Ⅶ. 作品を酷評する/されることの危うさ

 酷評をする人って自分自身に刃を向けているような気がするんですよ。

 情けは人のためならず、と言いますが、酷評は人のためならず、というか、自分に鋭く返ってきます。

 

 どういう意味かと言いますと、私が一読者としてぶらぶらしているときに酷評コメントを目にすると、

「なんと意識の高い人だ! ここまで人の作品を批評できるのだからさぞかし素晴らしい作品を書くのだろう!」

と、その人のページへ飛んで作品を拝読しにかかります。

 すると、

「あれだけ人のこと言っといて、この程度?!」

という現象がかなりの確率で起こります。


 ですから、酷評をすると、自分の読者さんも棒高跳び並みのハードルを期待してくるようになります。

 酷評家さんはそこらへんを覚悟しましょう。

 しかし、その棒高跳びレベルのハードルをぴょんぴょん飛び越えている酷評家さんもいるので、超人か、と思ったりします。そんな人が私の作品を読みに来たりしないよう切に祈ります。


 一方で、酷評される側に関してとても危ないと思うことがひとつ。


「あれだけ人のこと言うなら、自分で書いてみろ」

と反発する人がいますが、かなり的外れなことなのではないかと。

 嫌だったらそっとブロック。

 余計なことは言わずそれだけでいいのです。


 読者というものは、当然みんながみんな物書きさんではありません。文章は書かないけどしっかりした読解力と審美眼を持つ方はたくさんいます。世間の読書家さんのほとんどがそういう方です。

 そういう多くの方々からの評価が、最終的に作品の市場価値を決めていくのです。

 ものを書かないから、あるいは大したものが書けないからといって、作品に指摘や批評を行う能力も権利もないように貶すのは大間違いです。

 多くの金メダリストを育てた名コーチが銅メダルすら取ったことがない人であることも多いように、人に指摘し、教え導く才能のほうがある人もいます。また専門知識も技術も持っていないエンドユーザーの意見を蔑ろにするメーカーは、製品開発に失敗します。

 何が言いたいかわからない例えですね。


 とにかく、批評することと、行う批評に見合った作品が書けるということは切り離して、別のことだと思っていた方が賢明ではないでしょうか。


 ただし、私のような「え~酷評~? いらないよ~頼むからやめてよ~」というふやけた人もいるので、そういう人の作品に無理に指摘をするのは単なる意地悪です。

 酷評は、求めている人だけにしてあげてくださいませ。

 もちろん、意味を取り違えて使われている語句などをこっそり作者さんに教えるのは悪くないと思いますが、大幅書き換えが必要になる、あるいは作品のコンセプトをひっくり返すような指摘は、求めていない人にはせずに、生暖かくスルーするのがよいのではないかと。

 いちいち指摘していたら、SさんとかHさんとか、大御所SF作家さんでもたくさんの作品が潰れます。

 ドイルのシャーロック・ホームズシリーズだってぐちゃぐちゃです。

 でも読んでいてすごく面白いでしょう?


 こう考えていくと、いろんなことに目くじら立てるのやめて、いろんな作品世界で素直にワクワクできるほうがきっと楽しいんじゃないかなあ。


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