第三章 コギト・エルゴ・スム 四


「本当に、すまなかった。この通り、心から謝るよ」

 散々の有様で終わったテストから、二日後。巧望によって呼び出された陽向は、future life labs社が六甲スマートシティ特区内にオフィス兼ショールームとして構えた建物の最上階にあるカフェテリアで、彼と会っていた。

 全面ガラス張りの店内は明るく開放的。人間のスタッフの数は極力押さえ、代わりにドローンが調理から給仕までを行なっているあたり、この会社のコンセプトが垣間見えた。

 そのうちに一般にも公開する予定だが、今のところ利用者は社員に限られるため、平日の午後の時間帯、陽向達以外の利用者はいなかった。

「いいえ、謝ってもらわなくても結構よ」

給仕ドローンが運んできたコーヒーを一口飲んで、陽向はとりつく島もない冷たい声で答えた。

「初対面のあなたを信頼して、一緒にsakuyaのテストをしようなんて提案した私が馬鹿だったの。それにしても、いくら死んだお兄さんにそっくりだからって、ただのプログラム相手にあんなに動揺して、ちょっと情けなすぎたわよね」

「それは――確かに、あれだけ自信満々な態度でテストを仕切ろうとしておきながら、あの体たらくでは、何と言われても仕方がないな」

 さすがに羞恥の念に駆られたのか、巧望はしょんぼりと肩を落とし、口惜しそうに言った。

「頭では、相手は精巧に作られたプログラムだと理解していたつもりなんだ。しかし、実際にsakuyaと相対してみると、まるで朔也兄さんと話しているようで、心がぐらついて……我ながら、こんなにも朔也に対する引け目や気後れに捕われていたのかと驚いたよ」

「sakuyaは、あなたにとって、彼を作った本人そのもののように感じられたということね?」

 陽向が念を押すと、巧望の顔に迷いの色が浮かんだ。しばらく考え込んだ後、慎重に言葉を選びながら答えた。

「兄貴そのものと言うより、俺が苦手だった部分が強調されている印象だったよ。確かに朔也の言いそうなことを言っていたけれど、生きていた頃の朔也なら、人が触れたがらない部分にあそこまで突っ込んだ内容を口に出さなかったとも思う」

「つまり――sakuyaは、一見朔也さんらしい振る舞いをしているけれど、同時に本物ならしないような発言や振る舞いもあったということ? 」

 陽向は、自分に対するsakuyaの態度を思い起こしたが、心当たりは見つからなかった。強いて言えば、生身の朔也が時には陽向に見せたかも知れない、小さな欠点が目立たなくなったことくらいだろうか。sakuyaは、心を病んでいた陽向に対して優しく、馬鹿げた真似をしても辛抱強く付き合ってくれた。もともと愛情深い人だったけれど、今のsakuyaは――陽向の幸せのために作られた理想化された夫のようだ。

「sakuyaは、本物の朔也さんとは違う……?」

 訳もない寒気を覚えて、思わず、陽向は身震いした。

「さあ……多少オリジナルと違うとは言っても、もともと人間の言動っていうのは複雑で、必ずしも首尾一貫はしていないものだ。機嫌が悪けりゃ、らしくもなく攻撃的になって相手を責めたりするくらいあるはずで、多少のイメージの乖離が見られるくらいは、むしろ自然なことなのかもしれない」

 ころりと変わる巧望の見方に、陽向は煙に巻かれた気がして、もどかしげにテーブルの上のナプキンをぎゅっと掴みしめた。

「いや、いくら考えても結論の出ない、こんな話をしても混乱するだけだな……陽向を呼んだのはテストの判定のためだったんだから、順序通りにやっていこう」

「それなら聞かせて、巧望さん。sakuyaが『人間』か、それとも『機械』なのか、チューリングテストの結果、あなたの判定はどちらになったの……?」

 単刀直入に追求してくる陽向を、巧望は朔也にそっくりな黒い瞳で値踏みでもするかのようにしばし見つめ、それから矛先をかわすように視線を逸らした。

「……このテストの音声データを外部の専門家に送った、その結果を先に話そう」

 巧望も、この二日間、ちゃんと仕事はしてくれていたらしい。彼から手渡された報告書にあった依頼者の名前には、陽向も知る著名なAGI研究者もいれば、実際ローブナー賞の主催するチューリングテストの大会で審判を務めたこともある精神科医や心理学者もいた。

「人間のふりをする機械の嘘を見抜くことに慣れた専門家達に、僕達とsakuyaの会話を編集したものと他の人工知能の実験時の音声データを併せて提出し、この中のどれが人間で、どれがプログラムなのかを判定してもらった。結果、sakuyaについては五人中五人が百パーセント人間だと判定した。勿論、正解は審判には伝えていないよ、真実を知ったら、大騒ぎになること間違いなしだからね」

  文字のやり取りによるチューリングテストをパスした人工知能は、何例か出ているが、音声による会話でテストした場合、その不自然さを克服できたプログラムは今まで例がなかった。これは正式なテストではないけれど、それでも画期的なことだ。

「私達のような先入観のない、専門的な知識を持った審判が全員、sakuyaを『人間』だと言ったのね。それなら、あのAIには本当に……朔也の心が、意識が宿っているということ…?」

陽向は、己を探るように見ている巧望に向かって、そう問いかけた。気持ちの高ぶりを必死に押さえようとしながらも、その声は震え、瞳は狂おしい期待感に輝いていた。

「落ち着けよ、陽向」

そんな彼女をなだめるように、巧望が言い返した。

「いいか……チューリングテストはもともと、マシンがどこまで人間らしく『振る舞える』かを判定することが目的のテストなんだ。プログラムに人間の意識が宿っているかが、それによって分かるわけではない」

陽向は何度も目をしばたたいた後、いやに神妙な面持ちをしている巧望を戸惑いながら眺めた。

「あなたは私に言ったわよね、先にsakuyaに中に意識活動があるのかを判定し、それが確認できたら、改めて、その意識が誰のものかを調べるって……それなのに、私達の行なったテストでは、sakuyaの意識活動の証明にはならないというの?」

 やっとの思いで、そう問いかけた。

「ああ、確かに言ったよ。チューリングテストは、AIの知能や人間らしさを判定できる、今でも唯一の手段と思ったから、今回も採用した。このテストで、sakuyaがひとつでも決定的なボロを出せば、彼の意識がどこから来たものかなんて面倒なことを調べなくてもすむはずだったんだ。sakuyaは、俺の予想以上にうまくやりすぎたんだよ……審判を全員騙してしまうなんて、全く……彼は素晴らしい、いや素晴らしいのは彼を作った兄さんなのかな」

降参するように両手を上げる巧望を、陽向は厳しい目で睨み付けた。

「あなたは、sakuyaがチューリングテストをパスするかどうかを見たいがために、私をうまく言いくるめてだましたのね」

「騙したわけじゃないが、どんなテストをしても、君の期待通りの結果は出せないとは最初から思っていたよ。いいか、陽向、君はsakuyaに本物の意識が宿っているとすれば、それは死んだ夫のものに違いないと心のどこかで信じているんだ。研究者として、AIが意識を持つことなどありえないと理性では否定しながら、その願いが君の目を曇らせてしまっている」

侮辱されたと感じて、陽向の顔がさっと朱の色に染まった。

「僕自身は、正直、sakuyaに意識があるのかどうかはさほど重要視していない。なぜなら、それを立証することは不可能だからだ」

 陽向が火のような目でにらんでも、巧望は全く応えていないようで、流暢に回る口で語り続けた。

「我思う故に我あり(コギト・エルゴ・スム)。デカルトは、自分を含めた世界の全てが虚偽だとしても、まさにそのように疑っている意識作用が確実であるならば、そう意識している我だけはその存在を疑い得ないとした。もしも、あのAIがプログラマーから与えられた指示を超えて己の自由意志で考え、行動することができるのならば、そこには心が存在するはずだ。しかし、彼に意識があるのかないのかは、本人以外誰にも分からない。人間のような意識はなく、sakuyaが見せる感情は電気的反応の集合体なのかもしれないが、それを我々が証明するすべはないんだ」

 反論することもできず呆然と耳を傾けている陽向を、巧望はちょっと哀れむような目で眺めた。

「AIの研究者は皆、哲学を学ぶべきだな。そうすれば心を持つ人工知能を作ることの困難さが分かるようになる」

そう嘯いて、巧望は更に、『哲学的ゾンビ』のたとえ話もしてくれた。

「人間そっくりなゾンビが人々に紛れ込んで暮らしている町があると思ってくれ」

彼らは人間と同じように仕事をし、遊びに行き、家族や恋人もいる。笑いもすれば、怒りもするし、哲学についての議論もする。本物の人間との唯一の違いは、考えているように見えるだけで、本当は何も考えていないというところだ。怒りも楽しみもない。針で突けば痛いと叫ぶが、実際には痛みなど感じていない。意識を持たない、彼らのような哲学的ゾンビの存在を人間は区別することができるか。答えは否だ。

話に耳を傾けているうちに、これはインテリジェントコンピューターの比喩なのだと、陽向にも分かってきた。哲学的ゾンビも同じようにチューリングテストをパスするだろうが、本当は意識がない。知能があるふりをするかもしれないが、実際には自分の答えや行動に対する自己認識がない。

「人間の意識には、客観的に確認できない何かがあるというのね。私が私であることが分かるのは私だけ。sakuyaが自分をどう感じているのか、私達にはそもそも確かめようがなかったのよ」

 うつむいて、低い声で自分に向かって語りかけるかのように呟く陽向を、巧望は凝然と眺めていた。その顔は、陽向が見たら、人を自分の利益のための駒としか考えていない打算的な人間だと評しそうな冷静さだったが、物思わしげな瞳には少しばかりの気遣いが漂っていた。

「陽向、俺の言ったことが、君をがっかりさせたのなら、心からすまないと思うよ、でも――」

 陽向があんまり長い間黙り込んでいるので、ついに、巧望がこらえきれなくなったかのように口を開いた、その時――。

「でも、だからと言って、それはsakuyaが自己認識を持っていないことの証明にもならないわよね」

 陽向は顔を上げると、巧望が思わず怯むような強い口調で言い返してきた。

「そもそも私達は、自分以外の人間の心を、その人の言葉や表情、行動によってしか判断できないのよ。相手が本当のところ、どう感じているかは、その人自身にしか分からないのだわ。巧望さん、もしもあなたが本当は『哲学的ゾンビ』だったとしても、確かめようがないのなら、sakuyaと一体何が違うというの? 」

 自分の心から溢れ出る言葉に突き動かされるように、陽向はぎゅっと拳を握りしめたまま、椅子から立ち上がった。

「おいおい、俺はsakuyaと違って、ちゃんと生身のある人間だぞ」

 巧望は幾分慌てた素振りで、椅子から半ば腰を浮かせて、興奮気味の陽向をなだめにかかった。彼がとっさに陽向の腕をつかんだ途端、彼女は戦いたようにその手を振りほどいた。

「陽向……」

 少し傷ついたような顔をする、朔也そっくりな男から、陽向は顔を背け、弱々しい声で呟いた。

「……そうね、身体性の欠如が、彼を決して人間とは――朔也さんとは認められない理由の一つなんだわ」

 巧望の手は、もうずっと触っていない、亡き夫の手の感触に恐いくらいにそっくりだった。思い出すだけで、涙ぐみそうになるくらいに、今でも朔也が恋しい。

 己の動揺を巧望に気取られないよう用心しながら、陽向は付け加える。

「ごめんなさい、私、感情がまだうまくコントロールできないみたい……」

 おとなしく椅子に座り直す陽向に、巧望も安心したようだ。席に備え付けられたパネルを通じてコーヒーのお代わりを注文しながら、彼の好きな哲学の話の続きをしている。

 曰く、中国語の部屋という思考実験は、哲学者ジョン・サールがチューリングテストに対する反論として提出したものだ。彼は、理解していない記号を単に処理しているだけでもプログラムはチューリングテストに合格できると述べた。理解していないのならば、人間がやっているのと同じ意味で『思考』しているとはいえない。したがって、チューリングテストは機械が思考できるということを証明するものではないと結論している。

(巧望さんにとって、sakuyaが意識を持つかはどうでもいいのね。チューリングテストに完璧にパスしたことで、真の汎用型人工知能として公表するには十分だと思っている)

sakuyaがチューリングテストをパスするくらい人間らしい反応ができるAIだと分かったことで満足している巧望には、陽向の落胆の深さは決して理解できないだろう。

意識があるかを確認するすべはないのなら、sakuyaの中にいるのが朔也の心なのだということも永遠に証明できないのだ。

(たぶん、巧望さんの言っていることは正しい。証明できないものに固執なんかせずに、多くの研究者達がシンギュラリティとして目指してきた、汎用型人工知能としての能力を十分に備えたsakuyaを今後社会のためにどう役立てていくのかを考えるべきなのだろうけれど……それだけでは、私は満足できない。朔也さんへの思慕だけじゃない、汎用型人工知能の一研究者として、どうしてもsakuyaの中にあるものを確かめずにはいられない)

幼い頃から、いつか人間の真の友となってくれる心を持ったAIを作りたいと希求し続けてきた。陽向にとって、これは魂の深い部分に根ざした願いなのかもしれない。

陽向が自分の内面に深く潜ってひたすらに思索にふけっている間、一方の巧望はもっと現実的な観点から考え出した己のプランを熱心にかき口説いていた。

「……他の幹部とも協議をしなくてはならないが、できるだけ早いうちに、sakuyaを使った新しいビジネスモデルを作りたい。……スマートホームの枠を超えた、人間の暮らしを大きく変える、画期的な商品となるだろう。もう少し具体的な形になったら、陽向にも是非協力してもらいたいんだ……」

しかし、それらの言葉は何の意味もない単語の羅列のようにとか捉えられず、陽向の心の外側を滑り落ちていくだけだった。

 そのうち、巧望も陽向が上の空であることに気づいたようだ。

「陽向……おい、陽向……!」

 強い口調で名前を呼ばれて、陽向はやっと我に返った。今初めて見るかのような目つきで自分を見返す彼女に、巧望はやれやれというように肩をすくめた。

「しっかりしてくれよ……陽向の今後の生活にも関わる話なんだぞ。兄さんの遺志を尊重して、sakuyaのことは、できれば今後も陽向に任せたいと俺は思っているんだ。しかし、社の他の幹部がどう考えるかは分からない……協力的な態度を見せてくれた方が、俺もやりやすいんだ」

 胸のうちにわだかまる不安を見透かすような巧望の口ぶりに、あおられた陽向は思わず彼を睨み付けた。

「何だか、強請られているような気がするけれど、私の気のせいかしら……?」

 巧望は胸の前で両手の指をピラミッドの形に合わせながら、拒絶できるものならしてみろとでもいうような不敵な笑みを浮かべた。

「勿論、君の気のせいだよ。俺は君の味方だと信じて欲しい」

 ああ、この人はやはり朔也とは違うのだ――姿形がどんなに似通っていても、朔也なら、決して、こんなふうに陽向を追い詰めるような真似はしない。

「……巧望さん、昔、朔也さんと恋人を取り合ったというのは、本当なの?」

 こんなことを唐突に聞いてくる陽向に、巧望は戸惑ったように目をパチパチさせた。

 テストの際にsakuyaが持ち出した兄弟の過去――朔也の昔の恋人が巧望のしたことがきっかけで心を病んだという話を、陽向は勿論忘れてはいなかった。

「何だ、サラのことを言っているのか……あのテストの後、sakuyaには尋ねなかったのか? あいつならきっと、陽向の納得する答えをくれただろうに……」

 どこまでも強気な巧望が怯むあたり、これはやはり、彼にとってあまり触れられたくない過去なのだろう。

「ええ、sakuyaに尋ねることもできたわ。でも、彼をテストにかけて、その判定をしようという時に、朔也さんの過去にあったことを聞いたところで、どう受け止めたらいいか分からないでしょう。私はあなたに聞きたいのよ、巧望さん……朔也さんが昔付き合っていたサラという女性に、あなたは一体何をしたの……?」

 巧望は少しばかり居心地悪そうに身じろぎしたが、陽向が追求を諦める気がないことを悟ったのだろう、投げやりな口調で白状した。

「俺達が十九歳の時の話だよ……スタンフォード大学の人工知能研究所に在籍していた朔也が当時付き合っていたのが、三歳年上の職員サラ・リンドバーグだった。美人で勝ち気で、頭がよくて……そう言えば、雰囲気が陽向に少し似ていたかな。紹介された瞬間に俺が彼女に惹かれたことは否定しない……朔也が好きなものは、どうしたことか俺も必ず好きになってしまうんだ」

 僅かに顔をこわばらせる陽向にうかがうような視線を投げかけ、巧望は皮肉っぽく唇を歪めた。

「だから、サラを朔也と取り合った――というか、兄貴の彼女を、俺が朔也のふりをして寝取ったんだよ。どうせ途中でばれると思っていたんだ……そうしたら、悪ふざけが過ぎたと謝って立ち去るつもりでさ……ところが、彼女、最後まで気がつかなかった」

 何を思いだしたのか、巧望は端正な眉をしかめ、唇をきゅっと噛みしめた。

「事が発覚した後、普段は温和な朔也が激怒してさ。俺はぼろぼろになるまで殴られたよ。朔也は、俺のしたことを自分に対するあてつけだと思ったんだ。当時の俺は、優秀すぎる兄に対するコンプレックスの塊で、かなり屈折した感情を彼に抱いていたから、そう思われても仕方がなかった。確かに、そこまでサラのことが好きだったかと追求されると俺も自信がない。でもさ、朔也も変わっているよな……もしも俺がサラを好きなら許したかも知れないって言うんだ。ただ、俺が彼女を利用し、その自尊心を踏みにじったことが許せなかったんだ」

 巧望は神経質に上げた手で、己の顎のあたりをしきりに撫でながら、言葉を続けた。

「俺はそのことで朔也から絶縁を宣告されたから、後は人づてにしか知らないんだが、彼は結局サラとは別れてしまった。それからしばらく経って朔也は日本に行き……サラが自殺をしたという知らせは、彼からのメールで俺にも知らされた。俺達と関係があるのかないのか分からない……仕事でのトラブルがあった直後だったらしいが、朔也と別れてから精神的に不安定だったという話もあった……そんなこともあって、アメリカでの生活に疲れ果てた朔也は、居心地のいい日本に定着することに決めたんだろうな」

 すっかり冷めてしまったコーヒーのカップを取り上げ、一息に飲み干す巧望。陽向はと言えば、そんな彼にかけるべき言葉が見つからず、呆然と見守ることしかできないでいた。

「陽向、これで朔也が俺を君に会わせたがらなかった理由が分かっただろう」

 ごくさりげない口調で話しかけてくる巧望を、陽向は警戒心もあらわな目で睨み付けた。

「俺は、いつも朔也と同じものを好きになって、どうしても手に入れたくなる……もしも、君に会わせたりしたら、可愛そうなサラと同じ目にはあわされるんじゃないかって気が気でなくなるからさ」

 少しは自己弁護してもいいものを、巧望には、必要以上に偽悪的にふるまう性癖でもあるのだろうか。いずれにしろ、今の話を聞いて、陽向が巧望に対して、好意を維持するのは不可能になった。

「最低……!」

陽向は軽蔑しきった冷たい一瞥を巧望にくれて、席から立ち上がった。震える手でバッグを取り上げ、足早にテーブルを離れていく彼女の背に、巧望の切迫した声が追ってきた。

「陽向! 俺は諦めない……朔也が遺したものは何であれ、全て俺が引き受ける。君のことも、きっと――」

 朔也と同じ声が陽向の鼓膜を心地よく震わせ、その引力が足を止めさせようとする。それら全てを拒むように両手で耳を塞いで、陽向は逃げた。

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