第三章 コギト・エルゴ・スム 三



 一週間後この家でsakuyaにテストをすることを約束した陽向と巧望は、その準備をしつつ、テスト内容の相談のために度々電話をかけあっていた。

 一度はアメリカの研究所の人間を同席させる案も巧望から出たが、今の段階で第三者にsakuyaの存在を明らかにすることは望ましくないとの判断から、今回は二人だけで行なうことになったからだ。

「陽向、念のために確認しておきたいんだが、そもそも君は、sakuyaについての一体何をテストするつもりでいるんだい?」

 会話の中で巧望から唐突になされた質問に、陽向はしばらく頭をひねって考え込んだ。

「……心は脳の中のプログラムのようなもので、だから、理論的にはコンピューターに脳をコピーして、死後の生命の一形態を実現することは可能だと言い残した、朔也さんの真意を確かめたいの」

 脳はハードウェアで、意識や心はソフトウェアだというのは、単なる比喩にすぎない。実際には脳はコンピューターではないし、心はソフトウェアではないのもかかわらず、この比喩を現実のように主張するのは、いくら病床にあったからといって、朔也らしくないと思っていた。

「そしてsakuyaが主張するように、彼は本当に自ら考えて行動しているのか……リカバリーされた朔也の意識がそうさせているのか、知りたい」

 語っていくうちに気持ちを高ぶらせていく陽向。スマートフォンの向こうで、巧望がやれやれというような溜息をついた。

「陽向、落ち着けよ、陽向……君はテストするべき内容について、二つの性質の異なる問題を混同してしまっているようだが、それらは分けて考えるべきだ」

 相手が死んだ夫のこととなると感情的になるのは分かるけれどねと、巧望に軽くいなされて、陽向は恥ずかしさのあまり赤くなった。全く、これが電話越しでなかったらと思うと、ぞっとする。

「このテストの目的は大きく分けて二つある」

 陽向とは対照的に巧望は冷静そのものだった。

「まず、AIの中に意識活動が存在するのかをテストする。意識があると分かった場合、次にそれは自然発生した誰のものでもない意識なのか、あるいは、他人の意識をコピーなりアップロードなりしたものなのかを検証することにしよう」

 朔也の魂はどこにあるのか、陽向が一番知りたい謎は、つまり後回しだということだが、それも仕方がないと思った。

「いいわ。あなたの言う手順で実験を行ないましょう。まずはsakuyaにチューリングテストすればいいのね」

 チューリングテストとは、ある機械が『人工知能であるかどうか』を判断するためのテストのことだ。1950年に数学者アラン・チューリングが考案したことから名付けられた。

テストのやり方は昔からさほど変わっていない。人間の判定者が、彼とは別の一人の人間と一機の機械に対して通常の言語での会話を行う。この時人間も機械も人間らしく見えるように対応する。これらの参加者はそれぞれ隔離されている。判定者は、機械の言葉を音声に変換する能力に左右されることなく、その知性を判定するために、会話はたとえばキーボードとディスプレイのみといった、文字のみでの交信に制限しておく。判定者が、機械と人間との確実な区別ができなかった場合、この機械はテストに合格したことになる。

もっとも、sakuyaは会話能力の自然さについては既に証明してしまっているため、文字のみのやり取りとりの必要性はない。

相手が見えないようにして行なう本来の形式も、既に対面した後の状態では意味がなく、今回は、sakuyaと陽向が会話するのを巧望が観察し、さらにsakuyaと巧望の会話を陽向が観察するという形を取ることにした。

「sakuyaの姿を見ていない、つまり先入観のない第三者の判定は、このテストの記録を音声データとして提出して行なうつもりだ」

 Sakuyaに投げかける質問や話題の内容は、陽向と巧望がそれぞれ考えるが、それは一般的な常識から、ごく個人的な内容まで幅広いものに設定された。基本的なチューリングテストならば、sakuyaは既にパスしているも同然だからだ。

 そうして迎えたテスト当日。穏やかな天気の日曜の午後。一週間ぶりに現れた巧望が持ち込んだのは、集音マイクとカメラが数台、ノートパソコンが一台とシンプルなものだった。

 リビングのソファセットに実験者と向かい合う形で座らされたsakuyaの表情や仕草が記録できるようにカメラがセットされるのを、彼は神妙な顔つきで見守っている。

「心配?」

 陽向が問いかけると、sakuyaはふっと笑って、頭を左右に振った。

「毎日会って話をしている僕を今更質問責めにして、何か新しいことが分かるのだろうかと戸惑っているだけだよ」

「それはやってみなくては分からないでしょう? それに、私は気づかなくても、私達のやり取りを見ている巧望さんが気づくこともあるかも知れない」

 sakuyaは降参したように手を上げた。

「オーケー。君達が納得するまで、僕を調べ尽くすといい」

そうして、まずは陽向が先にsakuyaのテストを始めた。

「さあ、何でも聞いてくれ」

 開き直った態度で促すsakuyaに過度に感情移入しないよう努めながら、陽向は単純な質問から始めた。

「あなたの好きな食べ物はなんだったかしら?」

「ビター・チョコレートとうんと濃いコーヒーの組み合わせは最高だね。それから君が時々作ってくれたトマト味のパスタ……今はどれも食べられなくなってしまったのは残念だけれどね」

他にも朔也の好きな音楽、苦手なスポーツ。自分達だけしか知らない出来事――sakuyaはほぼ全てに正解したが、細かい部分はよく覚えていないとあやふやな解答をもいくつかあった。

「正解を思い出せなかったことで、僕は、本物ではないと判定されてしまうのかな?」

 陽向の顔に浮かんだ失望の色を読み取ったのか、sakuyaは心配そうに尋ねてくる。

「誕生日に贈った、心をこめたプレゼントの内容をとっさに思い出せないくらい、男にはしょっちゅうあることだよ、sakuya。これは正解率を求めるテストじゃない、君の反応を見るためのものだから、そこは安心してもいい」

 少し離れたダイニングの方から、やり取りを見守っている巧望が声をかけてくる。真面目な内容ならいいが、ふざけた茶々が入ることも多く、テストに集中できなくて、時々イライラさせられた。

「もっと面白い質問はないのかな、陽向」

 陽向は後ろを振り返って、パソコンのモニター越しに自分達を眺めている巧望を睨みつけた。おっかなそうに首をすくめる巧望。陽向は気を取り直して、sakuyaに向き直った。

「いいわ……この質問にしましょう」

 あらかじめ作成しておいたリストをめくって、陽向は言った。

「朔也が好きだった映画についての質問よ。私の家でホームステイをしていた時、ネット配信の古い映画を一緒に見たのを覚えているかしら……?」

 sakuyaの顔に懐かしそうな表情がうかんだ。

「スピルバーグの『A.I.』だね。勿論、覚えているよ、君が見たがったから付き合ったんだけれど、見ているうちに僕の方が物語に引き込まれてしまった」

 人間のために『愛』をプログラムされて作られた少年型ロボット、デイビット。彼は自分を起動させた母を愛するようになるが、人間の都合によって捨てられ、殺されそうになり、それでも母の愛をひたすらに求めて世界をさまよう。 

「あの映画のラストシーン、ふと傍らの朔也さんを振り返ると涙ぐんでいたの。びっくりして私が尋ねると、朔也さんは笑ってごまかしていたけれど、どうしてだと思う?」

sakuyaはすぐには答えなかった。昔の自分を振り返って、その心情を吟味しているように見えた。

「自分だけを愛してくれる子供が欲しい。そんな人間のエゴによって作られ、エゴによって捨てられたのに、母親を愛するようにプログラムされた少年はひたむきに彼女を愛し続けた。長い時間が過ぎ、やがて母親はいなくなり、それどころか人類そのものが滅んだ後も、変わらず、永遠にね。人間はたやすく変わるけれど、マシンは変われない、そのことがまだ幼かった僕の胸に響いたんだろうね」

 sakuyaの黒く澄んだ瞳でじっと見つめられ、陽向は奇妙にうろたえながら目を伏せた。陽向を愛するようにプラグラムされたsakuyaを、自分の都合によって利用したり、捨てたりする、そんな身勝手な人間にはなりたくない。

「……陽向、時間がないから、そろそろ次の質問に移ってくれ」

 そうだ、次の実験者として巧望が控えている。動揺を押し隠しながら、陽向は最後の質問をしようと口を開いた。

 柔らかく微笑んで己を励ますように頷くsakuyaの顔を見て、陽向は出かかった質問を飲みこみ、代わりに別のことを問いかけた。

「あなたが本当に朔也さんだというのなら、聞かせて欲しいことがあるの。どうして、双子の弟の巧望さんの存在を私に隠していたの……?」

 もしも朔也か生きてここにいたら、まっさきに問いただしたい疑問をAIに向かって投げかけてみた。

「それは――」

 sakuyaの黒い瞳が微かに揺らいだような気がした。陽向の背後にちらりと視線を投げかけ、それから思い切ったように口を開いた。

「巧望の話をすれば、陽向はきっと会いたがるだろう。だけど、弟を君に紹介することは僕にとってはずっと不安でしかなかったからだよ」

 どういうことなのかと問いただそうとする陽向の背後で、じっと息を殺して事の成り行きを見守っていた巧望が物音をたてた。

「僕達は世間一般の普通の兄弟ではなかったからね。それに、僕達が双子であることで混乱させ、傷つけてしまった人がいる」

 こみ上げてくる不安感を抑え込もうとするかのごとく上げた手で、陽向は己の胸元をそっと押さえた。こんな話、生前の朔也からは、ただの一度も聞いたことがなかった。

「傷つけたって、一体、誰のこと……?」

 そんな陽向に向かって、sakuyaはどこか哀しげな顔をしながらも、はっきりとこう言った。

「彼女の名前は、サラ・リンドバーグ。アメリカにいた時、僕の恋人だった女性だ」




気詰まりな空気が室内に漂っていた。

陽向がいた席に今は巧望が座って、ローテーブル越しにsakuyaと睨み合っている。さすがに初対面の時のような動揺は見せなくなった巧望だが、自分と同じ顔をした『兄の亡霊』と対話をするにはかなりの努力を要するようだ。

「……巧望さん、コーヒーを煎れるから、それを飲みながら話をしたら」

「さっき飲んだばかりだから、いいよ」

 緊張感に耐えきれなくなって発した陽向の提案は巧望にあっさり却下され、しょんぼりしたところに今度はsakuyaから声がかけられた。

「陽向、悪いんだけれど、席を外してもらえないか? 君がいるところでは僕も巧望も話がしにくいようだ」

 sakuyaにまで退けられた陽向はちょっと気色ばんで、ダイニングのテーブルに構えた自分の席から腰をうかせた。

「ちょっと待ってよ。これはあなた方兄弟の家族団らんではなく、テストなのよ」

 そんな陽向のもとに、ソファから立ち上がった巧望がやってきた。

「ごめん、陽向、sakuyaの言うとおり、少しの間だけ遠慮して欲しい。かなりプライベートな話に踏み込みそうだから……」

 陽向と朔也のプライベートな会話はしっかり聞いていたくせに、この男は自分のプライバシーは尊重して欲しいのか。内心憤慨しながらも、せっかくテストの機会を台無しにすることはできないので、陽向はおとなしく機材を二階の書斎に運び、そこからノートパソコン越しに彼らの会話を観察することにした。

「……後で、陽向には僕の方から謝っておくよ」

 カメラ越しにすまなそうに手を合わせてみせるsakuyaの態度に少し溜飲を下げながら、陽向は腕を組んで二人のやり取りを見守った。

巧望は、彼らの子供時代の出来事にまつわる質問から始めた。日本にいた頃かわいがってくれた祖父母のことや、幼稚園の先生、アメリカに行くまで飼っていた犬のこと――。

sakuyaの表情や話し方が自分に対する時のものとは少し違った印象になっていることに陽向は気がついた。堂々と落ち着いた態度でソファの背にもたれかかりながらも、少し気遣わしげな目をして、弟をじっと見守っている。兄としての久藤朔也の顔なのだろう。

 対する巧望は、被告席に座っている罪人のように緊張している。あの押しの強い男が、sakuyaを前にするとどうしてこうもおとなしくなるのか。これで、ちゃんとテストができるのか、陽向は不安になってきた。

「しっかりしてよ、巧望さん……このテスト、あなたがリードしてくれるんじゃなかったの……?」

 テストの無事な終了のために、陽向は先程のセッション終了後、素知らぬ態度をする巧望を問い詰めたい気持ちを必死で我慢したのだ。朔也の恋人だった人を、この兄弟が傷つけたというのは、本当なのか。一体何があったのか。

「巧望」

 次の質問に移ろうとする巧望を、ふいにsakuyaが遮った。

「よかったら、今度は、僕から君にいくつか質問させて欲しいんだが……」

 巧望は一瞬ぽかんとなった。チューリングテストの対象から逆に質問が返ってくる事態は、考えていなかったのだろうか。sakuyaに型通りのテストをすることの意味があるのか、急に疑わしくなってきた。

「君達から一方的に投げかけられる質問の嵐に答えるのには、僕も少し疲れてきたし、あまりフェアではないよね。僕の人間らしさを判定したいのなら、僕が質問してそれにおまえが答えようが、別にかまわないはずだ」

 陽向は手元にあったマイクを取り上げ、リビングにいる巧望達に向かって話しかけた。

「巧望さん、sakuyaの言うとおりにしましょう。彼からの質問にあなたが答えてあげて。それに対するレスポンスを私が観察して、彼の意識活動を判定するわ」

 巧望を緊張させているのは、sakuyaかAIだからではなく、生前の朔也との間に何か軋轢めいたものがあったからではないのか。そんな考えがふと頭をかすめる。

「巧望は僕のことをずっと嫌っていたよね?」

 気がついた時には、sakuyaが、いきなり核心を突くような問いを巧望に向けて発していた。

「嫌う? どうして、そんなことを……ああ、そうか、おまえは本当に兄貴になりきっているんだな。いいさ、化けの皮がはがれるまで、付き合ってやるよ」

 巧望は一瞬混乱したようだ。相手をただのプログラムとして扱うことに限界を覚えているが、かといって、兄そのものと捉えることにも抵抗があるのだろう。

「両親の離婚の遠因になったのは僕だという自覚はあるよ。そのことで、おまえにも辛い思いをさせてしまった……僕がこんなふうでなければ、僕の家族が壊れることはなかったかも知れない」

 巧望の目つきが鋭いものに変わった。触れられたくないものに無遠慮に触れられた怒りが、彼を返って平常心に立ち戻らせたようだ。

 膝の上に置いた手をぐっと握りしめ、彼は用心深く口を開いた。

「一体、何年前の話をしているんだよ……ああ、確かに兄さんには特別の才能があった。それを活かすために父さんは必死になりすぎたのかもしれない、俺や母さんを顧みなくなっていたのかもしれないけれど、別に兄さんのせいだなんて思っていないさ」

 巧望は、相手を『兄』として扱って話をすることに決めたようだ。その方がいい。sakuyaの人間性ばかりか、その意識が誰のものであるかの判定にもきっとつながるはずだ。

「そう言えば、朔也が生きている間に、こんな話をしたことはなかったな……ずっと気にかかっていた懸念を、自分そっくりに作ったAIに託していったのかい?」

「僕は何度も話そうとしたけれど、おまえはいつもうまくかわして、逃げてしまった……大人になって、再会してからも、巧望が腹の底で考えていることはついに分からなかった。昔はお互いを自分のことのように感じられたのにと思うと、寂しかったよ」

 巧望は一瞬黙り込んだ。真摯で真率なsakuyaの顔を見続けることに耐えられなくなったかのように顔を背け、固い声で言った。

「やめろよ。生きている兄貴がそんなことを言ったら、俺はきっと腹を立てるだろう。俺達はもう大人で、ちゃんとした一個の人間なんだ……兄貴が陽向と結婚したように、俺だって、いつかは自分だけの相手を見つけるさ。なあ、おまえが俺にしたい質問って、そんなくだらないものだけなのか?」

「いいや、巧望、ひとつ、おまえの本音を聞かせて欲しいことがある。……双子なのに、僕だけが『ギフト』を与えられたということに、嫉妬を覚えていたかい?」

 そよ風のような優しい声で語られたのは、あからさまな挑発だと陽向は感じたが、巧望に及ぼした効果は絶大だった。

「嫉妬? この俺が、兄貴の天才を妬んでいたなんて、馬鹿なことを言うな!」

 巧望は弾かれたようにソファから立ち上がり、自分を落ち着いて見上げている兄そっくりな相手に指先を突きつけ、激しい口調で言い返した。

「そうとも、化け物のような兄がいたおかげで、俺は親をあてにすることもなく、一人で人並み以上の人間になろうと努力してきた。朔也のような研究者にはならずに、ビジネスの道を選んだのも、俺にとっては正解だった。今の仕事は、俺に向いているし、心から満足しているとも……ここまで来られたのは、ある意味で朔也のおかげだと感謝したいくらいさ」

 ああ、巧望は感情的になりすぎている。これでは、全てsakuyaの思うとおりになってしまうではないか。そこまで考えて、sakuyaが意図的に巧望を翻弄しているのなら、その目的はなんだろうと考えた。

(いいえ、それよりも重要なことがあるわ。ここまで巧望さんを揺さぶるなんて……相手の心を理解していなければできないことよ。人の心を理解できるということは、人と同じ心があるからではないの……?)

 パソコンの画面には、疲れたようにソファに座り込んで頭を抱え込んでいる巧望とそれを気遣わしげに見守るsakuyaか映し出されていた。

「……朔也のそういうところ、俺は昔から大嫌いだったよ。優しげな聖人面をして、俺がちょっとでも気に入らない真似をすると、誰よりも厳しく、容赦なくなるんだ」

兄弟のやり取りを少しの間追い切れなかったようだ。いつの間にか、巧望は気持ちを落ち着け、若干恨みのこもった口調でsakuyaをなじっている。

「うん、巧望に嫌われていることは知っていた。それでも、僕はおまえを愛していたよ。物事に積極的で前向きで、初めて会った人にも物怖じしない態度でぐいぐい押していく、いつの間にか場の中心になってしまっているおまえを皆が見ている。そんな僕にはないものを持っている巧望が素直に羨ましかった」

 巧望は穴が開くのではないかと言うほどまじまじとsakuyaの顔を見つめた。何かを言い返そうとし、それから諦めたように頭を振って、ぽつりと呟いた。

「……それでも、サラのことでは、いつまでも俺を許さなかったな」

 朔也の昔の恋人だという女性の名前が巧望の口から出たことに、陽向の心臓が胸の中で大きく震えた。

「巧望だけが悪いわけじゃない。彼女が……心を病んだのは巧望のしたことがきっかけとなったのかもしれないけれど、側にいたのに支えられず、自殺を止められなかったのは僕の責任だよ」

 陽向の息がとまった。自殺? 朔也の愛した女性は、この兄弟のせいで、心を病んで自ら命を絶った?

「へえ、俺達二人の罪だってことかい」

 巧望はわずかに頬を震わせながら、皮肉っぽく笑った。その目は打ちのめされた人のように暗く沈んでいた。

「……まさか、そんな話を兄貴の遺した、ただのプログラムから聞かされるとは、夢にも思っていなかったよ」

 吐き捨てるように言った後、巧望はおもむろにソファから離れ、その姿は陽向が見ている画面の外に消えていった。

 一体、どうなるのかと見守っているうちに、物音が聞こえ、バッグとコートを腕に抱えた巧望がリビングを横切って玄関に向かう姿が映りこんだ。

「巧望さん!」

 陽向は慌てて書斎を飛び出し、玄関に続く階段を駆け下りるが、間に合わなかった。一言の挨拶もなくさっさと家を出て行った巧望は、そのままカーポートに止めてあった車に乗り込み、追いかけてくる陽向に一瞥もくれずに発進させた。

「待って、巧望さん、待ってよ!」

 巧望は立ち去ってしまった。持ち込んだ機材はそのまま家に放置して、この後にする予定だった、話し合いもすっかり忘れて――。

「信じられない、もう……一体、どうするつもりよ、この無責任男!」

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