気づいたのは、僕だけでしょう

 僕は、はあ、とわざとらしいため息をついた。あえて。

 ガタンとこれまたわざとらしい音を、わざと立てて、やってられるかと言わんばかりに立ち上がる。



「もう、たくさんっすよ」

「木守くん! そんなことを言わないでください!」



 先輩が一生懸命な顔で僕を見てきた。

 だからもしや真意が気づかれたのかと思いながら、僕は気だるく制服のボトムスのポケットに両手を突っ込む。



「錬金術のおもしろさは、まだまだこれからです。ここで諦めてしまっては、そう、そうですよっ、現代化学の単位だって、取れませんよ――!」



 ……僕はあらためて、ため息をつきなおした。

 そうしてはじめて、いっそ気づいてくれていたらいいのに、と思っていた自分に、気がついた。いや。そこで気がつかないからこそ、……先輩は、先輩であるわけだけど。



「あのさあ、先輩」



 僕は、言い放った。

 雰囲気が変わったことはさすがに気づくのだろう。

 びくりとするかのように、先輩が僕の様子をうかがいなおすのが、手に取るようによくわかった、……百年にいちどの天才、ねえ。



「僕が、なにがたくさんって思ってるのか、わかってます?」

「き、木守若葉くん、なぜ近づいてくるのですか……席について、補習の続きを……単位のために……あなたのために……」

「――そういう自己犠牲精神がたくさんだって言ってんだ」



 黒板の、真ん前。

 教壇、すなわち先輩のいる場所にたどり着いて。

 先輩よりも頭ひとつぶんは背の高い僕は、……わざわざ背をかがめてみてでも、先輩を見上げる格好を、してみた。



「なんすか。先輩の所属している、その、結社、っていうのは。好きなやつに、お相手を丁寧に用意してやるっていうのを、強制してくるわけですか」



 恋している、相手の。

 その恋の相手、という、どこまでも焦がれるであろうポジションに。


 自分自身が、おさまろうとする。

 そんな、至極当たり前の行為ではなく。


 そのポジションに、だれかを無理やり押し込むかのように。恋のキューピッドぶって――くっつける。



「っていうかね。僕、ずっとふしぎなんだよ。どうして天宮雨音先輩って。化学室で、恋愛相談室なんかやってんですか。先輩ってたしかエスとかで超天才で、錬金術で忙しくって。そんな余裕、ぜーんぜん、ないんじゃないですか」

「……いえ。それも、義務ですから――」

「だからなんの義務なの?」



 僕は背筋をぴんと伸ばした。

 そしてまるで小さな子どものような目で、僕をめいっぱい見上げてくる先輩の顎を。

 軽く、なるべく優しく掴むと、そのままくいっと、上げさせた。



「――なに、してるんですかっ。先輩に、それに現代化学においては先生役の私に向かって――」

「心底ご不快ならいつでも錬金術を使ってどうぞ。……先輩なら、いますぐだってその手で爆弾でもなんでも化合できちまうんでしょう。僕なんて、一瞬で負けます。死にます。僕は、先輩がしゃべりやすくなれるよう、心理的ハードルを下げてあげているだけ」



 さらに、顔を上げさせる角度を、高くした。

 ……先輩は、悔しそうで、混乱しているようで。でもけっして、その手でなにも化合しない。



「でも気づいたの僕くらいでしょう」



 先輩は、めいっぱい開いたその目に僕を、……いまは、いまだけは、僕だけを映していた。



「先輩が、人間関係の実験を、結社にやらされてるってこと」



 先輩は、いよいよ驚きにその目も口も見開いた。

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