ほんとは失恋しているくせに

「……なんの話ですか?」



 先輩は、ふわっと微笑んだ。



 ……動揺の、わかりやすいひとである。



 僕は一種意地悪く、腕時計のホログラムを出そうとした。

 ……昨日の証拠を出そうと思ったのだ。



 が。

 その必要すら、なかったようだ。





 理科室のドアが、ガラガラと開いて。

 当事者が、やってきてくれたからだ。




「天宮せーんぱいっ!」


 ……可鐘かがねミサキ。僕と同学年かつクラスメイトの、髪型ふわふわ女子である。




「きゃーっ、雨音先輩っ。きのうもメッセしましたけどーっ、葉隠はがくれ先輩とのこと、うまくいきましたーっ、ありがとうございますっ!」



 可鐘は歓声を上げながら、雨音先輩にぴょんっと抱き着いた。

 雨音先輩は困ったように、……でも、たしかに、笑っている。



 僕はポケットに手を入れながら、立ち上がった。



「あっ、木守だー。おっすおっす」

「おう、可鐘、おっす。どうしたんだよ。化学室に来るなんてさ」


 僕は、わかっていて――尋ねた。

 もちろん、……事情を知っていて、だ。



 可鐘は楽しそうに僕を指さした。



「木守は恋愛とか興味ないから知らないんでしょ!」

「いや興味くらいあるけど恋愛なんて」

「うそうそ! 興味ないって顔して歩いてるもん。知ってる? 天宮先輩の、この化学室。恋愛相談所としても、有名だってこと!」

「知ってるよ」

「えー、ほんとに?」


 もちろんだ。

 知っている。

 天宮先輩は、恋愛相談所をこの化学室で定期的に開催している。



 そして天宮先輩の化学室には、いつも男女問わず恋する乙女が集結する、というわけだ。



 ……それに加えて。

 可鐘が、ここに通って、先輩に相談していたことも知っている。



 なんのことはない。

 おんなじクラスで、教室で。あんなに、そのことで騒いでいたら。そりゃ聞きたくなかったとしたって、自然と耳に入ってくるものだ――。



「あのね、木守、……ふふっ、成就したんだから言っちゃお! クラスメイトのよしみだっ」

「おー、すばらしきクラスメイトのよしみ」

「気力ゼロかっ! あのね、……あのね、あたしね、サッカー部の二年生の、葉隠まこと先輩が、ずっと好きだったの。憧れてて……。それでね、雨宮先輩の実験がてら、協力してもらったら……」



 その名前が出た瞬間、……雨音先輩の雰囲気は、一気に変わった。

 ――ああ、先輩。あなたはほんとうに、わかりづらそうでいて、……とてもわかりやすいひとですよね。




「なんと! 恋が! かなっちゃったのでしたー! いえーい!」

「――よかった」


 すかさず言ったのは、先輩で。

 顔を上げて、満面の笑みをつくろうとする――その試みはどうやらすぐに成功したようだった。

 その顔があんまりにもあんまりにもあんまりにも、柔らかくて、わけ知り顔で、嬉しそうで、……だからこそ僕は、たぶん生涯トップレベルの湿り気をもって、先輩の顔を見ていた。



「ほんとうに、よかったですね、可鐘さん! 私にとっては、可鐘さんはそれはもうたいせつな後輩ですし、真くんも、いちおうは、その……幼馴染ですから。ほんとう、お似合いのおふたりで。私、これからも、可鐘さんたちの恋愛を応援させてもらっても、いいですか?」

「えっ、もちろんですよー! だって、私たち、雨音先輩がいたからこそ結ばれたんですよ? ……ほんと、雨音先輩、ありがとうございますっ!」

「いえいえ、よかったです、ほんとうに……」




 どこまで、完璧ぶるんだよ。





 葉隠真先輩のこと、好きだったくせに。

 ずっと、ずっと。

 あんなにも。

 幼馴染として、恋い焦がれていたくせに――。

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