Ⅵ. れるられるるるるんるん
あー、季節の変わり目はいろいろつらいですね。
温暖だの寒冷だの前線がやってきて、思いっきり戦ってくれるので頭が重くなり肩が凝り下肢がだるくなります。
そんなことはどうでもよいのです。
私はちょこちょこ投稿サイトの作品を読ませていただいています。
注意力散漫で飽きやすい性分なのでだいたい散文・短編専門ですけども、読むときにはざっと文体を見て読むかどうか決めてから、腰を据えて読み始めます。
文体やストーリーが私の趣味に合うか合わないかは勿論ですが、前述の小説の書き方のルールが守られているかも、読むかどうかの大きな指標です。
そして、一番の地雷は「れる・られる問題」です。
れる・られるは
・可能
e.g. どこでも寝られる体質
・受動
e.g. 先生に怒られる
・尊敬
e.g. 社長自ら訊ねられた
・自発(感情の自然発生)
e.g. この花を見るといつも思いだされる
こういう意味を持つ助動詞なのですが、近年誤用のようなものが目立ちます。
e.g. × 寝れる 食べれる 来れる させれる
○ 寝られる 食べられる 来られる させられる
国語学上、「られる」は上一段・下一段・カ変動詞及び「せる・させる」の未然形につくということになっています。
個人的にはこの「ら」は前の動詞の活用語尾と解釈してもあながち間違っていないような気もしますので、そこをバシュッとカットして「れる」をくっつけるととても野蛮に感じてしまうのです。
コメディなどのポップなストーリーで、カジュアルな雰囲気の登場人物による一人称作品あるいは台詞中に出現するのは(ちょっとしか)気にしませんが、シリアスや文芸調を謳った作品だったり、知的さ品の良さが売りのキャラクターによる台詞中であったりすると
「やめろーー萎えるーーーー!!!」
と喚きたくなります。
なので自分の作品を書くときにはすごく気を付けています。
ところで、先ほど私は誤用とは言わず、誤用のようなものと書きましたが、それはなぜかと言いますと、私のこの意見自体が古臭くておかしな主張であるという向きもあるからです。
言葉はなまものです。
生きて、進化していくものです。
二人称「貴様」が尊称から罵倒用へ。
「全然」という言葉は否定語を伴い打消し文に使うものですが、昔は肯定文に使われ、現在のような否定語を伴う構文は若者の流行語が発祥とされています。
このような例は枚挙にいとまがありません。
だから私は、いずれは可能・自発の「られる」は消滅し、「れる」に集約され活用がシンプルになると思っています。
国語審議会がそうやすやすとは首を縦に振らないでしょうから、書き言葉として残る可能性は高いのですが、話し言葉としては、きっと消えていくでしょう。
不思議と尊敬・受動については「られる」をきちんと使う人が多いので、そちらに特化した助動詞となっていくかもしれません。
近代以降、書き言葉はものすごい勢いで話し言葉に引き摺られています。
ネットで誰でもが自己表現できる時代ですから、新しい語彙・用法がどんどん誕生しています。
そのものすごい奔流の中で、私は多分、流されないように抗っている小石みたいなものなのです。
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