042.義父の願い

会合を終えて、私は用意されていた部屋を出た。

祖母の部屋に向かう為に。


廊下を歩いていると、アレクシア様が正面から歩いて来るのが見えた。

カーテシーをすると、笑顔を向けられる。


「ミチル、貴女も散歩ですか?」


……散歩……?


「……いえ」


「良かったら少し、話をしたいのだけれど……」


「用事がありますので、ご遠慮致します」


かなり無礼な事を言ってるのは自覚がある。

普通ならアレクシア様の後ろに控えている二人の侍従が私の無礼を嗜める。でも、眉さえ顰めない。


皇嗣殿下の孫である私。このままいけば、私が女皇になる。だから、侍従達は何も言わないのだ。

彼等は権力の流れに敏感だ。誤れば自分が不遇な立場に置かれる事を良く分かっているから。


「そう……」


哀しそうに微笑んでアレクシア様は立ち去った。後ろ姿に向けて頭をしばらく下げる。


「いいの? ミチルちゃんにしては随分はっきりと拒絶したけど」


「……今の口振りからして、イリダとの戦いを、正しく認識してらっしゃらないように見えたの」


話などしている余裕が、マグダレナにあるのだろうか?

滅びの祈りでしかイリダを排除出来ないかも知れないと言うのに。

それなのに、散歩?


「フィオニアは、変わらずなのでしょう?」


そうね、とセラは伏せ目がちに答えた。

アレクシア様は、今回の事が終われば退位し、フィオニアの側に名実ともにいられるのだろう。

とは言え、フィオニアの現状は、眠り続けたままだ。所謂、植物状態。

彼女は辛くないのだろうか? 私と何を話したかった?


「ご自身の選択の所為で再びミチルちゃんに影響が及ぶ事を謝罪したかったんでしょうけど。それに、散歩はないわよ」


はぁ、とセラは深いため息を吐く。

セラも同じように感じていたようだ。


「あのお方は本当に視野が狭いわね。ご自身の関係する事のみにしか目がいかない」


それを言われると、私も似たり寄ったりな気がして、申し訳なくなってくる。


「ミチルちゃんは、人の話を聞く耳を持っているもの」


「そう出来ていれば良いのですけれど……」


話している内に、祖母の部屋に到着した。

ドアの前に立つ騎士が頭を下げ、ノックする。


「ミチル殿下がお越しです」


「どうぞ」


カギが開き、ドアが開かれる。

質素ながらも、良い物を用意された、落ち着きのある部屋だった。


「こちらへいらっしゃい」


カウチに腰掛ける祖母の隣に、私も座る。


祖母の手が私の手に触れる。


「愛する人と離れるのは、辛かったでしょう」


その言葉に胸が詰まり、涙がこみあげてくる。


「このように離れ離れになる事は初めてではないと聞いたけれど……その度に寂しく辛い思いを耐えてきたのでしょう? 可哀想に」


何かを口にしたら涙が溢れそうで、何も言えない。


「ソルレには、ルシアン様を守る為に、要塞に行ってもらったのよ」


「え……っ?」


祖母から絶対に離れなかった祖父が?

そう言えば、ここに来てからずっと見ていない。会合には出席出来ないだろうから、別の場所にいるのだと思っていた。


「私もソルレも、十分に生きてきたわ。今の私達は、レイ、貴女のいるこの国を守る為に生きているの。

貴女にはルシアン様が必要だわ。どんな事があっても貴女だけを愛してくれる彼になら、可愛いレイを任せられる」


「お祖母様……」


「だからソルレにお願いしたのよ、絶対にルシアン様を守ってちょうだい、って」


「ありがとうございます……」


堪えきれなくなった涙が溢れ落ちる。

祖母はうふふ、と笑った。


「昔のレイは泣き虫だったけれど、今もそうなのね?」


「……そうみたい……です」


優しく髪を撫でられる。

ハンカチで涙を拭う。


「アルト公から、手紙を預かっているのよ、レイ」


「お義父様から?」


差し出された封筒を受け取り、蘭の封蝋を折る。

また、謎のテンションの手紙だったりするのかな、そんな事を思いながら便箋を取り出す。


"親愛なるミチルへ


ルシアンと離されて、さぞや心細い思いをしている事だろうと思う。

ミチルからあちらの軍事兵器の情報を教えてもらっていたお陰で色々と準備出来たのは、本当に良かったと思っている。感謝しているよ。


先日エテメンアンキに潜入していた多岐殿から届いた報告書に記されたイリダの軍事力は、マグダレナより遥か先を行くものだった。ミチルも目にしたかも知れないが、あれだけの兵器が投入されたら、我等は束になっても敵わないだろう。それでも戦わねばならないし、勝てずとも引き分けに持っていかねばならない。

その為に、ルシアンを連れて行かねばならなかった。

本来は海上戦を得意とする燕国に受け持ってもらう予定だったのだけれどね、彼等はいまだエテメンアンキにいる。

彼の代わりを出来る人間は、ルシアンしかいない"


手紙は続く。

便箋をめくり、二枚目に目を落とす。


"もしかしたらもう二度と愛娘であるミチルに会えないかも知れないから、私がミチルにお願いしたかった事を、手紙に認める事にした。


私が齢十二で家督を継いだ事は、誰かから聞いているだろうから、割愛するよ。

幼い頃からずっと天才だの神童だのと呼ばれていた私は、可愛げの無い事に親に懐かなかった。

それなのに、父であるリュミエル・アルトは、私を子供扱いした。事実息子だし、幼いのだから何一つ間違ってはいないんだけどね。

馬鹿馬鹿しいと思いながら、親子ごっこをしていたよ。

ギウスの突然の襲撃で父を失って、愚かにも初めて気付いたんだよ。親子ごっこが、楽しかった事に。


家門を纏め、つまらない日々を過ごしていた。あまりにつまらなかったから、皇都に遊びに行った程だよ。

皇都ではシミオンとゼファスと知り合った。

エザスナの事もルシアンから聞いたと思うが、私が死ぬように仕向けたのだよ。彼はゼファスにとって害でしかなかった。それと、アンクの為にね。

アンクを手にした私は、この世界の仕組みを知った。

今、何が起きているのかも分かって来た。

同時に、生きる為の目的が出来た"


ほぼほぼイメージ通りのお義父様の生い立ちではあるものの、ルシアンそっくりのお祖父様──リュミエル様に関する部分は、切ない。

ぺらりと紙をめくる。


"大陸全土の調査を開始した。

目的の為にね、ありとあらゆる情報を入手させた。

将来邪魔になると思ったものは躊躇なく排除したよ。

急ぎ過ぎた所為で悪名が轟いてしまったのは不可抗力だったけどね"


……全然不可抗力じゃないよね? 自然な事だよね?


"ルシアンが結婚したい相手がいると言った時は本当に驚いたよ。何しろまともに口もきいてくれないからね。

父の真似をして息子達に接したのだが、ラトリアは上手くいったけど、ルシアンは失敗だった。

その所為で必要最低限の会話しかルシアンとは出来なくなっていたからね"


どんな子育てしたの……。


"自分で言うのも何だけどね、私はルシアンが可愛くて仕方がない。父によく似たルシアンを、ラトリアよりも可愛く思えてしまう。


父はね、この世界を愛していたんだよ。

今でも美しいけれど、もっと美しい世界だったのだそうだよ、と何度も言っていた。

見たかった、とも言っていた。

この世界の仕組みを知った時に、この世界の美しさを取り戻そう、子供心にそう決めた。


あるべきものをあるべき場所へ、失われた物を取り戻せば、この世界は蘇る。

私はね、父に見せられない代わりに、この世界の美しさを取り戻して、ルシアンに見せたいんだ。

出来なくなった親孝行を、息子を通して実現しようとする、なんとも笑える話だろう?


だからミチル、安心して欲しい。

確かにルシアンは要塞に連れて行く。だが、絶対に守り抜く。イリダの好きには絶対にさせない。


全てが終わって、気が向いたらで構わない。

ミチルとルシアンで、実現して欲しい。この世界の美しさを取り戻すことをお願いしたい。

勝手ばかり言う義父で申し訳ないね。


ミチルは自分を卑下すると聞いているから、伝えたかった事があるよ。

人の価値は何を成せるかではないよ。別に何も成せなくても良い。

ミチルの代わりはね、誰も出来ない。私の代わりを誰も出来ないように。私だけじゃなく、他の人物もそうだ。

どれだけ真似しようとも、誰かの代わりには、真の意味でなれないんだよ。

誰かがミチルを否定したとしても、そんな言葉に耳を傾けてはいけないよ。

己の心は、己の物なのだからね。

自分の思うように行動しなさい。


最後に、ゼファスとルシアンの心を救ってくれてありがとう。


リオン・アルト"


ずっと謎だった、お義父様の目的。

子供の頃に死んでしまったお父さんの為に、こんな壮大な事をしちゃうんだから、やっぱり規格外だとは思う。


顔を上げると、祖母がにっこり微笑んだ。


「先程より、顔色が良くなったわ」


「ごめんなさい、お祖母様」


「何を謝る事があるの? 可愛い孫娘には笑顔でいてもらいたい、それだけよ。それから、泣くのを我慢してはいけないわ。貴女は泣き虫だけれど、我慢虫でもあるわね」


その言葉に、笑ってしまった。

我慢虫。

全然我慢なんてしてなかったけど。


「お祖母様、私、祈りを捧げたいです」


今日はまだ祈っていなかった。

祈りの内容は、マグダレナを──ルシアンを守って下さいと言う、自己中心的なものだけど。


「私もまだよ。一緒に捧げましょう」




何処から聞きつけたのか、私と祖母が歌う為に向かった礼拝堂に、公家の面々が揃っていた。


……やだなぁ……。

人前で歌うの、まだ、慣れられないんだよね……。


「さぁ、レイ」


祖母がいる所為で逃げられなくなってる感がある……。

それに祖母は、聞かないのだ。

歌うと言ったら歌わされる。諦めるのは私の方なのだ。


女神像の前で、祖母と並んで立つ。


「女神マグダレナよ、我らを作り給いし慈愛の女神よ。天地(あめつち)の理(ことわり)を定めし尊き女神よ」


「女神マグダレナよ、我らを作り給いし慈愛の女神よ。天地(あめつち)の理(ことわり)を定めし尊き女神よ」


「御身が与え給いし慈しみ、深き愛を、ここに御身を讃える歌にてお返し致します」


「御身が与え給いし慈しみ、深き愛を、ここに御身を讃える歌にてお返し致します」


女神の涙を胸に抱き、感謝の歌を歌う。


「緑深き森の奥に 光射す

優しい風が吹けば 鳥たちも集いさえずり

けもの達も足を止め 喜び踊る」


私の声、祖母の声を、女神像が反響させる。


周囲に魔素が集まるのを感じる。光る霧のように私を取り囲んで、私の中に入って来る。

私の身体の中でぐるぐると回り、私から出て行き、私と祖母を優しく包む。


「雨よ降れ降れ 地を潤し

新たな命を芽ぶかす力を与えたまえ

風よ吹け 種を 花を運べ

新たな命を生み出す力を与えたまえ」


溢れ出た魔力が金色の光になって、ゆっくりと渦を巻き始めていた。


「乾いた風も 冷たい雪も

全ては新しい命を生み出す為に

穢れを払い 命の水となり

美しき年がまた 始まる為に」


歌い終えると、魔力が女神像を通して大地に吸収されていった。


「次は、慈悲の歌を」


祖母の言葉に頷く。


歌いながら、考える。

これから始まるマグダレナ連合軍と、イリダの戦い。


どうしても、イリダの言い分に納得がいかない私は、イリダだけ消え去れば良いと思ってしまう。

良いの、私。

伝説の女皇とも違うし、アスペルラ姫みたいに清廉でも無いんです。

私は、マグダレナ側に勝ってもらいたい。当たり前ですよ。無傷の完封勝利してもらいたいぐらいだ。


それが、無理だって事は分かってるよ?

分かってるけど、そう願う。

女神様だって、マグダレナを守る為にあれこれ、それこそイリダやオーリーにとっては害にしかならないものばかり準備されたんだし、許されると思うのよ。


女神様、お願いします。

どうか、マグダレナ連合軍を勝利に導いて下さい。

お願いします。

みんなを守って。


歌い終えた後、振り返ると公家の人達が呆然としていた。

あ、そうだった。歌うのと祈りを捧げるので、この人達の存在を忘れていた。


シドニア公が膝を付いた。

驚いていると、他の人達も膝を付き始めた。

ゼファス様は厳しい顔をして私を見る。いつも淡々としているのに、珍しい。と言うか、初めて見る表情だ。


……あぁ、そうか。

私を女皇にさせる事を、公家の人達は更に決意するよね。セラが、奇跡のような光景だって言っていたし。


隣に立つ祖母は、少し哀しそうだった。諦めているようにも見えるその笑顔に、祖母は進んで私を女皇にしたいのではないと分かる。


女皇うんぬんは、確かにあるけど、今は目の前の戦争にだけ集中したい。

そう思った。

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