ミンナ、イナクナッテシマエ
大嫌い。
その言葉を聞いた瞬間、俺の目の前が真っ白になった。
何が起こっているのか全く分からなかった。俺はなりふり構わず、その場から一秒でも早く逃げ出すことしか出来なかった。
恐らくだが、その時廊下にあったゴミ箱かなにかを派手に倒したのだろう。
大きな物音がして、後方から叫ぶような、悲鳴のような声が聞こえた気がしたのもそのせいだ。そこからは、よく覚えていない。
俺の頭の中は、さっちゃんの言ったことがぐるぐると渦巻いて、ただ一つの言葉が繰り返し浮かんでは消えていた。
――ユルセナイ。
何を、誰を、何故ユルセナイのか。俺はどうしてやりたかったのか。
――ミンナ、キエテシマエ。
どす黒い何かが俺の心に取り付いていた。結局それが何だったのかは、未だに分からない。
曖昧な記憶で申し訳ないが、その日俺はなんとか家に辿り着くと、机に置いてある五百円玉をポケットにねじ込んでそのまま眠ってしまったような気がする。
ただ、はっきりとした事実として分かっていることが一つだけある。
それは、次の日になって発覚した。律儀なことに、翌日も俺は学校に行った。もしかしたらアレは何かの間違いだったかもしれないと、淡い期待を抱いていたせいだろう。
その日、教室に入るなりクラス中が酷くザワザワしていたことをよく覚えている。
何故か窓ガラスの一部が割れており、そこにダンボールが窓の代わりにガムテープで固定されていたのが印象的だった。
朝のホームルームの時間になり、担当の先生が入ってきてから小五月蝿い教室は漸く静かになった。いつもは先生の話を注意して聞く生徒なんていなかったように思うが、その日は何故だかみんながみんな先生の言うことに注目しているようだった。
一瞬のようで、妙に長く感じる静寂。先生は何か言いづらそうに咳払いをしたあと、信じがたい一言を言ってのけたのだ。
「えー、皆さんに悲しいお知らせがあります。もう知っている人もいるかもしれませんが……昨日、
クラス中が大きくどよめく。朝のホームルームで伝えられる内容にしては、あまりに大きすぎる衝撃だった。俺は先生の言っていることが理解できず、その言葉の意味をひとり模索していた。
さっちゃんが、ナクナッタ? 死んだ?
あり得ない。だって、俺は見ていたから。昨日、彼女は。
この教室で、あんなに――残酷な笑顔を浮かべていたじゃないか。
「……ウッ!!」
「おい! 野呂井、何処に――」
俺は猛烈な吐き気に襲われて、唐突に立ち上がると先生の制止も無視してその場から走り去った。無我夢中でトイレに駆け込み、こみ上げてきた胃液を便器にぶちまける。
「はぁ、はぁ、はぁ」
息も絶え絶えに、トイレのレバーを捻って己の吐瀉物を流す。
水が渦巻いて徐々に綺麗になっていく様を見ながら、このままこのどす黒い感情も流れていってしまえば良いのにと思った。だが、それは俺から出ていかない。消えてくれない。
どうしてだろう。一瞬だったけど、俺は思ってしまった。
――ざまぁみろ、と。
これは後から知ったことだが、クラスメイトの噂によると。さっちゃんはあの日、教室から突然窓ガラスを突き破って飛び出し、そのまま落ちていったらしい。
死因は、頭部から落下したことによる転落死。
その後クラス全員が警察からの事情聴取も受けたが、状況が状況だっただけに自殺ということで事件は片付けられた。大した証拠も無く、実際にその現場に居合わせた同級生の一言が決め手だったらしい。
ただ、不可解なのは。さっちゃんは自分で窓ガラスを突き破ったというより、まるで何かに背中から突き飛ばされたようだった――ということだ。
クラスメートの死という、唐突にやってきた事件。それは俺たちの心に大きな傷跡を残し、中学二年生の三学期は終わりを迎えた。
しかし、どんな時でも時間というものは通常通り進むもので、俺たちはそのまま春休みを迎えることになる。
……それからだ。俺をいじめていた奴らが、軒並み不幸な事故にあっていったのは。
春休みに入ってすぐのこと。まずは、俺をいじめていた主犯格の男子が脇見運転のトラックに轢かれて死亡した。
数日後、また別の男子が川に転落し溺ぼれて死亡。また別の日は、ある女子生徒の頭上に植木鉢が落ちてきて頭を強く打って死亡。また別の生徒は、タバコの火の不始末で焼死。食べ物が喉に詰まって窒息死。駅のホームから落ちて電車と衝突死。
次々に起こる、謎の死亡事故。春休みが終わる頃には、クラスメートの数は半分になっていた。
死亡していた生徒の共通点として、“俺のいじめに関わっていた”ということから
そいつはまるで「お前がやったんだろう」とでも言いたげな目をした、胡散臭いおっさんだ。茂木刑事は俺に対し、根掘り葉掘り死亡した生徒たちの関係性や死亡事故について細かく説明や質問をした。
連日連夜、俺のところへ来ては事情聴取をする茂木刑事。初めは普通に対応していた俺も、決めつけるような物言いをする相手に辟易としていた。
俺は春休み中、普通に生活をしていただけだ。疑われるような謂れがあるわけもなく、流石にイライラしていた。
一度、その茂木刑事が鉄哉さんの在宅時に来てしまったことがあった。
後ろめたいことでもあるんだろうが、鉄哉さんは警察関係者が大嫌いである。その日、機嫌を損ねた彼に俺はしこたま殴られることになった。
「お前みたいな奴、生きている価値がない」
「なんだその目つきは! 気持ちが悪い!」
「死ね!! 死んじまえ!!」
殴られたり蹴られたりしながら、色々と酷いことを言われた。俺はその時思った。あぁ、俺の周囲には俺のことを疎ましく思う人しかいないんだな、と。
俺がそんな扱いを受けていても、ゴミでも見るかのような眼で俺を見下ろす母親にもひどい嫌悪感を覚えた。
食い下がるように聴取を続ける茂木刑事。散々暴力を奮ってきた鉄哉さん。どんなに助けを求めても一切応じてくれなかった母親。
どいつもこいつも、
鉄哉さんと母親が連れ添ってどこかに消えた後、俺は洗面所で切れた口の中を洗っていた。
うがいをし、吐き出した水が赤く色づいていた。排水口に流れていく血と水を眺めながら、俺は思った。
――ミンナ、イナクナッテシマエ。
この時鏡に写った自分の表情が、とんでもなく恐ろしい眼をしていたことをよく覚えている。
結論からいえば、茂木刑事も鉄哉さんも母親も、結局その日本当に姿を消してしまうことになる。
母親と鉄哉さんは、乗っていた車のブレーキが故障し壁に突っ込んで圧死したのだ。
茂木刑事はというと、なんとその事故に巻き込まれて死亡したとのことだ。随分と呆気なかったが、俺は肉親が死んでも涙一つ出なかった。
一応葬式は開かれたが、身内が死んだというのに俺の淡々とした態度を見て親戚一同は俺のことをひどく不気味がった。
そうして身寄りの無くなった俺は、認知症でちょっとだけボケている祖母の家に預けられることになったわけだ。
いくらなんでもこれだけ俺の周りで人が死に続ければ他人は俺のことを不審に思い、近づかなくなる。状況を把握していない祖母だけは俺にとても良くしてくれたが、俺は敢えて距離を取るようにしていた。
俺は、運が悪い。余りある不幸というのは、周囲にまで影響を及ぼすと聞いたことがある。
もしかすると俺が“みんな消えてしまえ”なんて思ったから、この結果があるのかもしれない。証拠もないし、妙な偶然が続いただけかもしれない。しかし俺は、もう深く他人と関わってはいけないのだと理解することにした。
それからというもの。俺は俺の不幸を自分の中だけで留めるために、できるだけ他人と接触しないように生きてきた。
余り暗くいてもイジメのターゲットになってしまうので、自分を取り繕って周囲に合わせながらも友人はつくらないように。
高校は、できるだけ地元から遠い高校(最も第一志望は落としたが)を選んだ。知らない人間ばかりの環境にいっても、ひたすら目立たないように過ごしてきた。
そういうわけで、俺には友人が一人もいない。こんな体質で他人に迷惑をかけるわけにはいかない。
俺が事なかれ主義になったのは、そういう理由があるのだ。
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