱ってベンチへと腰掛ける。分かっていたではないか、こうなることは。相手は中学からの友達、それも同性だ。こうなるなんて火を見るよりも明らか。なのに何故、こんなにも苦しいのだろう。まるでナイフで刺されたかのように胸が痛む。ああ、私はどこかで淡い期待を持っていたのだと冷たく告げる自分がいる。もしかしたら私の想いに応えてくれるのでは。もしかしたら彼女の隣に居ることを許されるのではないか。そんな砂のように脆く儚い期待を心のどこかで抱いた自分が酷く惨めで、情けなくて、恥ずかしくて……。滲む視界の中、こちらに歩み寄る香里の姿が見えた。

「香里……?」

香里は何も言わず私の隣に腰をおろし、私の体に手を回した。

「泣いていいよ。思いっきり泣いていい。それで泣き終えたら、一緒にアイスでも食べに行こう」

先程まで零れる程度だった雫が一気に溢れ出す。穴の空いた器のように零れて溢れて止まらなかった。

「う、あ、あああ、あああぁぁあぁあああぁ!」

声を上げて泣き叫ぶ。泣いて、泣いて、泣いて……。下校のチャイムが鳴り終わる頃には涙も声も枯れて嗚咽を漏らすだけだった。

「もう大丈夫?」

小さく私は頷く。それを見て香里はホッと息をつき立ち上がる。

「じゃあ、アイス買って帰ろ」

香里は私に手を伸ばし太陽のように笑った。いつもの香里の笑顔に私も笑みが零れてしまう。私は香里の手を掴み立ち上がった。

「さー、どこのコンビニ行こうか?」

「いつものところで良いんじゃないかな?」

「そうだね、そーしよう」

繋いだ手はそのままで、私達は夕暮れの中2人で歩いていった。




「ごめん。君のこと、そんなふうに見れない」

わかりきった返答。わかりきった答え。あいつが帰った後、詩織は魂が抜けたようにベンチに座っていた。私は詩織を力いっぱい抱きしめる。堰を切ったように涙を流す詩織にますます胸が痛んだ。

「私を選んでよ」

そう零した言葉はきっと詩織には聞こえていない。私も、今はまだ伝えるつもりもない。けれどいつか、詩織があいつを忘れられるその日まで私は待つから。詩織の隣は私だけのもの。そんな願いを込めて、泣き続ける詩織の背中を優しく叩いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

@suzu_2357

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る