041.離れ離れ
私の心を知ってか知らずか、それとも覚悟が決まっているからなのか、ルシアンは私の手を握ってはくれたものの、行くなとか、離さないとは言ってくれなかった。
私だけが思ってる、なんて子供じみた事は思わない。思わないけど、心の持っていき所が無い。
ルシアンの目は、先を見てる。そんなの分かってる。いつもそうだ。
泣きそうなのを我慢していると、抱き締められた。
「同じ気持ちです」
髪にルシアンのキスが落ちて来た。
「それを口にしたら、心が挫けそうになる。だから、言いません」
その言葉に堪え切れなくなって、泣いてしまった。
「愛しています、ミチル。貴女を誰にも渡しはしない。その為なら、私は何だってします」
泣きながらのキスは、なんとなく塩味を感じる、甘くないものだった。
「嫌です……お願いです、ルシアン、お願い」
しがみつき、懇願する。
上手くは言えない。
でも、離れたら駄目なのだと、頭の奥で警鐘が鳴る。
「ミチル様、失礼します」
どうしても離れない私を、アウローラとオリヴィエがルシアンから引き離した。
「嫌、離して!」
手を伸ばしても、ルシアンはその手を取ってくれない。
強引に馬車に乗せられる。
窓からルシアンを見る。優しく微笑むルシアンに、また涙が溢れる。
離さないって言ったのに。
「出して」
セラの言葉に応えて馬車が走り出す。
嫌。
窓に張り付いてルシアンを見る。
ルシアンもまた、私を見ていた。
「ルシアン!」
何度もルシアンの名を呼んだ。
見えなくなるまで、ずっと。
心臓が痛い。胸が軋む。
「ミチルちゃん、ちゃんと食べないと駄目よ」
セラがおにぎりを差し出した。首を横に振る。
食欲がわかない。
「握ったのはエマよ」
──エマ。
滅びの祈りで、私が命を奪うだろうエマ。
おにぎりに手を伸ばす。
セラが頷いた。
「お願いよ、ミチルちゃん。諦めないで」
諦めない。
その言葉を考える。
……そうじゃない。
上手く言葉に出来ない。
ただ、辛い。
信じる信じないとかでは無くて、苦しくて辛い。
馬車は走り続ける。私とルシアンの距離が広がって行く。せめて遠くからでも見られる距離だったなら良かったのに。
「正直、ミチルちゃんがこんなになるなんて思わなかったわ」
セラがため息混じりに言った。
「ルシアン様と離れる辛さに、少しぐらいは態度に出るだろうとは思っていたけど、こんなに狼狽するなんて」
それは、自分でもそう思う。
私はこんな人間だったか、って。
人目を気にせず感情を出す人間では無かったのに。
「……心が千切れそうです」
バラバラになりそうだ。いっそバラバラになった方が楽なんじゃないかって思ってしまう。
私は、こんな、ヒロインみたいな思考回路じゃなかった筈だ。今だって冷静に自分を見る余裕はあるのだ。
それなのに。
ルシアンによって変わったのか、元々そうだったのか、虫の知らせなのか。
何だって良い。何でも良いから。
ルシアンの側に行きたい。行かなくちゃいけないと思う。
そうしないともう二度と会えない、そんな気がしてならない。
頭を軽く振って、不吉な考えを頭から追い出そうとする。
脳内で死亡フラグを立てちゃ駄目だ、そう思うのに。
どうしてこんなに、怖くて堪らないのか。震えが止まらないのか。
頭の奥が鈍く痛む。
馬車を降りると、祖母がいた。
取り囲むように他の公家の人達もいた。
皇嗣である祖母をここに一人で立たせている訳にはいかなかったのだろうと思う。
「レイ」
私を抱き締めるその腕に、ほんの少しだけ安心する。
「皇嗣殿下、ミチル殿下、中へ」
エステルハージ公に言われて、祖母に手を引かれ、建物の中に足を踏み入れる。
元々あった建物を、この為に増強したのだろう。
急拵え感はあるものの、落ち着いた空気も感じるのは、元来のこの建物が持つ雰囲気なんだろう。
廊下を進むと、天井まで伸びる大きな扉に突き当たった。
扉両脇の騎士は胸に剣を抱く。
軋む音をさせて扉が開いた。
広間だった場所を円卓の議場にしたんだろうな、と思う程に、部屋の大きさと中央の円卓の大きさのバランスが取れていない。
円卓の上座に、懐かしい顔があった。
アレクシア様だった。両隣には、クレッシェン公とバフェット夫人が座っていた。
私に気付くと、アレクシア様は立ち上がって笑顔になった。
「ギウス戦以来ですね、ミチル」
カーテシーをし、「大変ご無沙汰しております」と返すのが精一杯だった。笑顔も上手く出来ている気がしない。
祖母はアレクシア様の正面に腰掛けた。隣へと促されたので、座る。
他の公家の人達も、まるで定位置が決まっているかのように腰掛けていく。
エヴァンズ公が祖母を見る。頷く祖母に頷き返すと、口を開いた。
「皇国公家当主がこうして揃うは、実に千年ぶりとの事。事態が事態でなければ諸手を挙げて宴でも開きたい所ですが、残念な事です」
これまでこう言った会の時は決まって、シミオン様が司会進行を務めていたのに。シミオン様を見ると、いつも通りの顔をしていた。
それを見て、なるほど、と思った。
祖母に、全てが移ったのだ。
アレクシア様は今でも皇位には就いてらっしゃるけど、もう権力は無く、祖母にそれは移行した。
これまでバフェット家の抵抗勢力としてオットー家は前面に出ていた。でも、それはもう必要ない。
祖母は政争に勝ち、掌握したのだ。
「アレクシア陛下は近日中にご退位頂く事が決まっております。従って、皇嗣である私がその任を継ぎ、場を取り仕切りますが、異論のある者は速やかに退出なさって結構ですよ」
柔らかい声音で、かなり厳しい事を祖母が口にする。
当然だけど、誰も部屋からは出て行かない。
それを見て祖母は頷き、宜しいでしょう、と言った。
「エステルハージ公」
祖母が名を呼ぶと、エステルハージ公は立ち上がり、祖母に向けて頭を下げた。
「ここからは私が説明させていただく」と、断りを入れてから、手元にある資料に視線を落とす。
「当初より遅れる形でイリダはマグダレナ領海内に侵入。その際に、進軍の意図を問い質すもそれを無視してマグダレナ連合軍に大砲による攻撃を開始した為、こちらも応戦。当方十隻に対してイリダの戦艦三隻を撃沈。三方に分かれて進軍を再開している。
ト国と燕国の援護、誘導により、主力と見られる戦艦を除いた四隻がそれぞれ左翼と右翼に分かれて進軍。
七隻が大陸中央を目指しています。明日の夜には、大陸南部のベリウム湾に侵入するでしょう」
セラが見せてくれた大陸の地図に、ベリウム湾はあった。
東京湾のように海に繋がっている。
ベリウム湾の一番深い場所から、私達が今いるこの要塞は、実はそう遠くない。
戦況如何で祈りを捧げるタイミングを図るからだ。
湾に入らなくても大陸に近付けるかと言うと、答えはノーである。遠浅で、戦艦では進めないのだ。その為、船で湾内に入るか、そもそも戦艦以外で来るか。
七隻の戦艦が、ルシアンのいる要塞を攻める。
そう考えるだけで手が震えてくる。
「ミチル?」
隣に座るゼファス様に声をかけられて、我に返る。
「顔色が悪いよ」
返事を、そう思うのに、答えられない。
何とか笑みを浮かべて、首を横に振った。
ちゃんと、話を聞かねば。
ルシアンに関わる事で、私の役割にも関わる事だ。
そう思うのに、頭になかなか入って来ない。いつもより、色々なものを要する。
「湾の入り口や湾内には、航路を狭める為いくつもの船を沈めています。これにより戦艦は一隻ずつしか湾内に進行出来ませんが、船上からの砲台等による攻撃はして来るでしょう」
多岐様から届いた報告書には、戦艦に取り付けられる砲台に関する情報が詳細に記されていた。
それを鵜呑みにする訳ではないけど、参考には多少しただろうとは思う。
……何でも良い。
イリダなんて全滅してしまえば良い。
胸の中がドロドロしたものでいっぱいになっていくようで、息苦しい。
「湾内に我等が用意した要塞は全部で五構。最奥部、中央部双翼に三構。湾への入り口に一構。それぞれの要塞には砲台を二十基。移動式と埋込式を十基ずつ搭載しております」
話が具体的になればなる程、想像が容易になる。
胃に鉛が、と言う表現があるけど、そんな気持ちだ。ずしりとした重い物が、物理的に存在しているような気がする。
息を少しずつ吐く。深呼吸も、上手くは出来ない。
苦しさも辛さも減る気配は無い。
でも、これは現実だ。私の現実。逃げられない。
私に出来る事は多くない。数少ない出来る事。それが祈る事。だから、知らなくては。目を背けちゃ駄目だ。
よく聞く、誰かの為、未来の為、と言う大義名分。本気で言ってるのかな、と冷めた目で見ていたけど、今は何だか分かる。
実際そう思って行動する人もいるとは思う。残念ながら私はそのような高尚な精神は持ち合わせていない。
いないけど、それが私を助ける。
誰かの為なのだと、思い込む。口にする。そうする事で、自分の中の勇気を傘増しする。
違うな、自分の気持ちを騙せる。
騙そう、自分を。
私に出来る事をして、この馬鹿げた戦争を終わらせる事に、少しでも協力しよう。
そうすれば、この苦しみからも解放されて、ルシアンに会える。
ルシアン、ルシアン、ルシアン──頭の中がそればかりになって、ルシアンが聞けば喜びそうだけど、本当に、ここまで自分の視野が極端に狭くなるなんて思いもよらなかった。
そんな自分を情けなく、みっともなく思う瞬間はある。
恥ずかしく思ったりもする。
でも、これが偽りの無い、今の自分なのだ。
こんな私を愛し慈しんでくれる多くの人達がいて、守られて来た。
今も、守られている。
隣に座る祖母、ゼファス様。
セラ、オリヴィエ、アウローラ、銀さん、エマ、クロエ、ロイエ、お義父様、お義母様、ラトリア様……ルシアン。
ヒロインみたいな特殊能力があれば良いのに。
聖女みたいな。
そんなの無い。無くても、私を大切にしてくれる人達の為にも、現状を受け入れなくてはならないのだ。
泣くのは、一人の時にしよう。
それぐらいは、許してもらおう。
「先日の燕国の定期船で運ばせた海図を敵が信用すれば、浅瀬を避けて湾内に入って来るでしょう。信じない場合は自らの船で浅瀬を体感しながらやって来る。どちらにしろ、彼等の取る航路はここ」
円卓中央に置かれた、マグダレナ大陸とその周辺情報が細かに書き写された地図の、ベリウム湾を細長い指揮棒で指す。
「ベリウム湾しかありません」
湾内の所々に、赤いバツが付いている。
先程ぼんやり聞いていた内容からして、進路を妨害する為に船を沈めた場所だろう。
「戦艦の大きさから、一隻は通過可能。同時にニ隻は通過出来ない幅にしております。湾内に流れはありませんから、彼等は大きさの許す範囲で自由に動きます」
戦艦の模型が地図の、湾内に置かれる。
その数、七隻。模型で見ても、かなりの大きさだ。
「時間がありましたからね、湾に面した陸地に要塞を擬似した建造物を一面配備しました。攻撃力も念の為持たせています。擬似要塞から攻撃を受ける事で戦艦は、要塞と見做して攻撃を開始します」
ずっと、皆が駆け回っていたのは私でも知っている。
この巨大な湾に面する部分全てに、擬似とは言え要塞を用意するのは、さぞかし時間も費用も手間もかかった事だろう。
「湾内に入らずに別の場所に行かれては困りますからね、擬似要塞から仕掛ける事で攻撃対象とさせ、湾内に入らせる。湾外の戦艦全てが湾内に入るよう、後方から追尾する形で攻撃をします」
そこから、要塞と戦艦の戦いだと言う。
先だっての海上戦には三つの目的があった。
一つ目はイリダ側の戦力、統率、機動力、諸々の片鱗をリサーチし、それを本体である要塞に伝える事。
二つ目は無駄玉を撃たせて攻撃力を削ぐ事。戦艦の数を減らす事。
船に大砲の弾を無尽蔵に詰め込む事は不可能だ。限界がある。こちらの要塞の防御力にも限界はある。その為にも、少しでも弾を撃たせる事が重要となる。
三つ目は艦隊の進路を誘導する事。むやみやたらとあちこちに攻撃を仕掛けられては堪らないからである。
この内の二つは、聞いている限り、上手くいっているように見える。
ただ、こちら十隻に対してあちらの損害が三隻となると、かなり厳しい戦いが予想される。
滅びの祈りをせずに戦争を終わらせたいという願いが、叶わない可能性が出て来る。
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