魔術都市、祖の吸血鬼。七十二の墓場で墓守は思案する。
世界は一度崩壊している。それは、一日が二十四時間だという事や、僕に兄がいたという事と同じくらい不確かなものだ。
墓守りの仕事は忙しい。子どもがふざけて入らないように見掛け倒しの大鎌を担いで、死者に敬意を表す為に喪服に身を包んで、七十二の墓所を訪れる。幸いにも足はあるが、普通の町民にー怖がられるから面倒だ。
『ディア、あれは生者ですね』
ラックがそう言ってヒヒンと鳴く。
暮石の一つに寄り掛かって死んだように眠る少年がいた。近づくとかなりボロボロになっている事が分かる。
「もし、もし。大丈夫ですか」
軽く揺すると長い睫毛が開かれる。その下にある赤い目で彼の正体に気づいた。
吸血鬼だ。瞳孔の色がほんのりと赤いし、白目の部分が黒く濁っている。何日も血を飲んでいないのだろう。見た目からして成長期、正しい食事を摂らないと元が脆い吸血鬼はすぐに死にかける。
腕を捲って少年の口に近づける。
「飲みなさい」
「…………」
「遠慮せずに。さぁ」
そう言っても少年は牙を出さない。
仕方がない。懐からナイフを出して、一思いに腕を切る。
少年の顎を掴んで無理矢理口を開けさせる。赤い血が少しずつ口の中に落ちていく。が、すぐに手を払われて、血が吐き出される。
「なぜ飲まない! そんなにも死にたいのか!」
「…………ボクは、化け物じゃない」
ギィと赤い目がこちらを睨む。
成る程、大体理解できた。この少年は後天的な吸血鬼なんだ。しかも、ほぼ無理強いの。そこになんの事情があるのかは知らないが……それでも、食事は摂らせないと。
少年を抱え、ラックに背負わせる。
「先に戻っていてくれ。清掃をしてから戻る」
『この子はどうすれば良いですかね?』
「イーズに吸血鬼だと言って頼め。あいつなら一通りできる筈だ」
『分かりました! そういう事なら俺の出番ですね!』
ヒヒンと一鳴き、少年の言葉を聞かずにラックは走り去って行く。
息を吐く。腕の傷は既に止まった、仕事に支障はない。鎌を背負って墓所を徘徊する。
#####
家に戻ると言いつけた通りイーズが働いていた。犬が二足で立っているのはいつ見ても面白い。
『あ、ディア! 酷いよ!』
「だが、仕事を放っておく訳にはいかない」
『そんなの僕がするのにぃ……少なくとも料理よりは得意だよ』
「イーズには任せられない」
チョコンと行儀良く座っている少年は、目の前のトマトスープに手をつけない。
向かいに座る。イーズの批判が聞こえるが無視。
「食べませんか? 美味しいですよ」
「……血、だろ」
「違います。ちゃんと、うちの畑で作ったトマトです」
匙で掬って自分の口に入れる。また掬って、少年に向けて、
「ほら。美味しいですよ」
「…………」
「大丈夫。変なものはいれれませんよ。家事ができるって言っても、犬なので不器用なんです、あの子」
少年の視線が匙とこちらを行ったり来たりして……最後に、パクリと、匙を口に含んだ。
「ね、美味しいでしょう?」
「…………」
「全部食べて良いですよ。これも墓守の仕事ですから」
そう言うと少年の手が匙を掴んで、自分の手でスープを食べていく。
トマト、赤ワインと言った赤色の食べ物は、効率は落ちるが血の代用となる。それが発見されたのはつい三十年前だが、発見したのは吸血鬼本人、十分信用できる情報だろう。
安心する私にイーズが来る。
『ディア、僕不器用じゃないよ? 毒くらい盛れるよ?』
「はいはい分かった分かった」
『分かってないだろ……あ、でもね、パンは作れない。僕、犬だから……生地は作ったし、オーブンに入れたけどね、出せない』
ああ、そうか。イーズはミトンで物を取れないし、熱々の鉄板をそのまま持てない。
仕方ないので私が取り出し、できたてのパンを少年の前に置く。
「これも。スープだけだと飽きるでしょう?」
『ディア! 僕も、僕も!』
『あ、俺の出番ですね!?』
騒がしい二匹の口にも押し込む。モグモグと咀嚼している間は、流石のこいつらも喋れない。
ため息を吐いていると、少年がこちらを見ていた。視線を向けると恥ずかしそうに視線を逸らす。
「どうかしましたか?」
「…………馬」
「ああ。ラックはコシュタ・バワー、デュラハンの馬なんです。本当は首はないのですが……」
ラックには、デュラハン本人のように首がある。しかしデュラハン本人のように抱えられないから無理矢理縫いつけてあるのだ。
「……変わってる」
『そうですね! 俺ですからね!』
嬉しそうにヒヒンと鳴いてラックは二つ目のパンを要求する。口に押し込むと、パカラパカラとそのままどこかに行ってしまった。
食事を終えて少年は眠ってしまった。ベッドに持って行ってキッチンに戻ると、イーズが不満そうにワンと鳴く。
皿を洗っている間、ずっと足元でイーズが吠える。
「なんだ。言いたい事はさっさと言え」
『ディア。あの子、吸血鬼だよ? 大丈夫?』
「何を心配してるんだ。墓守から見れば全て同じ、いずれ死ぬ者だ」
『でもね、ディア。あの子、死なないよ?』
手が止まる。
イーズが赤の目を丸く開いたまま、続きを言う。
『あの子、祖の眷属だ』
「祖、の……どの祖だ!? アーベントか!? マナか!?」
『どっちも違う。でも、どっちも合ってる』
「まさか…………吸血鬼の、大元? 高祖?」
『そう。あれは高祖の眷属、つまり、新しい祖だ』
「…………」
『今すぐ殺すべきだよ、ディア。あれはいずれ、人間を殺す』
それは私にはできない。私はただの墓守であって、人殺しではない。
ああ、でも、そうか……チャーチグリムであるイーズには、それができる。
「まさか、お前」
チャーチグリムは、ブラックドッグはその姿を見た者を殺すという。厳密に言えば正しくないが、殺せるというのは事実だ。
息を吸い、吐く。
「……馬鹿を言うな。祖だろうが何だろうが、死ぬべきでない者を殺す事はできない」
『でも、ディア、』
「仕事に戻れ。……二度言わせるなよ?」
皿洗いに戻る。
しばらくして、イーズの去る足音がした。
……確かに、祖の吸血鬼は恐ろしい存在だ。いや、祖の鬼自体が恐ろしい存在だ。
食事をせずとも死ぬ事はなく、弱体化しようとも人間よりもはるかに強い。永遠を生き、故に人間の常識が通じない。それはどの不老不死にも言える事だが、吸血鬼はその中でも恐ろしい部類だ。
「血を吸うという事は、人を襲うという事だ。それでもお前は、殺さないのか?」
姿見を前に、自分自身に問うてみる。
「人を襲う恐怖を、暮石の下に押し込める……それが、お前の仕事だろう? それでも、殺さないというのか?」
「…………ああ」
姿見の親愛なる
「彼も人だ。人を殺してはならない」
「つまり、お前は殺人鬼も許すという事か?」
「ああ。それが人である限り、私は殺さない。死の前に全ては平等だ。根っからの悪人も、聖人君子も、魂の価値は変わらない」
「…………」
「それに。街中で人と共存する吸血鬼も存在する。なら、祖だろうが何だろうが、共存できる筈だ。前例がいるのだもの」
「……なら、できなかったら?」
「させる。私が、できるようにする」
ああ、決まった。問う事はない。
姿見に布を被せる。
廊下を歩きながらイーズを呼ぶ。
『あの子、家族みんな死んでるよ』
「分かった。なら、ここで育てる。それなら良いだろう?」
『……もしも、ディアが死んだら?』
面白い事を言う。思わず笑って、私は答えた。
「死ぬものか。私は__________だぞ? そう易々と死んでたまるか」
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